スペインで子どもへの虐待やネグレクト(育児放棄)の兆候に気づいたとき、「よその家庭のことだから」と目をつぶることは、法律上も許されていない。2021年に施行された児童・思春期包括的暴力保護法(通称LOPIVI)は、虐待の兆候を知ったすべての市民に、当局へ通報する義務を課している。窓口は複数あり、緊急なら112、子ども本人はANAR財団の児童相談電話900 20 20 10(無料・秘密厳守・24時間。多くの州ではEU共通番号116 111も)、大人が相談・通報するなら同財団の成人向けライン600 50 51 52、緊急性がなければ市町村の社会福祉課(servicios sociales)で、匿名でも受け付けられる。通報後は行政が調査し、「リスク状況」と判断されれば家庭を維持したまま支援チームが介入、より深刻な「遺棄状態(desamparo)」と判断されれば親権を停止して行政が後見人となり、里親家庭か児童保護施設で子どもを育てる。最新の公式統計では2024年末時点で55,010人の子どもが保護措置下にあり、施設養護が家庭養護を上回っている。制度が機能して人生を立て直した若者がいる一方、2025年12月にアルメリア県で4歳児が死亡した事件のように、警告サインが結果につながらないまま最悪の結末に至った例もある。そして18歳で保護を離れる若者――2024年だけで5,822人――には「自立の崖」が待つ。この記事では、周囲の大人にできること、通報後に起きること、保護されたのちの行方を、うまくいった例といかなかった例の両方から詳しく解説する。

通報は「全市民の義務」―― 確信は要らない、兆候で伝えていい

スペインは2021年6月、児童虐待対策の包括法「Ley Orgánica 8/2021」(通称LOPIVI)を施行した。この法律の第15条は、子どもへの暴力の兆候(indicios)を知ったすべての人に、管轄当局への速やかな通報義務を定める。教師・医師・ソーシャルワーカーなど職業上子どもと接する人にはさらに強い義務(第16条)があるが、ポイントは一般市民も対象だということだ。

ここで言う「暴力」は殴る蹴るだけではない。心理的虐待、屈辱的な罰、ネグレクト(食事・衛生・医療・情緒的ケアの放棄)、性的虐待、家庭内で暴力を目撃させること、いじめやネットいじめまで幅広く含まれる。

窓口は次のように使い分ける。

  • 112(EU共通緊急番号): 目の前で子どもが身体的危険にさらされている場合。
  • 900 20 20 10(ANAR財団・子ども向け全国線): 子ども本人が全国どこからでもかけられる。無料・秘密厳守・24時間365日、心理職が応答し、背後を弁護士とソーシャルワーカーが支える。
  • 116 111(EU共通・児童相談番号): 同じく子ども向け。スペインでは州によって運営主体が異なり、マドリード州・バレンシア州など14の自治州・自治都市ではANAR財団が受託運営している。
  • 600 50 51 52(ANAR財団・大人と家族向けライン): 「通報すべきか迷う」段階の大人の相談に乗ってくれる。匿名可。
  • 市町村の社会福祉課(servicios sociales): 緊急性がない場合の正規ルート。
  • 国家警察(091)/治安警備隊Guardia Civil(062): 犯罪性が明白な場合の被害届・告発(denuncia)。
  • 少年検察(Fiscalía de Menores): 各県にあり、書面でも通報できる。

LOPIVI第15条が定める通報先は「管轄当局」で、社会福祉課・警察・検察・裁判所のどこでもよい。迷ったら、上のどれか一つに伝われば義務は果たされる。そして大切なのは、通報に「証拠」や「確信」は要らないということだ。法律が求めるのは「兆候」の段階での通報であり、調査と判断は行政と専門職の仕事だ。「間違っていたらどうしよう」という遠慮が介入を遅らせることを、法律自体が織り込んでいる。

逆に、してはいけないこともある。親を直接問い詰めて対決すること(子どもへの報復リスクを高める)、子どもを勝手に連れ出すこと(保護のつもりでも法的トラブルになりうる)、SNSで晒すこと(子どもの特定につながり、名誉毀損のリスクもある)。善意の行動が子どもをより危険にすることがある。個人で解決しようとせず、制度に接続することが原則だ。

