7月30日と31日にスペインの飛び地セウタへ約7万2000人がモロッコ側から越境した8月危機をめぐり、国家警察の情報部門である国家移民・国境センター(CENIF)が全国管区裁判所(アウディエンシア・ナシオナル)に提出した51ページの報告書が9月1日に流出した。報告書は、制服姿のモロッコ憲兵が移民に進路を指示し、私服の人物が憲兵に指示を出していたとして、越境は自然発生でも密航組織の仕業でもなく「国境管理システムを崩壊させ、国家の対応能力を無力化する」ことを狙った「移民とは別の目的で計画された作戦」だったと結論づける。ところが翌9月2日、警察総局長は内相に対し「モロッコ治安部隊による計画や実行を認定する警察報告書は存在しない」と回答した。担当判事が捜査班に「報告書の内容は判事以外に伝えるな」と命じていたため、内務省の政治指導部は流出報道で初めて内容を知ったという構図である。政府はこれまで「モロッコを示す情報はない」と繰り返し、偽情報を広めたのはロシアとイスラエルだと主張してきた。連立パートナーの左派からは内相の辞任要求が出はじめ、前夜には全国260超の自治体で大規模デモが起きた。9月3日午前9時、サンチェス首相は下院で答弁に立ち、冒頭で「セウタとメリージャは何世紀も前からスペインであり、スペイン政府のもとで時の終わりまでそうあり続ける」と述べた。本稿は答弁の途中段階で、報告書の中身、事前警告の有無、政府説明との食い違い、政治力学を整理する。答弁の全容と各党の反応は午後に続報する。
51ページの報告書は何を言っているのか
CENIFは国家警察の外国人・国境総局に属する分析部門で、2013年に設置された。本部はマドリードにあり、モロッコ国内はもちろんスペイン国外に要員を置いていない。報告書は全国管区裁判所のマリア・タルドン判事の要請で作成され、9月1日(月)に提出された。事件は8月3日の時点で司法手続きに移っており、判事はこの日、警察に報告書を求めていた。
El Español紙が最初に報じ、その後複数紙が内容を確認した報告書の骨子は次の通りだ。第一に、7月30日のモロッコ側の警備は「国境の検問所に限って手薄」で、海岸やアクセス道路には配置がなかった。第二に、制服の憲兵が移民に指示を与え、私服の人物が憲兵に指示を出す場面が画像として残っている。Euronewsによれば、写真で特定されたモロッコ側要員は32人にのぼる。第三に、越境者は装備を整えた15歳から25歳の若い男性、子ども連れの家族、再び若い男性という三つの波に分かれており、自然発生的な人の流れではない。第四に、事前にSNSで拡散された呼びかけには自動化ツールと「コンテンツの専門家」が関与した痕跡がある。第五に、8月1日以降の衛星画像では、モロッコ側の警察と軍の配置がセウタの境界線沿いで急増した。手薄にした後に固めた、という時間差である。
報告書が繰り返し使う言葉が「計画された(planificada)」であり、「自然発生的(espontánea)」ではないという否定形だ。elDiario.esによれば、現場の警官が注目したのは移民の中に紛れていた30代から50代の体格の良い男性たちで、無地のポロシャツと閉じたスポーツシューズという移民らしくない服装で、人の流れに逆らって歩き、絶えず電話をかけ、撮影を続けていた。報告書はこれを現場の「ダイナマイザー(動員役)」と呼ぶ。もっとも、同紙が指摘するように、報告書はモロッコ政府やモロッコの情報機関を名指しで「命じた」とは書いていない。「ラバトにしかできない行動」を列挙し、読者に結論を委ねる書き方である。
「そんな報告書はない」――警察トップの否定と判事の指示
報道の翌日である9月2日未明、フェルナンド・グランデ・マルラスカ内相はフランシスコ・パルド警察総局長に書簡を送り、報道が事実かどうか、事実なら警察はいつからその情報を持っていたのかを「最大限速やかに」説明するよう求めた。書簡は、8月25日に政府が国家安全保障法(2015年法律36号)に基づく「国家安全保障利益」状態を宣言した以上、この種の情報は国家安全保障会議の構成員に直ちに提供されなければならないと述べる。8月25日の宣言については本紙8月26日の記事で詳述した。
