はじめに:舞台上に蘇るリバタリアン・キャバレー

スペイン演劇界で最も重要な演出家の一人、アンドレス・リマが、首都マドリードの権威あるアバディア劇場で新作『Libres!!!』を発表した。本作は単なる演劇作品ではない。1920年代から30年代にかけてスペインで花開いた、エロティックで挑発的な大衆芸能「シカリプシス(sicalipsis)」の形式を借り、スペイン第二共和政期に活動したアナーキスト・フェミニズム団体「自由な女性たち(Mujeres Libres)」の思想と闘いを現代に蘇らせるという、野心的な試みである。女優アルバ・フローレスらをキャストに迎え、本作はスペインの「忘れられた歴史」を掘り起こし、現代社会が直面する課題を鋭く問い直している。本稿では、この注目作を切り口に、その背景にある歴史的文脈と、現代における芸術的・政治的意義を多角的に分析する。

忘れられた芸術潮流「シカリプシス」と演劇的戦略

『Libres!!!』の芸術的な核となっているのが、「シカリプシス」という、日本の読者には馴染みの薄いであろう芸術潮流だ。これは20世紀初頭のスペインで流行した、性的なものを暗示的、あるいはユーモラスに、時には露骨に扱う舞台芸術や文学を指す。リマ監督は、このシカリプシスを、同時期にドイツでカール・ヴァレンティンらが展開したキャバレー文化や、ダダイズムを生んだチューリッヒのキャバレー・ヴォルテールと地続きのものとして捉えている。一見すると単なる「ピカレスク(悪漢小説的)」な娯楽に見えるが、リマによれば、当時の保守的な社会規範に対する強烈なカウンターカルチャーであり、革命的なエネルギーを秘めていたという。

劇中では、この時代の政治的・社会的な風刺に富んだ大衆歌謡「クプレ(cuplé)」が重要な役割を果たす。楽曲自体は当時のものが使われているが、脚本家のエステル・F・カロデグアスが歌詞を現代的に書き換えた。『組合活動家』『女性代議士』『共産主義者』といったタイトルの楽曲が、現代の視点から新たな意味を帯びて響く。リマ監督が指摘するように、キャバレーという形式は、演者の存在感、歌、踊りが支配する空間であり、理屈よりも身体的なエネルギーが観客に直接訴えかける。この「シカリプシス」とキャバレーの持つ生命力、遊び心、そして体制への反抗精神こそが、リマが現代に必要だと考える要素なのだ。彼はこれを70年代後半のパンクムーブメントにも通じるものだと語っている。

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歴史の舞台に上がる「自由な女性たち(ムヘーレス・リブレス)」

この作品が光を当てるもう一つの重要な要素が、1936年に設立されたアナーキスト・フェミニスト組織「ムヘーレス・リブレス」である。ルシア・サンチェス・サオルニル、メルセデス・コマポサーダ、アンパロ・ポチ・イ・ガスコンといった女性たちが中心となり、女性の解放を目指して活動した。彼女たちの闘いは二重であった。一つは社会全体の変革を目指すアナーキズムの闘い、もう一つは、その革命運動内部にさえ根強く残る家父長制との闘いである。

『Libres!!!』の舞台には、これらの創設者たちに加え、エミリア・パルド・バサン、通称ラ・パシオナリアことドロレス・イバルリ、クララ・カンポアモール、ビクトリア・ケントといった、スペイン近代史における重要な女性たちが次々と登場する。彼女たちは、女性参政権の導入など、スペイン第二共和政(1931-1939)という短いながらも革新的な時代を象徴する存在だった。この時代、女性は舞台芸術の世界でも中心的な役割を担い、シーンの「所有者」であったとリマは言う。しかし、1939年に内戦がフランコの勝利で終わり独裁政権が始まると、こうした豊かで自由な文化活動、特にフェミニズムやアナーキズムの思想は徹底的に弾圧され、沈黙させられた。この作品は、フランコ体制によって意図的に消し去られた歴史の記憶を、芸術の力で取り戻そうとする試みでもあるのだ。

現代社会への問いかけ:笑いと挑発の政治性

アンドレス・リマは、なぜ今、この時代の精神を蘇らせる必要があるのかを明確に語る。彼は、現代の世界、特にヨーロッパで台頭する「超反動的な運動」と、それに伴う道徳観の「小さな退行」に強い危機感を抱いている。分断や暴力を煽る極右的な言説に対し、リマは「ムヘーレス・リブレス」が掲げたリバタリアン(自由至上主義的)な思想、特に「普遍的な友愛」という考え方を対置する。それは、人間賛歌であり、生命力に溢れ、遊び心と反抗心に満ちた思想だ。

リマがこの作品で最も重視するのは、キャバレーという形式がもたらす「笑い」の効果だ。彼は「笑いは、観客に思考を強いる距離化の要素だ」と述べる。観客は、非常にシリアスで、時には悲劇的な内容を、笑い飛ばすことを求められる。この一見矛盾した体験が、観客を単なる受動的な享受者から、能動的な思考者へと変える。悲劇的な事柄を笑うことで、観客は自らの内面をかき乱され、当たり前だと思っていた価値観を揺さぶられる。これは、プロパガンダのように一方的なメッセージを押し付けるのではなく、観客自身の自己批判を促すための高度な演劇的戦略と言える。深刻なテーマを深刻なまま提示するのではなく、あえて「不謹慎な」笑いで包むことで、より深く、より根源的な問いを突きつけるのだ。

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日本の読者への解説

アンドレス・リマの『Libres!!!』が掘り起こすスペインの歴史は、日本の読者にとっても決して無関係ではない。まず、抑圧的な体制が登場する前に、自由で実験的な文化が花開いたという構図は、日本の歴史にも見出すことができる。スペイン第二共和政期の文化的多様性は、日本の大正デモクラシーから昭和初期にかけての「エロ・グロ・ナンセンス」や「モダンガール」といった文化現象と響き合う。どちらも、その後の軍国主義や権威主義体制によって抑圧され、歴史の表舞台から姿を消したという点で共通している。

また、「ムヘーレス・リブレス」が体現したアナーキズムとフェミニズムの結合は、日本の思想史における伊藤野枝や金子文子といった女性たちの活動を想起させる。彼女たちもまた、単なる女性の権利向上だけでなく、国家や資本主義、家父長制といった既存の権力構造そのものを問い直す、よりラディカルな思想を持っていた。国家権力によってその活動が断ち切られた点も悲劇的な共通点であり、スペインの「沈黙させられた歴史」を知ることは、日本の近代史の別の側面を照らし出すことにも繋がる。

さらに、演劇という手法で政治や社会に切り込む本作の姿勢は、1960年代以降の日本の「アングラ演劇」の系譜とも比較できるだろう。既成の演劇の枠を壊し、挑発的な表現で社会のタブーに挑戦した寺山修司や唐十郎らの活動と、リマの試みには通底するものがある。スペインがフランコ独裁後の「忘却の協定」という過去との向き合い方に長年苦しんできたように、歴史の記憶をいかに継承し、現代の課題として捉え直すかというテーマは普遍的なものである。本作は、芸術が歴史の「声なき声」をいかにして現代に響かせることができるかを示す、力強い一例と言えるだろう。

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