通報したらどうなるか ―― 「家庭を壊す」のではなく、まず「家庭を支える」

「通報したらあの家庭は壊れてしまうのでは」というためらいは、スペインの制度設計を知ると少し軽くなる。通報後の対応は二段階に分かれている。

第一段階はリスク状況(situación de riesgo)。子どもに害が及んでいるが、家族から引き離すほどの重大性はないと判断された場合、行政は子どもを家庭に残したまま介入する。アンダルシア州の家族治療チーム(ETF)のような専門チームが家庭に入り、親の養育能力の改善を支援する。目標はあくまで家族の保全だ。

第二段階が遺棄状態(desamparo)の宣言。虐待の重大性から分離が必要と判断されると、州政府がデサンパロを宣言し、親権を停止して行政自身が後見人(tutela)となる。ここで初めて子どもは家庭から離れる。

つまり通報は「家族を引き裂くボタン」ではない。多くのケースはまず家庭内での支援から始まる。通報は行政に「この家庭を見てほしい」と伝える行為であり、その先の判断は多職種の専門チームが行う。

保護されたのちの行方 ―― 里親か施設か、そして「18歳の崖」

デサンパロが宣言された子どもの行き先は大きく二つある。家庭養護(acogimiento familiar)は、親族(祖父母・おじおばなど)または研修を受けた里親家庭で暮らす形で、法律上、特に幼い子どもについて優先すると定められている。施設養護(acogimiento residencial)は、児童保護施設で教育職員とともに暮らす形だ。

ここに、スペインの制度が今まさに直面している課題がある。青少年・児童省の最新統計公報(第27号・2024年データ)によれば、2024年末時点の施設養護は19,977件で、家庭養護の16,486件を上回った。施設養護は1年で16.7%増え、「2030年までに家庭養護70%」という国の公約からむしろ遠ざかっている。背景には、保護者を伴わず到着する移民の未成年者の急増があり、受け皿が施設に偏らざるを得ない事情がある。また法の原則に反して、6歳以下の幼児約1,200人がいまだ施設で暮らす。政府と自治州は2022年、幼児の施設入所を2026年までになくす目標で合意したが、現実は追いついていない。

保護の最終目標は、可能であれば実家庭への再統合(reunificación)だ。親が養育能力を回復したと判断されれば子どもは家庭に戻る。それが不可能な場合は長期の里親委託や養子縁組に進む。

そして最大の構造問題が「18歳の崖」だ。2024年には5,822人の若者が、成人と同時に保護システムを離れた(前年は4,627人)。スペインの若者の平均自立年齢が約30歳であるのに対し、彼らは18歳で、家族の後ろ盾も貯金もないまま大人の人生を始めなければならない。Aldeas Infantiles SOSが2025年10月に公表した調査によれば、元被保護児童(extutelados)の40.9%が貧困・社会的排除のリスクにあり、一般人口の24.5%を大きく上回る。スペインで最も排除リスクの高い集団だ。各地にNGOによる自立支援プログラムがあるが、カタルーニャのオンブズマンは2025年、退所後の追跡・伴走の不足を公式に警告している。

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制度が機能したとき ―― パトリシアとラウルの場合

スペイン紙eldiario.esが2018年に報じた二人の若者の実話は、制度の光の部分を示している(本人が実名で取材に応じた公表事例)。

パトリシアは6歳まで実の家族と暮らし、その後3年間を児童保護施設で過ごした。彼女を家庭に迎えたのは、学校の同級生の両親だった。適応は簡単ではなく、7年間心理サポートを受け続けた。実の家族との交流も保ちながら里親家庭で育った彼女は、取材当時21歳。幼児教育の教師を目指して勉強しながら、里親家族との正式な養子縁組の手続きを進めていた。

ラウルは、極度の貧困と家庭内暴力の中で育ち、行政によって家族から分離された。施設で14年間、成人まで暮らした。到着時の「圧倒されるような孤独と空虚」を語る一方で、彼は映画監督になり、施設で育つ子どもたちを描く映像プロジェクトを立ち上げて、後に続く子どもたちのために家庭養護の拡大を訴えている。

