「ついに完成」という言葉が、バルセロナでは少し違って聞こえる
2026年6月、日本のテレビは一斉に沸いた。「ガウディの未完の聖堂、ついに完成」「143年の悲願」——生中継の特番が組まれ、172.5メートルの中央塔「イエスの塔」の十字架が夕日に光る映像が、ゴールテープを切る瞬間のように繰り返し流された。
その熱狂に水を差すつもりはない。イエスの塔の完成は、まぎれもなく世界建築史の事件だ。これでサグラダ・ファミリアは、ドイツのウルム大聖堂を抜いて世界で最も高い宗教建築になった。ローマ教皇が献堂に訪れ、街は祝祭の空気に包まれている。
ただ、この街に暮らしていると、「完成」という二文字に小さな違和感が残る。バルセロナの人々がこのニュースに見せる表情は、日本の「感動」とは少し違う。誇りと、苦笑と、これから始まる長い揉め事への身構え——その三つが混ざっている。日本の報道が決して映さない、塔の足元で起きていることを書いておきたい。
2026年に「完成」したのは、塔の外側だけだ
まず事実関係を正確に。2026年に完成したのは、聖堂全体ではない。中央にそびえる「イエスの塔」の外装である。象徴的な節目ではあるが、ゴールではない。
イエスの塔そのものも、内部の工事は2027年から2028年まで続く。十字架の部分には展望台が組み込まれる予定で、観光客が中に入れるようになるのはまだ先だ。そして何より、聖堂の「正面玄関」にあたる最も重要な「栄光のファサード」は、装飾どころか本格的な建設がこれからという段階にある。
サグラダ・ファミリア財団自身が、聖堂全体の完成見込みを2034年から2035年としている。つまり「2026年完成」は、マラソンでいえば残り10キロを残してゴールテープを掲げたようなものだ。日本のメディアが報じた「完成」は、正しくは「中央塔の外観完成」であり、その差は10年近い。
付け加えれば、塔の外装が終わっても、聖堂には膨大な彫刻と装飾の仕事が残っている。とりわけ栄光のファサードの彫刻群はこれからで、石を刻む作業は今後も何年も続く。「塔が完成した」ことと「聖堂が彫り終わった」ことの間には、また別の距離があるのだ。
そもそも、この聖堂は137年間「無許可」で建っていた
地元では半ば笑い話として知られる事実がある。サグラダ・ファミリアは、1882年の着工から長い間、建築許可を持たないまま建ち続けた。ガウディは1885年に申請したが書類は下りず、1897年にこの一帯がバルセロナへ編入される混乱の中で、手続きごと行方知れずになったのだ。世界で最も有名な建築のひとつが、法的には130年以上も無許可建築だった。
この歴史的な「うっかり」が清算されたのは2018年のこと。教会側は今後10年で約3,600万ユーロを市に支払うことで合意し、翌2019年6月、ついに正式な建築許可が交付された。年間約450万人が押し寄せる地区の交通・環境対策に充てる、という条件付きだ。
ただし——ここが肝心だ。この許可が通したのは聖堂「本体」の工事だけだった。最も揉める「栄光のファサード」の玄関廊と、その前に広がる大階段の施工は、はっきりと「後のフェーズ」に切り離された。教会は通せるところだけ通し、難所は意図的に先送りにしたのだ。許可は下りた。だが、本当の難問はそこに含まれていなかった。
宙吊りの大階段——許可ではなく「区画整理」で止まっている
では、何が止まっているのか。許可ではない。大階段を作る土地そのものだ。
ガウディの構想では、栄光のファサードの前に、聖堂へと続く幅60メートルの壮麗な大階段が広がるはずだった。問題は、その場所に今、人が住んでいることである。聖堂と細いマヨルカ通りを挟んだ向かいに建つ集合住宅を、計画通りに進めるなら取り壊さねばならない。影響を受けるとされる住民はおよそ3,000人。少なくとも150戸のアパートと、50ほどの地元商店が立ち退きの対象になりうると報じられてきた。
これは教会の工事許可とはまったく別の問題、つまりバルセロナ市が決める都市計画=区画整理のマターだ。何棟を壊すのか、住民をどこへ移すのか、補償はいくらか——肝心なことが何ひとつ決まらないまま、人々は「いつか取り壊されるかもしれない家」に何年も住み続けている。そして最終的に取り壊しを認可できるのは、教会でも財団でもなく市議会だけである。ここで宗教的悲願と住民の生活権が正面衝突する。
象徴的なのは時間軸だ。塔が「完成」した2026年になっても、この区画整理は決着していない。2026年3月、聖堂建設委員会の代表は、市との合意が「近い」と語った。だが「近い」は「まだ」である。世界が中央塔の完成に沸くその足元で、最後のピースは依然として宙吊りのままだ。聖堂のこれからの10年を支配するのは、石やステンドグラスではなく、この立ち退き交渉なのである。
