壮大な失敗と奇妙な復活劇

スペインのポップミュージック史に名を刻む伝説的バンド「メカノ(Mecano)」の元メンバー、ナチョ・カノ氏。彼が長年の構想の末に世に送り出した壮大な歴史ミュージカル『マリンチェ』が、マドリードでの公演で巨額の負債を抱えて破産した。しかし、その物語は単純な商業的失敗では終わらなかった。破産したはずの作品は『マリンチェ・シンフォニック』と名を変え、スペイン各地で次々と上演されている。その舞台裏には、保守政党・国民党(PP)が統治する自治体からの公的資金の注入という共通点があった。この一連の出来事は、スペインにおける文化、政治、そして公的資金の不透明な関係性を浮き彫りにし、さらには現代スペインを二分する「文化戦争」の様相を呈している。

巨額の負債を残したミュージカル『マリンチェ』の破綻

ナチョ・カノ氏がプロデュースしたミュージカル『マリンチェ』は、16世紀のアステカ帝国征服をテーマに、スペイン人征服者エルナン・コルテスと、彼の通訳であり伴侶となった先住民の女性マリンチェの関係を描くという野心的な作品だった。マドリードの見本市会場IFEMAの敷地に特設テントを建設するなど、大規模な投資が行われ、鳴り物入りで開幕した。しかし、観客動員は伸び悩み、経営は悪化。最終的に、公演を運営していた「プロドゥクシオネス・マリンチェ社」は620万ユーロ(約10億円)もの負債を抱え、2025年3月に事実上破産した。

この負債の内訳は深刻だ。会場を提供した半官半民のコンソーシアムであるIFEMAに対して約100万ユーロ、さらに社会保障庁にも約24万ユーロの未払い金が残された。つまり、公的性格の強い組織に対して多額の債務を踏み倒した形となったのだ。この破綻劇は、著名アーティストによる鳴り物入りのプロジェクトが、商業的な現実の前に脆くも崩れ去った事例として報じられた。しかし、カノ氏はマドリードでの事業を清算する一方で、フロリダに新たな会社を設立し、メキシコでの同様の公演準備を進めるなど、不可解な動きを見せていた。

国民党(PP)の庇護下での「シンフォニック版」としての延命

破産したはずの『マリンチェ』の音楽は、スペインから消えることはなかった。新たに『マリンチェ・シンフォニック』と名付けられた、オーケストラとロックバンドによるコンサート形式の公演が、スペイン各地で上演され始めたのである。奇妙なのは、これらの公演が、マラガ、エストレマドゥーラ州、マドリード郊外のポスエロ・デ・アラルコン、サラマンカといった、すべて国民党(PP)が市政や州政を担う地域で、公的契約によって開催されている点だ。

契約形態は自治体によって様々だが、数万ユーロの公金が投じられている。例えばサラマンカでは約8万5000ユーロ、エストレマドゥーラ州では約6万7000ユーロが支払われた。これらの公演を請け負っているのは、破産したプロドゥクシオネス・マリンチェ社ではなく、2023年末に設立された「テンポ・ルバート社」という別の会社だ。ナチョ・カノ氏の名前は公式な書類には見当たらないものの、彼自身がソーシャルメディアで公演を宣伝するなど、実質的な関与は明らかだ。これは、旧会社の負債から切り離された形で、同じコンテンツを公的資金で存続させるという、巧妙な法的スキームが用いられていることを示唆している。

歴史修正主義と「文化戦争」の象徴として

なぜ国民党(PP)の自治体ばかりが、この作品に公金を投じるのか。その答えは、ミュージカルのテーマと、国民党が推進するイデオロギーに深く関わっている。スペインでは近年、自国の歴史、特にアメリカ大陸の「発見」と征服の歴史をどう評価するかをめぐり、左右の政治勢力間で激しい「文化戦争」が繰り広げられている。

左派勢力が植民地主義の暴力性や搾取を批判的に検証しようとするのに対し、国民党を中心とする右派勢力は、スペインによる征服がもたらした「混血(メスティサヘ)」や文化の融合といった側面を強調し、「黒い伝説(レジェンダ・ネグラ)」と呼ばれる反スペイン的な歴史観に対抗しようと試みている。マドリード州知事のイサベル・ディアス・アユソ氏や、エストレマドゥーラ州知事のマリア・グアルディオラ氏といった国民党の有力政治家は、エルナン・コルテスを再評価する発言を繰り返し、歴史修正主義的な動きを主導してきた。

ナチョ・カノ氏の『マリンチェ』は、まさにこの右派の歴史観に合致する文化コンテンツと見なされている。カノ氏自身もグアルディオラ州知事が主催するイベントに同席するなど、国民党との近しい関係を隠していない。つまり、国民党の自治体にとって『マリンチェ・シンフォニック』への公的資金投入は、単なる文化振興ではなく、自らのイデオロギーを広めるための政治的投資という意味合いを帯びているのだ。破産したプロジェクトが、政治的な庇護の下でゾンビのように生き永らえている構図は、文化が政治的道具として利用される危険性を如実に示している。

日本の読者への解説

この一件は、スペイン特有の政治・社会状況を反映していると同時に、日本の我々にとっても示唆に富む。まず、文化と政治の距離の問題だ。日本でも、特定の歴史観やイデオロギーを反映した映画や芸術作品に公的助成金が支出されるべきか否かが議論になることがある。しかし、スペインの事例は、特定の一政党(国民党)が、その党のイデオロギーに沿った特定のアーティストの作品を、党が支配する複数の自治体で集中的に支援するという、より直接的で露骨な癒着構造を示している点が特徴的だ。

また、スペインの地方分権制度もこの問題の背景にある。スペインでは各自治州が文化政策に関して強い権限と独自の予算を持っているため、国政レベルで野党であっても、地方で政権を握れば自らの政治思想を文化政策に反映させることが可能だ。これは、中央集権的な傾向が強い日本の地方自治とは異なる点であり、政治的な対立が国全体だけでなく、各地域を舞台に先鋭化する要因ともなっている。

さらに、この問題の根底には「アミギスモ(amiguismo)」と呼ばれる縁故主義の文化がある。政治家が旧知の仲である著名アーティストに便宜を図るという構図は、多くの国で見られるが、スペインでは特に根深い問題とされる。商業的に失敗し、公的機関に多額の負債を残したにもかかわらず、政治的なつながりによって再び公的資金を得られるという現実は、公正であるべき公的契約のあり方に大きな疑問を投げかける。文化支援の名の下に、政治的な思惑や個人的な関係が優先されるとき、文化そのものの多様性や健全性が損なわれる危険性を、このスペインの事例は教えてくれる。

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