英国を代表する知性、スティーヴン・フライとギリシャ神話
俳優、コメディアン、作家、司会者と、英国で最も多彩な才能を持つ文化人の一人として知られるスティーヴン・フライ氏。映画『ワイルド』でオスカー・ワイルドを演じ、『Vフォー・ヴェンデッタ』では印象的な脇役をこなすなど、その顔は日本の映画ファンにも馴染み深い。しかし、彼の活動の核には、幼少期から続く古代ギリシャへの深い情熱がある。その情熱が結実したのが、2017年の『MYTHOS 神話』から始まる壮大なギリシャ神話再話プロジェクトだ。続く『HEROES 英雄』、『TROY トロイ』、そして最新刊『ODYSSEY オデュッセイア』へと至る四部作は、専門家ではない一般の読者に向けて、神々と英雄たちの物語を生き生きと、そしてユーモアを交えて語り直し、英語圏でベストセラーとなった。
フライ氏の神話への傾倒は、子供の頃に手にした一冊の絵本『Favourite Greek Myths』に端を発する。特に、ごく普通の家庭で育った少年が実は特別な存在だったと知るテセウスの物語は、彼にとっての「ハリー・ポッター」だったという。以来、彼の思考は一日に何度も古代ギリシャへと飛ぶ。今回のインタビューで彼は、自身を「書く俳優」ではなく「演じる作家」と定義しており、その創作活動の根幹に文学、とりわけ古典があることを明確にした。この壮大なプロジェクトは、単なる古典の紹介ではない。現代という混沌とした時代に、なぜ我々は再び神話に耳を傾けるべきなのかという、フライ氏ならではの深い洞察に満ちている。
なぜ今、神話なのか?―混沌の時代との共鳴
「我々の世界は、ギリシャの神々の世界と同じくらい混沌としている」。フライ氏のこの言葉は、彼の神話解釈の核心を突いている。気まぐれで、嫉妬深く、暴力的でありながら、時に偉大な創造性を見せる神々の世界は、予測不可能な出来事が次々と起こる現代社会の写し鏡だというのだ。神話の時代から人間の時代へと移行したとされるが、人間が作り出した世界もまた、決して秩序だったものではない。フライ氏は、プロメテウスが神々から盗んで人間に与えた「火」を、現代におけるテクノロジー、特に人工知能(AI)になぞらえる。人間に意識という「内なる火花」を与え、神々に似た創造性をもたらしたこの火が、今や人間自身を神話的存在へと追いやるかもしれない、と警鐘を鳴らす。「もし我々の中のプロメテウスがAIに意識を与えたなら、人類は機械たちが自らに語り聞かせる起源の物語となり、ゼウスの神々のように砕けた彫像と化すかもしれない」という彼の言葉は、技術的特異点を前にした我々の不安を的確に表現している。
また、三千年近く語り継がれる『オデュッセイア』の魅力については、「故郷への渇望」という普遍的なテーマを挙げる。主人公オデュッセウスの内面と、彼が経験する外部の冒険との絶妙なバランス、そして巧みなフラッシュバックの技法は、現代の映画にも通じる。フライ氏は、現代の価値観では不誠実と見なされかねないオデュッセウスを、読者がそれでも応援してしまう点に、物語の奥深さがあると指摘する。それは、神話が単純な善悪二元論や教訓に回収されることを拒み、人間の複雑な本性をそのまま映し出すからだろう。住居へのアクセスが多くの先進国で問題となる現代において、「家に帰る」という物語の持つ力は、より一層切実な意味を帯びているのかもしれない。
古典復興の潮流:神話再解釈の伝統と現在
フライ氏の著作は、英国における根強い古典研究と大衆化の伝統の上に成り立っている。インタビューで彼は、ロバート・グレーヴスといった先達から、メアリー・ビアードやベタニー・ヒューズといった現代の著名な古典学者、さらにはマデリン・ミラー(米国)やナタリー・ヘインズ(英国)のように、女性の視点から神話を再解釈する作家たちの台頭に言及している。特にミラーの『アキレウスの歌』や『キルケ』は世界的なベストセラーとなり、神話の登場人物、とりわけこれまで周縁に置かれがちだった女性キャラクターに新たな光を当てる潮流を生み出した。これは、単なる学問としての古典研究が、現代的なテーマと結びつくことで、いかに豊かで人気のある文化コンテンツになりうるかを示す好例である。
「人文学は死んだ」という嘆きが聞かれて久しいが、フライ氏は「その死は誇張されている」と楽観的だ。大学の古典学科が活況を呈しているという事実は、この潮流を裏付けている。なぜ人々は神話に回帰するのか。フライ氏によれば、神話は我々をとりまくテクノロジーや文化、国家や宗教といった現代的な属性を取り払ったとき、その下に横たわる不変の人間性を暴き出すからだという。「我々の衝動、本能、致命的な弱点、英雄的な強さは、ヘラクレスやアラクネ、メディア、オイディプスのそれと何ら変わらない」。神話は、時代や文化を超えて、我々が何者であるかを教えてくれる最も根源的な物語なのだ。
日本の読者への解説
スティーヴン・フライが語るギリシャ神話の現代性は、西洋文化圏に限られた話ではない。日本社会もまた、彼が指摘する「混沌」のただ中にあるからだ。技術の急激な進歩、価値観の多様化、そして予測不能な国際情勢。こうした中で、自らの立ち位置を見失いそうになる現代人にとって、数千年の風雪に耐えてきた物語が持つ力は大きい。西洋におけるギリシャ・ローマ神話が文化的なDNAとして機能しているように、日本には『古事記』や『日本書紀』に記された独自の神話体系がある。しかし、これらの古典が、フライ氏が語るような形で、現代人の内面に深く接続し、日常的に参照される「生きた物語」となっているかと言えば、疑問符が付くかもしれない。
フライ氏の試みは、神話を権威ある「お勉強」の対象から解放し、現代的な感性とユーモアで語り直すことで、新たな読者層を開拓した点に意義がある。これは日本の古典文化の継承にとっても重要な示唆を与える。また、彼がイカロスの神話(技術への過信による破滅)やプロメテウスとAIの類似性に繰り返し言及する点は、テクノロジーとの向き合い方が問われる日本にとって極めて今日的なテーマだ。古典は、単に過去を振り返るためのものではない。フライ氏が示すように、それは未来を照らし、我々自身の姿を映し出すための鏡なのである。ギリシャ神話の再ブームという現象は、不安定な時代に人々が物語の中に確かな足場を求めようとする、根源的な欲求の表れと言えるだろう。













