マドリード中心部のレティーロ地区で9月23日、87歳の女性マリカルメンさんが、約70年暮らしてきた賃貸住宅から強制退去させられた。17歳だった1956年に両親と移り住んだ家で、契約は1985年以前の旧法に基づく「レンタ・アンティグア(旧家賃契約)」だった。所有する不動産会社ウルバヘスティオンとの訴訟は2026年3月、最高裁が所有者側の主張を認めて決着し、今回が4回目の執行だった。未明から多数の警察車両が建物を囲み、警察は玄関前に座り込んだ支援者を排除した。借家人組合などによれば、催涙スプレーも使われた。マリカルメンさんは13時ごろ、担架で運び出され、救急車でグレゴリオ・マラニョン病院へ搬送された。国連の社会権規約委員会は今夏、スペイン政府にこの退去を止めるよう求めていたが、所有者側が求める家賃を本人に代わって払うという匿名の作家の申し出も、国の公営住宅会社による物件の買い取りの打診も、同社は拒んだと報じられている。サンチェス首相は訪問先のニューヨークで「社会的な悲劇」と述べ、州と市の責任を指摘した。同日夕方には、借家人組合の呼びかけで、中央政府の代表部の発表で約1万人が集まり、抗議の場所に選ばれたのは、アユソ州政府の公営会社が630万ユーロで買って批判を浴びているチャンベリ地区の最上階住戸(アティコ)の前だった。「アティコをマリカルメンに」。住宅危機が続くスペインで、一人の高齢女性の退去が、国と州と市を巻き込む政治問題になっている。

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約70年暮らした家と、終わった契約

マリカルメンさんが両親とこの家に入ったのは1956年、17歳の時だった。弁護側によれば、当時は女性が自分の名義で賃貸契約を結べなかったため、契約は父親の名義だった。父の死後は母が、2005年に母が亡くなってからはマリカルメンさん本人が契約を引き継いだ。1985年5月以前に結ばれた、いわゆる旧家賃契約で、家賃は長く低く抑えられてきた。

建物はその後、投資目的の売買を経て、不動産の開発・仲介を手がけるウルバヘスティオン(Urbagestión Desarrollo e Inversión)の所有になった。同社は2020年、月500ユーロ前後だった家賃を月1,650ユーロに引き上げる新しい契約を示し、報道によれば、その後の要求額は月2,650ユーロに達した。マリカルメンさんの年金は月1,450ユーロで、2020年の提示額でさえ、年金をすべて充てても足りない。

同社は契約の終了を求めて提訴した。争点は旧法時代の契約の承継で、最高裁は2026年3月、2005年の母からの承継は2度目の承継にあたり、契約は2年後の2007年に終わっていたと判断した。旧法の経過規定では、65%以上の障害があれば生涯住み続けられるが、報道によれば本人の障害認定は50%で、この基準に届かなかった。

支援者や一部の報道は同社を「ハゲタカファンド」と呼んできたが、同社は「投資ファンドでもハゲタカファンドでもなく、ただの中小企業だ」「ほかに住宅は一つも持っていない」と反論している。借家人組合を告訴し、報道機関にもこの呼び方について警告を送った。

4回目の執行と、断られた申し出

退去の執行は、今回が4回目だった。1回目の2025年10月は前日に裁判所が停止し、2回目の2026年6月も延期された。今夏には国連の社会権規約委員会が、スペインに「退去を止め、適切な住まいを保障する」よう求めている。

この間、解決の道がなかったわけではない。匿名の作家が、所有者側が求める月2,650ユーロの家賃を本人に代わって払うと申し出たが、同社は受けなかった。国の公営住宅会社カサ47も物件の買い取りを打診したが、これも断られたと報じられている。住宅省は仲介に入り、買い取りを試みたと説明している。

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9月23日、担架で運び出されるまで

前夜から、支援者が建物に泊まり込んで執行に備えた。警察は未明から現場に入り、報道によれば6時ごろには警察車両が建物を取り囲んだ。9時30分ごろに裁判所の執行担当者が到着し、弁護士は、所有者側が一切の合意を拒んでいると明らかにした。報道によれば、執行が始まったのは10時40分ごろだった。

11時30分ごろ、警察は玄関前に座り込んでいた約40人を排除した。借家人組合などによれば催涙スプレーも使われ、組合は、スプレーを浴びた人や殴られた人が出たと警察の対応を批判している。負傷者や逮捕者の公式な数字は出ていない。

マリカルメンさんが担架で運び出されたのは13時ごろだった。マドリード市の救急サービスの救急車でグレゴリオ・マラニョン病院へ運ばれ、検査を受けている。弁護士は、所有者側が「荷物を運び出すための数時間さえ与えなかった」と批判した。

行き先は家族のもとへ、食い違う「代わりの住まい」

マリカルメンさんは、市が用意した高齢者施設の緊急の無料枠を断り、家族のもとに身を寄せる。アルメイダ市長の市政は、在宅介護などの支援を続け、住まいの選択肢も示したが本人が断ったと説明する。アユソ州政府も、公的な高齢者施設の枠を2度提示したとしている。

