福祉国家の理想から権威主義への転換
かつて「寛容」と「人道主義」の象徴であったスウェーデン社会が、その姿を大きく変えようとしている。2022年に中道右派・穏健党のウルフ・クリステション首相が政権を樹立して以来、同国は驚くべき速さで権威主義的、そして排外主義的な政策へと舵を切った。その変化を象徴するのが、移民に対する非情とも言える一連の決定である。
例えば、スウェーデンで生まれたばかりの乳児エマヌエルちゃんに対し、移民局は単独でのイランへの国外追放を命じた。両親は合法的な滞在許可を持っていたが、法改正の狭間で家族は引き裂かれそうになった。また、自閉症で言葉を話せない4歳のライフ君にも同様の命令が下された。メディアの大きな反響によりこの決定は覆されたものの、こうした事例は氷山の一角に過ぎない。認知症を患う74歳の英国人男性が25年間の居住の末に国外退去を命じられたり、高額な年金受給者である別の英国人男性が「年金は給与と見なされない」という理由で歓迎されないと通告されたりするなど、脆弱な立場にある人々から、これまで社会に貢献してきた富裕層まで、誰もが硬直化した移民政策の標的となっている。
この変化は移民政策にとどまらない。司法政策においても、14歳という若さの少年少女を収監するための新たな刑務所の建設が進められるなど、懲罰的なアプローチが顕著になっている。クリステション首相は、個々の事情に合わせて法を適用することはできないと述べ、こうした強硬路線を正当化している。スウェーデン人権研究所や市民権擁護団体は、政府が「権利」の代わりに「管理」を語るようになり、人権が侵食されていると深刻な懸念を表明している。かつての進歩的で平等主義的な理想は、冷たく非情な現実へと取って代わられつつあるのだ。
ティードー協定:保守本流が極右を招き入れた「禁断の扉」
スウェーデンの劇的な変質の背景には、2022年の総選挙後に結ばれた「ティードー協定」がある。この選挙で、クリステション率いる穏健党を中心とする保守ブロックは僅差で勝利した。しかし、過半数を確保するためには、極右政党「スウェーデン民主党」の協力が不可欠だった。スウェーデン民主党は、ネオナチズムにルーツを持つとされ、長らく他の全ての主要政党から協力関係を拒絶される「Cordon Sanitaire(防疫線)」の対象とされてきた政党である。
クリステション首相は、かつてホロコースト生存者に対し「スウェーデン民主党とは決して協力しない」と公言していた。しかし、政権獲得という目的のために、彼はその約束を破った。ティードー協定により、スウェーデン民主党は正式な閣僚ポストこそ得なかったものの、政府の政策に絶大な影響力を持つ閣外協力という立場を手に入れた。これは、スウェーデンの主流政治が、極右勢力に正統性を与え、国の針路を委ねた歴史的な転換点であった。
保守派の一部は、スウェーデン民主党を協力体制に組み込むことで、その影響力を「薄める」ことができると主張した。しかし現実は正反対だった。むしろ、極右のアジェンダが政府の公式政策として次々と採用され、保守本流が極右の思想に飲み込まれていく結果となった。移民排斥、犯罪への厳罰化、そして多文化主義への懐疑的な視点。かつては過激思想と見なされていたものが、今や政府の中心で語られる「常識」となり、社会で許容される言説の範囲(オーバートン・ウィンドウ)は急速に右側へとスライドした。ティードー協定は、スウェーデン政治の禁断の扉を開けてしまったのである。
欧州全体に広がる右傾化の波:スペインのVOXとの比較
スウェーデンで起きている現象は、決して同国特有のものではない。欧州大陸全体を覆う、より大きな政治的潮流の一部と捉えるべきだ。特に、スペインにおける極右政党VOXの台頭と、中道右派・国民党(PP)との関係性は、スウェーデンの状況と驚くほど酷似している。
VOXもまた、スウェーデン民主党と同様に、かつては主流政界から距離を置かれる存在だった。しかし、近年の選挙で議席を伸ばし、国民党が地方自治体で政権を樹立する際の重要なキャスティングボートを握るようになった。その結果、カスティーリャ・イ・レオン州やバレンシア州など、多くの地域で国民党とVOXの連立政権が誕生している。国民党は、全国レベルではVOXとの連立に慎重な姿勢を見せつつも、地方では権力を維持するために極右との協力を常態化させている。これは、穏健党がスウェーデン民主党とティードー協定を結んだ構図と全く同じである。
この協力関係を通じて、VOXは自らの政策(移民規制の強化、歴史修正主義的な主張、ジェンダー平等政策への反対など)を地方行政に反映させることに成功している。主流保守政党が、極右政党を「現実的な政権運営のパートナー」として受け入れることで、極右の思想が社会に正常なものとして浸透していくプロセスは、スウェーデンとスペインで並行して進行している。フランスにおけるマリーヌ・ルペン氏の国民連合の躍進や、イタリアでのジョルジャ・メローニ首相の誕生も、この大きな文脈の中に位置づけられる。寛容や多文化共生といった戦後ヨーロッパの価値観が、今、大陸の至る所で深刻な挑戦を受けているのだ。
日本の読者への解説
遠い北欧の国スウェーデンの政治的変容は、日本の我々にとっても決して他人事ではない。むしろ、現代社会が直面する普遍的な課題と、民主主義の脆弱性を浮き彫りにする重要なケーススタディと言える。特に、3つの点で示唆に富んでいる。
第一に、国家のアイデンティティと移民政策の関係性である。スウェーデンは長年、人道大国として難民を積極的に受け入れ、多文化共生を国是としてきた。しかし、その理想が社会の現実(犯罪の増加や社会統合の困難など)との軋轢を生み、国民の間に不満が蓄積した結果、排外主義的な政党が支持を拡大した。これは、今後、労働力不足から外国人材の受け入れ拡大が不可避となる日本にとって、重要な教訓となる。どのような理念を持って外国人を受け入れ、どのように社会統合を進めていくのか。明確なビジョンと国民的合意形成を欠いたまま場当たり的な政策を続ければ、将来的に深刻な社会的対立を生む危険性をスウェーデンの事例は示している。
第二に、主流政党の責任である。スウェーデンの右傾化を決定づけたのは、極右政党の伸長そのものよりも、中道右派の穏健党が「政権獲得」という短期的な利益のために、これまで守ってきた「極右とは協力しない」という原則を放棄したことにある。これは、政治的便宜主義が、いかに簡単に民主主義の防衛線を崩壊させうるかを示している。日本においても、特定の政治勢力が支持拡大のために過度にナショナリスティックな言説や排外主義的な主張に接近する誘惑は常に存在する。一度その扉を開ければ、社会の分断を修復するのは極めて困難になる。
最後に、寛容という価値の脆さである。スウェーデンのように、民主主義と人権の基盤が強固だと考えられていた社会でさえ、わずか数年で権威主義的な空気が広がり、マイノリティへの非情な政策がまかり通るようになった。これは、寛容や人権といった価値は、不断の努力なしには維持できないことを物語っている。社会のあり方は固定されたものではなく、政治の選択によっていつでも変わりうる。スウェーデンの変貌は、我々が自明のものと考えている社会の価値観が、いかに脆い基盤の上にあるかを突きつける、痛烈な警告なのである。













