2026年9月下旬、スペインの首都マドリードの中心地であるプエルタ・デル・ソル広場が、数百のテントとプラカードで埋め尽くされた。借家人組合(Sindicato de Inquilinas)の呼びかけに応じた若者たちが、高騰し続ける家賃と劣悪な住宅事情に抗議するため、無期限のキャンプを開始したのだ。参加者たちは、政府が近く閣議決定する予定の住宅関連法案が不十分であるとし、投機を規制し、誰もが尊厳ある住居を確保できる抜本的な対策を求めている。この広場占拠という手法は、2011年にスペインの政治を根底から揺るがした反格差運動「15M運動」を強く想起させ、住宅問題が単なる経済問題ではなく、世代間の断絶と政治不信を象徴する社会問題へと発展していることを示している。

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ソル広場に集う人々の肖像

広場に集まったのは、特定の政治思想に染まった活動家だけではない。大学の学位や修士号を持ちながら複数の仕事を掛け持ちしても家賃が払えない30代、親元を離れて自立したくても部屋すら借りられない20代、そして自分たちの孫世代の将来を憂う高齢者まで、その顔ぶれは多様だ。彼らが共有するのは、労働の対価としてまともな生活が送れないという閉塞感と、政治が自分たちの声を聞いていないという怒りである。「親が死ぬのを待たなければ家を持てないのか」というプラカードの言葉は、世代全体の絶望を端的に表している。キャンプでは、食料や水の配給、法律相談、各種ワークショップが自律的に運営されており、参加者同士の連帯が生まれている。これは、制度的な救済からこぼれ落ちた人々が、自らの手でコミュニティと政治的空間を創出しようとする試みでもある。

政治的背景と「15M運動」の記憶

今回の抗議活動が「15M運動の再来」と呼ばれるのには、明確な理由がある。2011年5月15日、同じソル広場で始まったキャンプは、金融危機後の緊縮財政に反対する「インディグナドス(怒れる者たち)」の運動として全国に拡大。既成の二大政党制を揺るがし、後の左派ポピュリスト政党ポデモスの台頭へと繋がった。今回のキャンプも、公共空間の占拠という象徴的な手法、水平的な組織運営、そして既存の政治システムへの不信感といった点で15M運動と共通している。しかし、決定的な違いもある。15M運動が金融資本主義や政治腐敗といった広範なテーマを掲げたのに対し、今回の抗議は「住宅」という極めて具体的で、生活に直結した単一の争点に絞られている。これは、問題がより深刻化し、人々の怒りがより切実なものになっていることの裏返しと言えるだろう。

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構造化するスペインの住宅危機

スペインの住宅危機は、単なる需要と供給の不均衡ではない。その背景には、複数の構造的な要因が絡み合っている。第一に、2008年の不動産バブル崩壊後、経営難に陥った銀行から大量の住宅資産を格安で買い取った投資ファンド、通称「ハゲタカファンド(fondos buitre)」の存在だ。彼らは利益の最大化を目的とし、家賃を大幅に引き上げたり、短期契約を繰り返して住民を追い出したりしている。第二に、Airbnbに代表される観光アパートの急増である。特にマドリードやバルセロナのような大都市の中心部では、長期賃貸用の物件が短期の観光客向けに転用され、市場に出回る物件数を減少させ、家賃高騰に拍車をかけている。賃金が伸び悩む一方で家賃だけが上昇し続ける状況は、多くの若者や労働者階級を「家賃を払うために働く」という悪循環に追い込んでいる。

左派連立政権への圧力

皮肉なことに、この抗議の矛先が向けられているのは、社会労働党(PSOE)と左派連合スマールからなる中道左派の連立政権である。本来であれば、こうした社会運動の受け皿となるべき政権が、当事者たちから「対策が不十分だ」と突き上げられている構図だ。サンチェス政権は2023年に史上初の包括的な「住宅法」を成立させ、家賃上昇に一定の抑制をかけるなどの措置を導入した。しかし、法律の適用は自治体の判断に委ねられている部分が多く、マドリード州のような保守系の自治体は規制に消極的だ。抗議者たちが問題視している新たな法案も、投機目的の不動産購入に対する規制が甘いなど、多くの抜け穴が指摘されている。この抗議は、左派政権にとって自らの支持基盤からの厳しい要求であり、市場の論理と国民の生活保障という相容れない要求の間で、難しい舵取りを迫られている現状を浮き彫りにしている。

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日本の読者への解説

スペインの住宅危機は、遠い国の話ではない。日本の大都市、特に東京圏で暮らす若者たちが直面する困難と多くの点で共通しているからだ。非正規雇用の拡大と賃金の長期停滞の中で、収入に占める家賃の割合(家賃負担率)が上昇し、自立した生活を営むことが困難になっている状況は酷似している。しかし、問題への向き合い方には大きな違いがある。スペインでは、問題が顕在化すると、今回のように広場を占拠するという直接的かつ可視化された社会運動に発展する土壌がある。これは、市民が公共空間を政治的な意思表示の場として捉える文化の現れだ。日本では、同様の不満は主にインターネット上で表明されるか、あるいは個人の自己責任として内面化されがちで、大規模な社会運動に繋がることは稀である。スペインの事例は、住宅という普遍的な問題が、いかにして世代的な不満を結集させ、政治を動かす力になりうるかを示している。日本社会も、若者世代の静かな絶望が、いつか政治的なエネルギーへと転化する可能性を無視することはできないだろう。

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