パルド総局長は同日、外国人・国境総局長のフアン・アビラ、情報総局長のハビエル・アントニオ・スシンの両総局長を呼び出した。The Objectiveによれば会合は緊張し、総局長は声を荒らげる場面もあった。両総局長の説明は、自分たちは司法警察として判事の指揮下で捜査しており、判事から報告書の作成と内容を上司に伝えないよう指示されていた、というものだった。その後、判事は同日中に捜査班が上司へ報告書を開示することを認めた。
パルド総局長が内相に返した回答は、「7月30日と31日にセウタで起きたことについて、モロッコ治安部隊による計画や実行を認定する警察報告書は存在しない」だった。この一文が野党と連立パートナーの双方を刺激した。報告書の文言をそのまま読めば、憲兵の誘導と私服の指示者を描写しているのに「認定する報告書はない」と言い切るのは、言葉の選び方で実質を打ち消しているように見えるからだ。他方、報告書が政府や情報機関を名指ししていないのも事実で、警察側の回答は形式的には誤りではない。この「どちらも嘘ではない」状態が、今回の政治危機の核心である。
法的には、司法権組織法は捜査を委ねられた司法警察の要員を判事や検事の許可なしに外すことを禁じているが、どの時点から警察の上司への報告義務が判事の指揮に置き換わるのかは明文化されていない。elDiario.esは、マドリード市のコロナ対策をめぐる治安警備隊の捜査で判事が「自分だけに報告せよ」と求めた先例を挙げている。判事が政府関係者の関与を疑う捜査で捜査情報を政治から隔離するのは、それ自体は珍しいことではない。
7月29日の警告――「極度のリスク、確率は中低」
報告書にはCENIF自身が発した9本の警告と情報メモが添付されている。宛先はセウタとメリージャの国境警察署、外国人・国境総局、セウタと西アンダルシアの上級警察本部で、うち2本は7月30日より前に出されていた。核心は7月29日付の警告で、泳いでの越境とフェンス越えを組み合わせた集団行動を「極度のリスク」と分類しつつ、発生確率は「中低」と見積もっていた。根拠として挙げられたのが、7月26日にモロッコの王座記念日を控えて約850人がフェンスに殺到し602人が入域した2018年の先例と、SNS上の呼びかけの増加である。報告書は、呼びかけが王座記念日の7月30日に重ねられたことを「偶然でも無害でもない」とし、モロッコの治安部隊が王室行事に集中し国境が手薄になるというメッセージを内包していたと分析する。
この警告は政府にとって両刃の剣になっている。野党は「7月27日、28日、29日に繰り返し警告を受けながら無視した」と攻める。内務省は逆に「確率は中低とされ、誰もこの規模を予測していなかった」という点を防御に使う構えだと、The Objectiveは内務省筋の話として伝える。El Debateは、国家情報センター(CNI)が「18万人を動員するモロッコの集団」に関する情報を早期警戒チャンネルで政府代表部と治安部隊に伝えていたと報じているが、この数字は同紙の報道にとどまり、他紙による確認は本稿執筆時点で取れていない。
政府の説明との食い違い――「モロッコを示す情報はない」「ロシアとイスラエル」
サンチェス首相は8月31日のカデナ・セール(SER)のインタビューで、モロッコ政府が危機の発端にあることを示す「情報はない」と述べ、政府は「確かな事実とデータ」に基づいて行動すべきであり、モロッコへの非難は「極めて重大で危険、ある意味で根拠を欠く」と語った。危機の引き金として政府が挙げてきたのは、最高裁が7月8日に確定させた判決である。判決は、泳いでセウタやメリージャに入る人には外国人法の「国境での拒否(いわゆる熱い返還)」を適用できず、通常の退去手続きが必要だとした。この判決が「泳いで入れば即時送還されない」という形でフェイスブックのグループなどで広まり、密航ネットワークがそれを利用したというのが政府の説明だった。首相はさらに、偽情報を拡散したのはロシア、イスラエル、そして「極右インターナショナル」だと名指しした。
