事件の再訪:1975年ローマの記憶
スペインの主要紙ABCが、約50年前にイタリアを震撼させた「チルチェーオの虐殺」を現代的な視点から再検証する長文記事を掲載した。1975年9月30日の夜、ローマの閑静な住宅街でフィアット127のトランクから助けを求める声が聞こえたことから、イタリア現代史における最も暗い事件の一つが発覚した。この事件は、単なる残忍な殺人事件として片付けられるものではない。それは、当時のイタリア社会を覆っていた「鉛の時代」の政治的暴力、富裕層の倒錯した特権意識、そして根深いミソジニー(女性嫌悪)が凝縮された象徴的な出来事であった。さらに、犯人の一人がスペインに逃亡し、長年にわたり潜伏していた事実は、この事件が国境を越えた闇を抱えていることを示している。
チルチェーオの別荘で起きた惨劇
事件の加害者は、ローマの高級住宅街パριオーリに住む裕福な家庭の青年3人、アンジェロ・イッツォ、アンドレア・ギーラ、ジャンニ・グイド。彼らはネオファシスト系の過激派組織MSI(イタリア社会運動)と繋がりを持ち、暴力と特権を謳歌する生活を送っていた。一方、被害者となったのは、労働者階級出身のドナテッラ・コラサンティ(17歳)とロザリア・ロペス(19歳)の2人の若い女性だった。
1975年9月29日、加害者たちは「パーティーに行こう」と偽って2人を誘い出し、ローマ近郊の海辺の高級リゾート地サン・フェリーチェ・チルチェーオにあるギーラの別荘に連れ込んだ。そこで2日間にわたり、想像を絶する拷問、性的暴行、そして暴力が繰り広げられた。加害者たちは、この行為を「娯楽」と見なし、自分たちの優越性を確認する手段として実行したとされる。彼らは最終的に2人を殺害したと思い込み、遺体を車のトランクに詰めてローマに戻った。しかし、奇跡的にドナテッラ・コラサンティは意識を失っていただけで生きており、車のトランクの中から助けを求めて叫び声を上げたことで、事件が発覚した。ロザリア・ロペスは、別荘のバスタブで溺死させられていた。
この事件の衝撃は、その残虐性だけによるものではない。加害者たちが裕福なエリート層であり、被害者たちが労働者階級であったという明確な階級対立の構図が、イタリア社会に大きな亀裂を生んだ。裁判の過程で、加害者側の弁護士は被害者たちの素行に問題があったかのような主張を展開し、これが当時のイタリアのフェミニスト運動を激化させる大きなきっかけとなった。裁判所前では連日、女性たちが「私たちは魔女ではない、私たちは聖人でもない、私たちはただの女性だ」と叫び、司法における性差別と階級差別に抗議した。
「鉛の時代」とネオファシズムの暴力
この事件を理解するためには、1970年代のイタリアが「鉛の時代(Anni di piombo)」と呼ばれる、極左と極右によるテロが吹き荒れた時代であったことを知る必要がある。極左組織「赤い旅団」によるアルド・モーロ元首相の誘拐殺人事件に象徴されるように、政治的な目的を掲げた暴力が日常的に発生していた。しかし、チルチェーオの虐殺は、そうした政治テロとは異質な様相を呈していた。
加害者たちのネオファシズム思想は、明確な政治的目標よりも、むしろ暴力そのものを賛美し、弱者を支配することに快感を見出す倒錯したエリート主義と結びついていた。彼らにとって、労働者階級の女性は、自分たちの思想的・社会的な優位性を確認するための「モノ」でしかなかった。この「娯楽としての殺人(omicidio ricreativo)」という概念は、イタリア社会に深い衝撃を与えた。それは、イデオロギー闘争の果ての暴力ではなく、特権階級の退廃と虚無が生み出した、より根源的な悪として受け止められたのである。
事件後の裁判で、イッツォとグイドは終身刑を宣告された。しかし、彼らの犯罪はそれで終わりではなかった。イッツォは服役中に脱獄と再犯を繰り返し、グイドもまた刑務所からの逃亡を試みた。彼らの反省のない態度は、司法制度や更生プログラムの限界を露呈させると同時に、特権意識に根差した悪の根深さを改めて社会に突きつけた。
スペインへの逃亡:独裁政権末期の避難所
この事件がスペインと深く関わるのは、主犯格の一人、アンドレア・ギーラの存在である。ギーラは事件直後、巧みに捜査網を潜り抜け、国外へ逃亡した。彼は欠席裁判で終身刑を宣告されたが、その行方は長年謎に包まれていた。後の調査で、彼が偽名を使い、スペイン外人部隊に入隊していたことが明らかになる。
ギーラは「マッシモ・アダミ」という偽名で、アフリカ大陸にあるスペインの飛び地領土メリリャに潜伏していた。フランコ独裁政権の末期から民主化移行期にかけてのスペインは、イタリアの極右テロリストやマフィア関係者にとって格好の隠れ家となっていた。警察組織や情報機関の混乱に乗じ、彼らは身分を偽り、新たな生活を築くことが比較的容易だったのである。ギーラは1994年にメリリャで薬物の過剰摂取により死亡したとされるが、その身元がDNA鑑定によって正式に確認されたのは2005年のことであった。
ギーラのスペイン逃亡と潜伏は、二つの重要な事実を示している。一つは、70年代から80年代にかけて、ヨーロッパの極右ネットワークが国境を越えて機能していたこと。もう一つは、スペインの民主化移行期が、隣国の犯罪者にとって権力の空白地帯として利用されていたという側面である。チルチェーオの虐殺というイタリアの国内事件が、図らずも当時のヨーロッパにおける闇の国際的な繋がりを浮かび上がらせたのである。
日本の読者への解説
1975年にイタリアで起きたこの事件は、半世紀近くを経た現代の日本の読者にとっても、決して無関係な過去の出来事ではない。いくつかの点で、現代日本社会が直面する課題と共鳴する部分がある。
第一に、特権階級による「無敵感」と暴力の問題である。加害者たちが抱いていた「自分たちは何をしても許される」という感覚は、富や社会的地位が法の支配を歪める可能性を示唆する。日本でも、社会的地位の高い人物による不祥事や犯罪が起きた際に、しばしば「上級国民」という言葉を用いて、司法の公平性に対する不信感が表明されることがある。チルチェーオの虐殺は、そうした特権意識が最も極端で病的な形で現れた事例として、社会の格差がもたらす倫理の崩壊について警鐘を鳴らしている。
第二に、政治的イデオロギーとミソジニーの危険な結合である。ネオファシズムという極端な思想が、女性を支配し、搾取し、暴力の対象とすることを正当化する論理として機能した。現代においても、インターネット上の一部コミュニティでは、特定の政治思想と結びついた過激なヘイトスピーチや女性蔑視の言説が蔓延している。イデオロギーが個人の内なる憎悪や差別意識を増幅させ、現実世界での暴力へと繋がりかねない危険性は、日本社会も共有する課題である。
最後に、犯罪の国際化と歴史の清算の問題だ。ギーラがスペインに逃亡し、長年正体を知られずに生活できた事実は、国家間の司法協力の難しさを示す。また、フランコ体制下のスペインが極右の逃避先となった歴史は、独裁政権が残した負の遺産が、周辺国にまでいかに長く影響を及ぼすかを示している。歴史的な事件を風化させず、その構造的な問題を分析し続けることの重要性を、このイタリアの事件は教えてくれるのである。













