進歩から後退へ:LGBTIの権利を巡る世界的な逆風

過去数十年間にわたり、世界中で着実に進展してきたLGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)の人々の権利が、今、深刻な岐路に立たされている。国際的なLGBTI擁護団体ILGA(国際レズビアン・ゲイ協会)の世界報告書によると、2025年には、同性愛を犯罪と見なす国の数が過去10年間で初めて増加に転じた。これは、ニジェールとブルキナファソが新たに同性愛を犯罪化し、トリニダード・トバゴが2018年の非犯罪化判決を覆したためである。セントルシアでの非犯罪化という前進はあったものの、全体としては後退が上回った形だ。かつては「脅威」と見なされていた極右勢力による反LGBTIの言説は、今や具体的な法改正や権利剥奪という「現実」となって世界各地で現れている。この潮流は、単なる法制度上の変化に留まらない。コンサルティング会社LLYCの調査によれば、2023年以降、LGBTI関連のメディア報道は四半期ごとに10%のペースで減少し、企業の包括性ポリシーも3分の1に減少。SNS上での支持表明も半減する一方で、ヘイトスピーチは38%も急増しているという。法的な後退と社会的な支持の減退が、危険な形で連動し始めているのが現状である。

極右勢力の新たな戦略:「子供の保護」という名の攻撃

この世界的な権利後退の背景には、極右勢力の巧妙な戦略転換がある。かつてのように同性愛そのものを公然と非難する手法は、社会的受容が進んだ西側諸国では支持を得にくい。そこで彼らが持ち出したのが、「子供たちの保護」や「伝統的な家族観の擁護」といった、より受け入れられやすい言説だ。この戦略の下、学校における多様性教育は「イデオロギーの押し付け」や「子供の性的な搾取」であると非難される。この手法の典型例が、ロシアで制定され、ハンガリーや東欧諸国に広がった、いわゆる「反プロパガンダ法」である。これは、未成年者に対してLGBTIに関する情報提供を制限するもので、公の場からLGBTIの存在そのものを消し去ろうとする意図が透けて見える。特に、この新たな「文化戦争」の矢面に立たされているのがトランスジェンダーの人々だ。ILGAが指摘するように、「かつてレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルに対して使われた陳腐な議論が、執拗にトランスジェンダーに向けられている」。英国最高裁がトランス女性を法的な「女性」の定義に含めないとの判断を下したり、米国でトランスジェンダーの権利を制限する法案が記録的な数で提出されたりしているのは、その象徴的な動きと言えるだろう。攻撃の対象をより脆弱なマイノリティに絞り、「常識」や「伝統」を盾にすることで、極右勢力は自らの主張を社会に浸透させようとしているのである。

スペインの現実:Voxと国民党の連携がもたらす揺り戻し

2005年に同性婚を世界で3番目に合法化するなど、LGBTIの権利において世界の先進国と見なされてきたスペインも、この世界的な逆風と無縁ではない。極右政党Voxの台頭が、スペインの政治力学を大きく変えた。Voxは、学校でのLGBTIに関する教育を「イデオロギー的洗脳」と非難し、プライド月間に自治体の庁舎に掲げられる虹色の旗を禁止するよう求めるなど、一貫して反LGBTIの姿勢を鮮明にしてきた。より深刻なのは、中道右派の最大野党である国民党(PP)が、政権獲得のためにVoxとの連携を深めていることだ。国民党は、Voxと連立政権を樹立したバレンシア州やマドリード州などで、既存のLGBTI差別禁止法やトランスジェンダーの権利を保障する法律の骨抜きに着手している。これらの動きは、地方レベルでの具体的な権利の後退を意味する。さらに、国民党とVoxは共に、サンチェス中道左派政権が成立させた国の「トランス法」を違憲であるとして憲法裁判所に提訴しており、政権を奪取した暁には同法を廃止すると公言している。かつては国民党内にもリベラルな派閥が存在し、LGBTIの権利向上に一定の理解を示してきたが、Voxとの選挙協力やイデオロギー競争の中で、その声はかき消されつつある。スペイン社会のLGBTIに対する受容度は依然として高い水準にあるものの、政治の世界では明らかに揺り戻しが起きている。これは、一度獲得した権利がいかに脆いものであるかを物語っている。

日本の読者への解説

スペインと世界で起きているLGBTIの権利後退の動きは、日本の読者にとっても対岸の火事ではない。むしろ、重要な教訓と警告を含んでいる。第一に、権利は一度法制化されれば安泰というわけではない、という厳然たる事実だ。スペインの例は、同性婚をいち早く実現した国でさえ、政治情勢の変化によって権利が脅かされることを示している。日本では同性婚の法制化自体が大きな課題だが、将来的に権利が実現した後も、それを守り続ける努力が不可欠であることを示唆している。第二に、極右勢力が用いる「子供の保護」や「伝統的家族観」といったレトリックの普遍性である。これらの言説は、文化や国境を越えて有効性を持ちやすい。日本でも「LGBT理解増進法」の審議の過程で、「過度な性教育は子供に悪影響を与える」といった類似の主張がなされたことは記憶に新しい。スペインで起きていることは、日本でも起こりうる政治的戦術の予行演習と見ることができる。第三に、中道右派政党が極右政党に引きずられる政治力学の危険性だ。スペイン国民党がVoxとの連携のためにリベラルな価値観から後退している構図は、世界の多くの国で見られる現象である。日本の政党政治においても、特定のイシューで急進的な勢力が影響力を増した際に、主要政党がどのような態度を取るかは、人権問題の将来を大きく左右するだろう。スペインの現状は、法的な権利と社会的な受容度が必ずしも一致しない複雑な現実を浮き彫りにしている。社会の寛容さを過信せず、政治の場で具体的な権利を擁護し続けることの重要性を、我々に突きつけているのである。

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