ただし、この説明にも綻びがある。El Españolが9月1日に報じたEUの対外行動庁の分析は、ロシアがテレグラムやRT、スプートニクを通じて危機を「利用しようとした」ことは認めつつ、それは7月30日以降の話であり、危機そのものが外国の偽情報で引き起こされたことを示す決定的な証拠はないとしている。イスラエルについては、駐国連大使や閣僚ら個人アカウントの投稿はあったが、国家と直接結びついた組織的キャンペーンは確認されず、量もロシアよりはるかに少ない。つまり、政府が原因として語ってきた外国の偽情報は、EU側の分析では結果を増幅した要因にとどまる。
この文脈で思い出されるのが、8月24日にハッカー集団Jabarootがモロッコの2大情報機関の職員データを流出させ、セウタ危機を「王室側近の作戦」と告発した件である(本紙8月26日の記事)。ハッカー集団の告発と国家警察の報告書は出所がまったく異なるが、「モロッコ側の関与」という一点で方向が重なった。モロッコ政府は本稿執筆時点で報告書について公式の反応を出していない。
与党パートナーの離反と野党の攻勢、街頭の数字
サンチェス政権は下院で過半数を持たず、スマール、ERC、ジュンツ、バスク民族主義党(PNV)、EHビルドゥ、ポデモスの協力に依存する。その足元が揺れている。連立与党スマールの一角である統一左翼(IU)は、警察が報告書を隠していたか、あるいは内務省が握りつぶしていたことが確認されればマルラスカ内相は辞任すべきだと述べた。スマールのモニカ・ガルシア保健相は報告書を「重大」と評し、事実なら「作為または不作為によるモロッコの責任」があると語った。シラ・レゴ青年・児童相はモロッコへの「宥和政策」を批判した。ポデモスは内相の更迭とモロッコとの関係断絶を要求する。ERCのオリオル・ジュンケラス党首の言葉が最も端的だ。「何万人もの人々が国境を越えるという集団的決断を、出発する国が知らずに下せるとは、とても信じがたい」。PNVは政府の対応を「最悪」と呼び、閣僚間の発言の矛盾を批判した。
野党の側では、国民党(PP)のアルベルト・ヌニェス・フェイホー党首が9月2日、「知っていて隠した」「司法上の責任が問われる」と述べ、駐スペインのモロッコ大使を直ちに召致し、駐モロッコのスペイン大使を協議のため召還するよう要求した。「この政府はスペイン全体よりモロッコに近い」との言葉も繰り返した。ボックス(Vox)のサンティアゴ・アバスカル党首はさらに踏み込み、憲法102条に基づく首相の訴追手続きを支持するようPPに迫っている。
前夜の街頭の数字は、政権にとって無視できない規模になった。市民団体「Por Ceuta」の呼びかけで260を超える自治体で集会が開かれ、マドリードのシベーレス広場には政府代表部の集計で5万人、市の集計で15万人が集まった。フェイホー、アバスカルの両党首に加え、アユソ・マドリード州首相、アルメイダ市長も姿を見せた。マラガとバレンシアで各5万人前後、セビージャで約4万人、サラゴサで2万5000人と各地の主催者や当局は発表している。バルセロナは市警の集計で約1500人にとどまった。セウタ市内では2万5000人以上が行進した。深夜には下院前の集会の終盤で一部が警官に物を投げ、警察が催涙ガスとゴム弾で応じて4人が逮捕され、警官4人が負傷した(うち3人は軽傷)。全国デモの構図については8月初旬の渡航情報の記事以来、本紙も継続して追っている。
今朝の答弁冒頭――「時の終わりまでスペイン」
9月3日午前9時11分、サンチェス首相は下院本会議で答弁を始めた。冒頭で亡くなった移民に触れ、危機対応にあたった公務員の働きをたたえたうえで、「何世紀も前からセウタとメリージャはスペインであり、外交上の合意によってそうである。そしてスペイン政府のもとで、時の終わりまでそうあり続ける」と述べた。状況を「多面的(poliédrico)」と形容し、複雑さを否定すべきではないと述べ、「絶対的な透明性」をもって情報を提供すると約束した。「われわれはこの1か月をまるごと、この緊急事態を理解することに費やした」という言葉もあった。
