沈黙を破る文学:元文化相の問いかけ
映画監督、脚本家、そして社会労働党(PSOE)サパテロ政権下で文化大臣(2009-2011)も務めたアンヘレス・ゴンサレス=シンデ氏が、7年ぶりとなる小説『Una noche de 1947』(1947年のある夜)を発表した。物語は1992年、ある田舎町の女性医師が、内戦直後の悲劇的な事件を掘り起こすという筋書きだ。被害者によって数十年間、固く口を閉ざされてきたその過去は、スペインという国が抱える集団的な記憶の傷そのものを象徴している。出版に際したインタビューで彼女が語った「スペインでは、私たちを苦しめるものについて話すことを学んでこなかった」という言葉は、単なる新作の宣伝文句ではない。フランコ独裁政権の暗い記憶と、民主化後の「忘却の協定」を経て、今なお続く歴史認識を巡る社会の分断に、改めて鋭い問いを投げかけるものだ。
背景:民主化を支えた「忘却の協定」という時限爆弾
ゴンサレス=シンデ氏の言葉を理解するには、スペインの現代史、特に1975年のフランコ総統の死から始まる民主化移行期(トランシシオン)にまで遡る必要がある。1936年から39年まで続いたスペイン内戦は、同じ国民が共和国派と反乱軍(国民戦線)に分かれて殺し合った悲惨な同胞殺しの戦争だった。勝利したフランコはその後約40年にわたり独裁体制を敷き、敗れた共和国派の何十万人もの人々を処刑、投獄、あるいは国外追放した。この間、フランコ体制を賛美する歴史観が唯一の「公式見解」として国民に強制され、敗者の声は完全に封殺された。 1975年にフランコが死去し、スペインが立憲君主制の下で民主主義へと舵を切った際、左右両派の政治エリートたちは、過去の清算よりも未来の安定を優先するという暗黙の合意を形成した。これが「Pacto del Olvido(忘却の協定)」と呼ばれるものだ。内戦と独裁時代の責任追及を行えば、まだ軍部に影響力を残すフランコ主義者たちを刺激し、脆弱な民主主義が頓挫しかねない。そうした懸念から、過去の傷には触れず、国民和解と憲法制定を最優先する道が選ばれた。1977年には、政治犯を対象とする恩赦法が制定されたが、これは事実上、独裁政権下の人権侵害に対する免罪符としても機能し、過去の犯罪を裁く道を閉ざした。この「沈黙」は、当時のスペインが平和的な民主化を成し遂げるためには必要不可欠な「知恵」だったと評価される一方で、被害者の正義を置き去りにし、問題の解決を次世代に先送りする時限爆弾を社会に埋め込むことにもなった。
記憶の再燃:掘り起こされる過去と政治対立
「忘却の協定」によって保たれていた平穏は、2000年代に入ると大きく揺らぎ始める。民主化移行期に子供だった世代が成人し、自らの祖父母が受けた仕打ちや、道端の溝や森に打ち捨てられたままの遺体の存在について問い始めたのだ。特に、行方不明となった親族の遺骨を探す市民団体「歴史記憶回復のための会(ARMH)」などの活動が活発化し、ボランティアによる遺骨発掘が各地で始まった。こうした市民社会の動きに後押しされる形で、2007年、同じく社会労働党のサパテロ政権が「歴史記憶法」を制定。フランコ体制下の裁判の不当性を認め、独裁政権のシンボル撤去や、遺骨発掘への公的支援などを定めた。しかし、この法律は保守派の国民党(PP)から「不必要に過去の対立を煽り、社会を分断するものだ」と猛烈な批判を浴びた。彼らは、トランシシオン期の「和解の精神」に立ち返るべきだと主張した。 この対立は、2022年にサンチェス現政権が「民主的記憶法」として、より踏み込んだ法律を成立させたことでさらに激化している。新法はフランコ体制を「違法」と断じ、独裁政権を賛美する行為に罰金を科し、これまで市民団体任せだった遺骨発掘を国家の責務と位置づけた。左派がこれを「被害者の尊厳を取り戻すための歴史的正義の実現」と評価するのに対し、国民党や極右政党VOXは「左派による歴史の書き換えであり、政治利用だ」と非難する。ゴンサレス=シンデ氏の小説の舞台が1992年に設定されているのは示唆的だ。バルセロナ五輪とセビリア万博に沸き、スペインが「モダンな国」として国際社会にデビューしたその輝かしい年の水面下で、語られることのない過去の悲劇がまだ生々しく存在していたことを、物語は示している。
日本の読者への解説:内戦の記憶と向き合う社会の教訓
スペインにおける「歴史の記憶」を巡る議論は、20世紀の歴史といかに向き合うかという点で、日本の読者にとっても多くの示唆を与える。しかし、両国の状況には決定的な違いがある。日本の歴史認識問題が、主に第二次世界大戦における他国への侵略や植民地支配といった「対外的」な側面を軸に展開されるのに対し、スペインのそれは「国内的」な、血で血を洗う内戦の記憶がその核にあるという点だ。 この違いは、記憶の継承のあり方に大きな影響を与えている。スペインでは、加害者と被害者の子孫が、今も同じ村や町で隣人として暮らしているケースが少なくない。「あそこの家の祖父は、うちの曽祖父を密告して殺した側だ」といった記憶が、公には語られずとも、家族の中で静かに受け継がれてきた。ゴンサレス=シンデ氏が言う「痛みを語ることの難しさ」は、こうした極めて個人的で、共同体を引き裂きかねない記憶の性質に根差している。それは、国家間の謝罪や賠償といった外交問題とは質の異なる、根深いトラウマなのだ。 日本の戦後が、経済復興と日米安保体制を基軸とした安定の中で、ある種の「総括の先送り」を行ってきた側面があるとすれば、スペインの「忘却の協定」は、民主主義という新たな体制を守るための、より意識的な「沈黙の選択」だったと言える。しかし、スペインの事例が示すのは、政治的な都合によって蓋をされた記憶は、決して消え去ることはないという事実だ。数十年を経て、次世代がその蓋を開けようとするとき、社会は再び激しい対立と向き合わなければならなくなる。痛みを語り、共有し、公式の歴史として位置づけるプロセスは、多大な困難を伴う。しかし、それを避けた場合に支払うことになる社会的コストもまた、決して小さくはない。スペインの終わらない模索は、歴史の傷と向き合うことの普遍的な重みを、私たちに教えてくれる。













