カタルーニャ州を拠点に活動する俳優カップル、ジュディット・コロメールとパウ・ビニャルスが、自らの脚本・演出・出演で二人芝居『Tendrament』(カタルーニャ語で「優しく」の意)を上演しました。これは、11年前にシェイクスピア劇の稽古で出会って以来の二人の関係を赤裸々に描く「オートフィクション(自伝的フィクション)」演劇です。舞台上には、思い出の詰まった一台のテーブルと一脚の椅子のみ。二人は実生活のパートナーでありながら、舞台の上でもパートナーを演じ、愛、葛藤、そしてパウのバイセクシュアリティといったテーマに切り込みます。その野心的な試みは注目を集める一方で、批評家からはその核心の分かりにくさに対して厳しい意見も出ています。
現実と虚構が交錯するオートフィクション
本作の最大の特徴は、演者自身の人生を題材とする「オートフィクション」という形式にあります。ジュディットとパウは、11年前に『夏の夜の夢』の共演で恋に落ちた現実の出来事を下敷きに、現在の関係性の危機を舞台上で再構築します。二人の間には子どももいますが、パウはジュディットと出会った当時から変わらずバイセクシュアルであり、その事実が二人の関係に複雑な影を落としていることが示唆されます。舞台上のテーブルと椅子は、単なる小道具ではなく、二人が共に過ごした時間の記憶が染みついた象徴的な存在として機能します。観客は、どこまでが現実でどこからが創作なのか、その境界線が曖昧な世界に引き込まれます。この手法は、俳優が常に「演じている」という現実と、私生活における「役割を演じる」という現実を重ね合わせ、人生そのものが一つの演劇であるという視点を提示します。
ジェンダー理論と個人の物語
劇中、ジュディットはクィア理論の哲学者ポール・B・プレシアードの名を挙げます。プレシアードが空っぽのアパートで「テーブルと椅子は、問いを許さない補完的なカップルだ」と考察したエピソードを引用し、二人の関係性を哲学的な視点から捉え直そうと試みます。これは、本作が単なる痴話喧嘩の暴露に留まらず、現代スペイン社会におけるジェンダーやセクシュアリティをめぐる思索と接続しようとする意図の表れです。パウのバイセクシュアリティをめぐる対話は、現代のカップルが直面するアイデンティティの揺らぎや、既存の恋愛観では捉えきれない関係性のあり方を問いかけます。しかし、批評家が指摘するように、こうした知的で現代的なテーマの提示が、必ずしも物語の核心を深めることには繋がっていない側面もあります。壮大なテーマと、目の前で繰り広げられる生々しい個人の葛藤が、うまく融合しきれていないという印象を与えかねない危うさをはらんでいます。
観客を巻き込む試みとその限界
『Tendrament』は、伝統的な演劇の枠組みを壊そうと、観客に直接介入する場面を設けています。二人は20ユーロ紙幣を取り出し、観客席に向かって「誰か舞台上でキスできる人はいないか」と問いかけます。しかし、この挑発的な呼びかけに応じる観客は誰も現れません。この試みは、舞台と客席を隔てる「第四の壁」を取り払い、観客を単なる傍観者ではなく、劇の共犯者にしようとする現代演劇の手法の一つです。しかし、批評によれば、この試みは不発に終わっています。その原因は、観客がその時点で「この二人が一体何を伝えたいのか」を掴みきれていないことにあります。劇の目的や感情的な着地点が不明瞭なまま挑発されても、観客は戸惑うばかりです。野心的な演出が、物語の求心力の欠如によって空回りしてしまった典型的な例と言えるでしょう。
批評家が指摘する「野心と空回り」
スペインの有力紙ABCの劇評は、本作に5つ星中2つという厳しい評価を下しました。演者の身体を張ったパフォーマンス、特に壁をよじ登るなどのパウ・ビニャルスの熱演は評価しつつも、脚本の構成力を問題視しています。「性的アイデンティティ、カップルの生活、演劇論…あらゆるテーマがジグザグに登場するだけで、どの港にもたどり着かない」と指摘。作品全体を前進させる「創造的なガソリンが欠けている」と断じました。作り手の情熱や野心は伝わるものの、それが観客に届くための戯曲としての構造や焦点を欠いているという見方です。この批評は、個人的な体験を芸術作品へと昇華させることの難しさを示唆しています。当事者にとっては切実な問題も、普遍的な物語として観客の心に響かせるには、客観的な視点と巧みな構成が不可欠なのです。
日本の読者への解説
本作のようなオートフィクションは、日本の文学における「私小説」の伝統と響き合う部分があります。自らの身辺を赤裸々に語ることで、私的な体験を超えた普遍性を獲得しようとする試みです。しかし、本作が直面した壁は、日本で創作活動を行う人々にとっても示唆に富んでいます。それは、テーマの現代性や個人的な切実さだけでは、作品の強度を担保できないという事実です。特に、ジェンダーやセクシュアリティといったテーマは、スペインでは社会の主要な議題として日常的に議論されていますが、日本ではまだその熱量や語彙の共有範囲が異なります。そのため、こうしたテーマを扱う際には、より丁寧な文脈設定と物語への落とし込みが求められるでしょう。本作の挑戦と失敗は、個人的な題材を扱う全てのクリエイターにとって、情熱をいかにして伝わる「かたち」に整えるかという、創作の根源的な問いを投げかけていると言えます。