政府側が答弁で示す実績として与党社会労働党(PSOE)が挙げるのは、セウタで約3400の一時受入枠を稼働させたこと、公共サービスの強化と経済保護のための3億900万ユーロの緊急計画、8月の社会保険加入者の増加である。首相は9月1日の時点で受入枠を3300から6000に増やすと表明し、「越境した人の10人に9人はすでに去った」とも述べている。セウタに残る人数は内務省が8月中旬に約5000人、セウタ自治市政府が1万から1万2000人と見積もりが割れたままで、保護下の未成年者は8月31日の時点で1478人(うち760人が女児)、さらに約1200人が登録待ちだとレゴ相は説明している。
答弁はこの後、各党の反論と首相の再答弁に移る。焦点は三つに絞られる。首相が報告書の存在と内容をどう位置づけるか。7月29日の警告と「予測できなかった」という説明をどう両立させるか。そして、モロッコ大使の召致や関係見直しに踏み込むかどうかである。
報告書の限界――現地要員ゼロ、名指しはしていない
報告書を政権批判の決定打として扱う前に、留保が必要な点も多い。第一に、CENIFはセウタにもモロッコにも独自の要員を置いていない分析部門で、報告書は現場の警官の観察、越境者への聴取、SNSの公開情報分析を組み合わせたものだ。elDiario.esは、私服のモロッコ側要員に関する主張を他の警察部隊や治安部隊が裏付けたかどうかが検証されるべきだと指摘する。第二に、同紙はCENIFを率いるダビド・アゴレタ主任警視が、ラホイ政権時代に「政治的旅団」の設計者と目されたエウヘニオ・ピノ元作戦担当副長官の法律顧問を務めた経歴を持つと報じており、左派側からは報告書の政治的な色を疑う声が出ている。第三に、報告書はモロッコの憲兵や私服要員の行動を記述しているが、それがモロッコ政府の決定なのか、現場レベルの黙認なのかという指揮系統の問題は未解明のままだ。El Pluralの整理を借りれば、確かなのは「計画されていた」ことと「国境レベルの寛容さ」であり、開かれた問いは「誰が命じたのか」である。
それでもなお、この報告書が政治的に重いのは、政府自身の説明との間に生じた三つの断層による。「情報はなかった」と「9本の警告があった」。「モロッコを示す情報はない」と「憲兵が誘導した画像がある」。「偽情報が原因」と「偽情報は後から乗った」。首相がこの断層をどう埋めるかが、今日の答弁の評価を決める。
日本の読者への解説
セウタはアフリカ大陸の北岸、ジブラルタル海峡に面したスペインの自治都市で、面積は約18平方キロメートル、人口は約8万人。モロッコは領有権を主張し続けており、スペインにとっては主権と対モロッコ関係が常に絡む土地である。今回の焦点は移民そのものよりも「政府は何をいつ知っていたか」に移っており、日本でいえば官邸と警察庁の間で情報が止まっていたことが判明した、という種類の政治問題に近い。
理解の鍵は二つある。一つは、スペインでは重大事件の捜査で警察が判事の指揮下に入る「司法警察」の仕組みがあり、判事は捜査情報を政治から遮断できることだ。今回、判事が「上司に言うな」と命じたことは法的に異例ではないが、その結果として内相が流出報道で初めて報告書を知ったという事態が生まれた。もう一つは、サンチェス政権が少数与党で、左派の協力政党の離反が即座に政権基盤を揺るがすことだ。野党が攻めるのは当然として、連立与党の一角が内相の辞任に言及したことの方が、政権にとっては深刻である。
旅行者への実務的な影響は限定的だ。セウタ自体の渡航情報は米国務省がレベル3に引き上げたままで、イタリアとスペインは互いの旅客に国境管理を延長している(9月1日の記事参照)。半島側の都市での日常やイベントに変化はない。ただし、政治情勢が大きく動けば新たなデモや集会が予告なく組まれる可能性はあり、9月2日のように中心部の広場が一時的に埋まることは想定しておいた方がよい。本紙は午後、答弁の全容と各党の反応を続報する。