新しいコンクリートと、古い石——「つぎはぎ」の聖堂
近くで見上げると、すぐに気づくことがある。サグラダ・ファミリアは、一枚岩の聖堂ではない。古い部分と新しい部分が、明らかに別の素材でできているのだ。
ガウディが手がけた「生誕のファサード」は、職人が一彫りずつ刻んだ石でできており、100年の風雨で飴色に黒ずみ、生き物のような有機的な肌をしている。一方、近年すさまじいスピードで立ち上がった塔の多くは、もはや石を積んだものではない。元の基礎の耐荷重に収めるため、軽量化したプレキャスト(工場製作)のコンクリート・パネルや石板を組み上げている。工期が劇的に縮んだ最大の理由がこれだ。だが代償もある。新しい面はのっぺりと白く均質で、ガウディの手仕事の生々しさとは肌合いが違う。古い石と新しいコンクリートの境目には、隠しようのない「つぎはぎ」感が漂う。
地元の建築関係者の評価は、率直に言って割れている。観光客が「荘厳」と息をのむ内部の、森のような柱とステンドグラスの極彩色の光も、人によっては「テーマパーク的」「ガウディの名を借りた別物」と映る。彫刻家スビラックスが手がけた「受難のファサード」の角ばった人物像は、ガウディの有機的な作風とあまりに違い、長年バルセロナで賛否を呼び続けてきた。
そしてこの違和感は、今に始まったものではない。スペイン内戦中の1936年、ガウディが残した石膏模型と設計図の多くが焼失した。以後の建設は、断片からの「復元」であり「解釈」でもある。だからこそ2008年、カタルーニャの建築家たちは「これ以上はガウディの原設計への裏切りだ、工事を止めろ」という声明を出した。さらに遡れば、内戦下にこの建物を見たジョージ・オーウェルは「世界で最も醜い建物のひとつ」と書き残している。「完成を祝うべきか、そもそも完成させるべきだったのか」——この問いは、バルセロナでは100年近く消えていない。
「完成」は、誰のためのものか
サグラダ・ファミリアの建設費は、税金でも教会本体の資金でもなく、入場料と寄付でまかなわれている。年約450万人が落とすチケット代が、そのまま石を積み上げてきた。だからコロナ禍で観光客が消えた数年間、工事は資金難で大きく停滞した。皮肉なことに、この聖堂は観光客が来なければ完成しない建築なのだ。
一方で、その観光客の洪水は、近隣住民にとって日常の重荷でもある。バルセロナでは近年、オーバーツーリズムへの反発が強まり、住民が「自分たちの街が観光のために消費されている」と声を上げ続けている。聖堂の足元で立ち退きを迫られる人々の問題は、この大きな構図の一部でもある。
だからこそ、バルセロナの人々の「完成」への反応は、ひとことでは語れない。ガウディの夢が形になる誇りは本物だ。だが同時に、その夢の最後の一段が、隣人の暮らしの上に積まれようとしている。日本のテレビが切り取った歓喜の生中継の、ほんの数百メートル先で、別の物語が静かに進んでいる。
日本の読者への解説
日本で「サグラダ・ファミリアついに完成」と聞くと、長年の宿題がきれいに片づいた美談として受け取りがちだ。だが現地の感覚はもっと複雑で、現在進行形である。要点を三つに整理しておきたい。
一つ、「完成」は塔の外観であって聖堂全体ではない。 観光で訪れるなら、2026年以降もしばらくは「工事中の聖堂」を見ることになる。栄光のファサード側はむしろこれからが本番で、全体完成は2034〜2035年見込み。「完成したから行こう」ではなく、「歴史が動く現場を見に行く」という心構えのほうが、実際の姿に近い。
二つ、最大の障害は技術ではなく人の暮らしだ。 残る大階段は、向かいの街区の取り壊しと数千人規模の立ち退きを伴いかねず、その是非はバルセロナ市議会の判断に委ねられている。「あと少しで完成」という日本の語り口と、「本当に壊していいのか決着がついていない」という現地の現実には、大きな落差がある。完成が予定より遅れるとしても、それは怠慢ではなく、住民の生活権と聖堂の理想がぶつかっているからだ。
三つ、この聖堂は「つぎはぎ」であり、その評価は割れている。 ガウディの石と現代のコンクリート、複数の彫刻家の異なる作風が同居し、「これは本当にガウディの作品なのか」という問いは100年近く続いている。完璧な統一体ではなく、論争そのものを石に刻み込んだ建築——そう見ると、この聖堂はずっと面白くなる。次にこの聖堂の映像を目にしたら、ぜひ塔の先端ではなく、その足元の通りに目を向けてみてほしい。