二人に共通するのは、「保護されたら人生が終わる」のではなく、「保護されたところから人生が始まった」ことだ。もちろん全員がこうなるわけではない。だが、周囲の誰かが動き、介入がなされなければ、この二つの人生は存在しなかった。

制度が機能しなかったとき ―― アルメリアの4歳児

光の反対側に、2025年12月の事件がある。アルメリア県の海辺の町ガルーチャに住んでいた4歳の男の子が、12月3日夜、隣接するモハカルの海岸で遺体で発見された。司法手続き中の事案であり関係者には推定無罪が適用されるが、裁判所は21歳の母親とそのパートナーの保釈なし勾留を決定し、判事の決定書は男児が死に至るまで身体的暴力を受けていたと認定している。

この事件が社会を揺さぶったのは、警告サインが事前に存在したとみられるからだ。報道によれば、社会福祉課は死の約2週間前の11月20日に母親と面接しており、次の家庭訪問も予定されていた――男児の遺体が発見された翌日、12月4日に。報道はまた、母親とそのパートナーの双方に児童虐待に関わる逮捕歴があったと伝えている。母方の祖父側の弁護士は、家族が男児のこめかみのあざを治安警備隊に示して警告しようとしたが、医師の診断書も母親本人の被害届もないとして動かなかったと主張している。一方、行政側(アルメリア県庁)は「検察の要請に基づき適切に対応した」とし、捜査上の秘密を理由に詳細を明らかにしていない。誰が何をいつ知っていたのかは、現在も調査が続いている。

確定していない部分は多い。それでも一つ言えるのは、この種の事件の検証で繰り返し指摘されるのが「点と点がつながらなかった」という構図だということだ。親族は何かに気づいていた。近隣も何かを見ていたかもしれない。行政の面接記録もあった。しかし個々の情報が「診断書がない」「正式な被害届がない」という形式の壁で止まり、統合されたリスク評価に至らなかった。LOPIVIが市民の通報義務をわざわざ法律に書き込んだのは、まさにこの「誰かがやるだろう」の隙間を埋めるためだ。

日本の読者への解説 ―― 「189」と児童福祉法25条

日本にも同じ仕組みがある。児童相談所虐待対応ダイヤル「189(いちはやく)」は24時間365日・匿名可・通話料無料で、スペインの児童相談電話と社会福祉課を合わせたような入口だ。そして意外に知られていないが、日本の児童福祉法25条も、要保護児童を発見した者に通告義務を課している。「全市民に通報義務がある」のは日本もスペインも共通だ。

大きく違うのは保護後の行き先だ。日本の社会的養護は依然として施設中心で、里親等委託率は24.3%(2022年度末)にとどまる。スペインも前章で見たとおり施設養護が増勢に転じて理想を実現できていないが、それでも家庭養護の比率は45%と日本のほぼ倍であり、幼い子どもは家庭養護優先という原則を法律に明記している。「子どもは施設ではなく家庭で育つべきだ」という国際的潮流(国連子どもの権利条約、2019年の国連総会決議)に対し、両国とも目標と現実の差を抱えたまま、スペインが一歩先を歩いている構図だ。

もう一つの共通点は、通報をためらう心理だろう。「家庭の問題に口を出すべきではない」「間違っていたら申し訳ない」――この感覚は日本もスペインも変わらない。だが両国の制度は同じ答えを用意している。判断するのはあなたではない。専門職だ。あなたの仕事は、気づいたことを伝えるところまででいい。

児童虐待の報道に接するたび、「周囲は何をしていたのか」という問いが繰り返される。しかしその「周囲」は、いつか自分かもしれない。スペインの法律は、その時のための電話番号と、「確信がなくても伝えていい」という許可を、すでにあなたに与えている。通報は家庭への攻撃ではない。多くの場合、それは行政による家庭支援の入口であり、最悪の場合には、一つの人生を丸ごと救う最初の一歩になる。スペインで暮らす日本人に向けた他の実用情報は暮らしのガイドにまとめている。

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