10月28日にトレド県ウルダ付近で起きた高速列車の追突は、死者が少なくとも68人にのぼり、スペインでは2013年にサンティアゴ・デ・コンポステーラ近くのアングロイスで80人が亡くなった脱線以来の惨事になった。1944年以降の鉄道事故では(2004年の列車爆破テロを除く)、1944年のトレ・デル・ビエルソ(公式の発表で78人)、アングロイス、1972年のエル・クエルボ(資料によって76〜86人)に次ぐ4番目の規模だ。最悪とされるトレ・デル・ビエルソはフランコ政権の報道統制のもとで起き、2019年の研究は死者を約100人としている。過去の大きな事故には、単線での正面衝突、踏切、カーブや分岐器での速度の出しすぎが多い。1992年に高速鉄道が始まってから、標準軌の高速新線で乗客が亡くなる事故はなかったが、今年1月のコルドバ県アダムス(46人)に続いて、ウルダが2件目になった。
主な鉄道事故
スペインで起きた主な鉄道事故は、次のとおりだ(国の鉄道網以外の事故も含む。2004年のマドリードの列車爆破テロは事故ではないため含めていない)。
| 年月・場所 | 何が起きたか | 死者 |
|---|---|---|
| 1944年1月 トレ・デル・ビエルソ(レオン県) | ブレーキが利かなくなった郵便急行がトンネル内で別の列車に衝突。貨物列車も突っ込み、客車が燃えた | 公式78人(研究では約100人) |
| 1944年1月 アレバロ(アビラ県) | 急行が止まっていた郵便列車に追突 | 41人(司法の記録) |
| 1972年7月 エル・クエルボ(セビリア県) | 単線で気動車と急行が正面衝突 | 76〜86人 |
| 1980年9月 チリベリャ(バレンシア県) | 遮断機が上がったままの踏切で、列車が路線バスをはねた | 27人 |
| 1988年3月 フネダ(リェイダ県) | 遮断機のない踏切で、列車が保育施設の小型バスをはねた | 15人 |
| 1997年3月 ウアルテ・アラキル(ナバラ州) | インターシティが速度を出しすぎて分岐器に入り、脱線 | 18人 |
| 2001年1月 ロルカ(ムルシア州) | 遮断機のない踏切で、列車がワゴン車をはねた | 12人 |
| 2003年6月 チンチーリャ(アルバセテ県) | 単線でタルゴと貨物列車が正面衝突 | 19人 |
| 2006年7月 バレンシアの地下鉄 | カーブで速度を出しすぎて脱線 | 43人 |
| 2010年6月 カステルデフェルス(バルセロナ県) | 線路を渡っていた人たちを、通過する列車がはねた | 12人 |
| 2013年7月 アングロイス(ア・コルーニャ県) | Alviaが速度を出しすぎてカーブに入り、脱線 | 80人 |
| 2026年1月 アダムス(コルドバ県) | Iryoが脱線し、反対方向から来たAlviaが衝突 | 46人 |
| 2026年10月 ウルダ(トレド県) | AVEが止まっていたIryoに追突 | 68人以上(暫定) |
最悪の事故は報道統制の中で、死者数は今も確定しない
1944年1月3日の昼すぎ、マドリード発ア・コルーニャ行きの郵便急行が、レオン県のマンサナル峠からの下り坂でブレーキが利かなくなった。手前の駅で止まれず、トレ・デル・ビエルソ駅も通り過ぎて、その先のトンネルの中で、入換をしていた機関車と貨車にぶつかった。さらに反対方向から来た石炭の貨物列車も突っ込み、木造の客車が燃えた。
当時はフランコ政権のもとで、軍や鉄道当局が現場を管理し、記者は近づけなかった。死者は公式には78人とされてきたが、当時の新聞が伝えたのは途中までの数(最大59人)で、最終的な死者数は載らなかったとされる。乗っていた人の数も分からず、のちに200人、500人以上といった推計も広まった。地元ビエルソ地方の歴史家、ビセンテ・フェルナンデス・バスケス氏は2019年、犠牲者を1人ずつ調べた研究で、死者を約100人、負傷者を111人とした。同氏は、確かめられないまま広まった話が多いとも指摘している。8日後の1月11日にアビラ県アレバロで急行が郵便列車に追突した事故(司法の記録では41人が死亡)も、ほとんど報じられなかったとされる。
1972年7月21日の朝には、セビリアとカディスを結ぶ単線で、カディス発セビリア行きの気動車と、マドリード発カディス行きの急行が正面衝突した。気動車はエル・クエルボ駅で急行が通り過ぎるのを待つはずだったが、停止の信号を越えて本線に出ていた。死者は、事故の翌日の新聞で76〜77人、2日後の公式の集計とされる数字で79人、近年の報道では86人とされ、資料によって違う。サン・フェルナンドの基地から休暇で家に帰る海兵隊員が多く乗っていた。
単線の正面衝突と踏切
1980年代から2000年代はじめの大きな事故には、踏切で車やバスがはねられる事故と、単線での正面衝突が目立つ。1980年9月には、バレンシア県チリベリャで、遮断機が上がったままの踏切に路線バスが入り、列車にはねられて、工場から帰る労働者ら27人が亡くなった。1988年3月には、リェイダ県フネダの遮断機のない踏切で、列車が保育施設の小型バスをはね、3〜5歳の子ども10人を含む15人が亡くなった。2001年1月には、ムルシア州ロルカの遮断機のない踏切で、農場へ働きに向かうエクアドル人ら14人を乗せたワゴン車がはねられ、12人が亡くなった。