一方、弁護士は「代わりの住まいは何も示されていない」と述べ、借家人組合も「市も、州も、国も、解決策を出さなかった」と行政全体を批判している。施設への入居と、住み慣れた家での暮らしの継続は、本人にとって同じ意味を持たない。どちらの説明が実態に近いかは、行政側の申し出の中身が公表されていない現時点では判断できない。

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首相、大臣、州首相──政治問題に

国連総会で訪米中のサンチェス首相は、この退去を「社会的な悲劇」と呼び、州と市に責任があるとした。州政府による高級アティコの購入にも触れ、否決された住宅政令を承認するよう議会に求めた。イサベル・ロドリゲス住宅相は「とても悲しく、痛ましい一日だ」と述べ、同じ日に不動産の見本市を訪れていたアユソ州首相を、投機家とハゲタカに「また赤じゅうたんを敷きに行った」と批判した。

連立与党の左派スマルは、9月29日の閣議で住宅の大型政令を採択し、退去の一時停止措置を盛り込むよう社会労働党(PSOE)に迫っている。ポデモスのイオネ・ベララ氏は「87歳の女性を追い出す国には住みたくない」と述べた。これに対し州政府は、代わりの住まいを示していたと繰り返している。

抗議の場所は「630万ユーロのアティコ」

18時30分、借家人組合の呼びかけで、チャンベリ地区のヘネラル・マルティネス・カンポス大通りに人が集まり始めた。中央政府の代表部の発表で約1万人。場所に選ばれたのは、マドリード州の公営会社プラニフィカ・マドリードが4月に630万ユーロで購入したアティコの前だった。州政府が要人の宿泊など「公的な用途」を掲げて買い、購入の経緯を野党に追及されている物件である(9月17日の州議会の記事)。

「アティコをマリカルメンに」「マリカルメン、ひとりじゃない」「アユソは辞任を」。参加者はこう声を上げた。「アティコを占拠する」という叫びも上がったが、建物への侵入は起きなかった。夜には一部の参加者が近くのカステジャーナ通りを封鎖し、機動隊が排除に入った。同じ夜、ほかの都市でも中央政府の代表部前で連帯の集会が開かれた。

そのアティコは、州政府が批判を受けて売りに出したものの、9月17日の最初の競売は入札ゼロで不成立に終わった(関連記事)。州は21日、最低価格669万4,201ユーロでの再競売を発表し、入札は10月21日まで受け付ける。落札されなければ、期限を設けない常時募集に移る。

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数字で見るスペインの強制退去

司法総評議会(CGPJ)の最新の公表分である2026年第1四半期の統計では、全国の強制退去の執行は4,005件で、前年同期から45.4%減った。家賃の不払いによるものが64.9%、住宅ローンの差し押さえによるものが24.24%を占める。マドリード州は582件で17.1%減だった。マリカルメンさんのように、家賃を払っていても契約の終了で家を失うケースは、この統計の中心的な類型ではない。

社会的に弱い立場の世帯の退去を一時停止する措置は、2026年2月の政令で年末まで延長されたが、同月26日に下院が政令を否決し、効力を失った。いまは有効な停止措置がない。ただし、仮に措置が生きていたとしても、本件に適用されたかどうかは分からない。

家賃の上昇は止まっていない。住宅価格も史上最高を更新しており(住宅価格の記事)、長く住んできた人が、契約の区切りとともに市場の家賃に直面する構図は、マドリードやバルセロナで繰り返されている。

日本の読者への解説

日本の感覚では、家賃を払い続けている87歳の借家人が退去させられる事態は想像しにくい。日本の借地借家法では、普通の賃貸借契約について、貸主が更新を拒んだり解約を申し入れたりするには「正当事由」が必要で、長く住む借家人は強く守られている。スペインの旧家賃契約も本来は借家人を手厚く守る制度だったが、1994年の都市賃貸借法で、世代を超えた承継に制限が設けられた。親から子への2度目の承継は原則として2年間(または子が25歳になるまで)に限られ、65%以上の障害がある場合に限って生涯住み続けられる。家族の名義で続いてきた古い契約が、承継の条件をめぐって終わりを迎える。マリカルメンさんは、まさにこの2度目の承継にあたっていた。

日本では逆に、高齢者が新しく部屋を借りようとすると断られやすい「入居拒否」が問題になっている。スペインの問題は、住み続けている家を失うことにあり、日本の問題は、次の家を借りられないことにある。入口は違っても、高齢者が住まいの市場からはじき出されるという点では、両国は同じ課題を抱えている。

スペインでは、住宅問題が政権と野党の最大の対立軸になりつつある。9月29日の閣議で、政府が退去の一時停止措置を含む住宅政令を出すのか。マドリード州のアティコは10月21日までに買い手がつくのか。この二つが、次の焦点になる。

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