2003年6月には、アルバセテ県チンチーリャの近くの単線で、マドリード発カルタヘナ行きのタルゴと貨物列車が正面衝突し、火災も起きて19人が亡くなった。駅で列車の運転を取り扱う職員が、貨物列車がまだ単線の上にいるのを忘れて、タルゴを発車させていた。1997年3月には、ナバラ州ウアルテ・アラキルで、インターシティが制限時速30キロの分岐器に時速137キロで入って脱線し、18人が亡くなった。
国の鉄道網の事故ではないが、2006年7月には、バレンシアの地下鉄1号線で、制限時速40キロのカーブをおよそ2倍の速さで走った電車が脱線し、43人が亡くなった。2010年6月には、バルセロナ県カステルデフェルスの駅で、サン・ジュアン(聖ヨハネ祭)の前夜、浜辺の祭りに向かう若者らが地下道を使わずに線路を渡り、通過中の列車にはねられて12人が亡くなった。
アングロイス、カーブの速度を自動で抑える仕組みはなかった
2013年7月24日20時41分、マドリード発フェロル行きのRenfeのAlviaが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ駅の約3.6キロ手前のカーブで脱線し、80人が亡くなった。制限時速80キロのカーブに大きく速度を超えて入り、時速179キロで脱線した。鉄道事故調査委員会(CIAF)の最終報告によると、運転士は車掌からの業務の電話に約100秒出ていて、ブレーキが遅れた。
現場は、将来の高速線として造られた区間の終わり近くだった。列車の速度を自動で抑える欧州の方式(ERTMS)が線路側で使えたのは、カーブの約4キロ手前までだった。その先は、地上の決まった地点でしか警告やブレーキが働かない古い方式(ASFA)だけで、カーブの前で速度を落とすのは運転士に任されていた。この型の車両(730系)は、営業運転を始めた直後に車上のERTMSの装置の信頼性に問題が出たため、オウレンセ〜サンティアゴ間をASFAだけで走ることが認められていた。
2024年7月の一審の判決は、運転士と、線路の管理会社Adifの元運行安全部長に、それぞれ禁錮2年6か月を言い渡した。2026年1月の控訴審の判決では、元部長は逆転無罪となり、運転士の刑は維持された。事故の後、当時の公共事業省が対策を発表し、Adifは自社の路線網で速度が大きく下がる箇所を375か所洗い出して、予告の標識と、速度を超えるとブレーキがかかるASFAの地上の装置を順に置いた(2014年3月の時点で122か所)。
標準軌の高速新線で乗客が亡くなった事故は、今年1月のアダムスが初めて
スペインの高速鉄道は、1992年4月にマドリード〜セビリア線で始まった。在来線は線路の幅が広い独自の規格だが、高速新線の多くは欧州で一般的な標準軌で造られている。この標準軌の高速新線で、列車の脱線や衝突で乗客が亡くなった事故は、今年1月のアダムスまでなかった。EFE通信も、死者の出た高速鉄道の事故は1992年以来アダムスとウルダの2件だけだとしている。ただし、線路に入った人がはねられて亡くなる事故は、高速新線でも起きている。EFEは、アングロイスを時速200〜220キロの「準高速」の区間の事故として、この数に入れていない。アングロイスの現場は、高速線として造られた区間(CIAFの報告では高速線082号線)だったが、線路の幅は在来線と同じで、列車もAVEではなく在来線にも乗り入れるAlviaだった。
アダムスの事故は1月18日19時43分ごろ、コルドバ県アダムス駅の近くで起きた。マラガ発マドリード行きのIryoが時速約205キロで走っていたところ、後ろの3両が脱線して隣の線路にはみ出し、反対方向から来たマドリード発ウエルバ行きのRenfeのAlviaが衝突した。46人が亡くなった。調査では、レールの溶接した部分が折れたことが主な仮説になっているが、最終的な原因はまだ確定していない。
ウルダの事故は、同じマドリードとアンダルシアを結ぶ高速線で、アダムスの約9か月後に起きた。RenfeのAVEの列車がからむ事故で乗客が亡くなったのは、確認できた範囲では初めてだ。プエンテ運輸相は、列車制御システム(LZB)が止まった後に、管制が通常の運転での再開を指示した判断を誤りだとしている。
調査の仕組みも変わった
鉄道事故の技術的な調査は、2007年に設けられたCIAFが担ってきた。アングロイスの後、欧州鉄道機関(ERA)は2016年の報告で、アングロイスの調査について、CIAFの構成では調査の独立性が保証されていなかったと指摘した。スペインは2024年の法律で、鉄道、海難、航空の事故を一つの独立した機関(AITAT)で調べることにし、AITATは2026年7月にCIAFからアダムスの調査を引き継いだ。ウルダの事故でも、AITATの調査官が現場に入っている。
ウルダの事故の経緯は28日の記事と続報に、国営のRenfeと新規参入のIryo、Ouigoが同じ線路を走る仕組みは解説記事にまとめた。古い事故の死者数は資料によって違うため、主な値を示した。ウルダの死者数は29日朝の時点の暫定の数字で、今後変わる可能性がある。













