7月1日に文春オンラインが報じた、俳優・佐藤二朗(57)と橋本愛(30)をめぐるハラスメント問題が、日本のSNSを埋め尽くしている。フジテレビの外部弁護士調査は「深刻なハラスメント」と認定し、佐藤側は「事実とは異なる」と全面的に争う。X(旧Twitter)では双方の支持者が衝突し、橋本のインスタグラムには誹謗中傷が殺到した。当事者の言い分が真っ向から食い違ったまま、SNSという法廷で「審理」だけが進んでいく——。この光景を、スペインで暮らす筆者は既視感とともに眺めている。スペインは2023年、サッカー界の「ルビアレス事件」で国全体が同じ問いに直面し、「Se acabó(もう終わりにしよう)」という運動を生んだ国だ。あれから3年、告発はどこへ到達し、何が変わらなかったのか。日本の騒動をスペインの経験と並べてみると、両国が抱える構造が驚くほど鮮明に見えてくる。本記事は通常より長いが、この問題は短くまとめるべきではないと判断した。

まず日本で何が起きているのか ─ 両論を正確に並べる

報道を時系列で整理する。舞台はフジテレビ系ドラマ『夫婦別姓刑事』の撮影現場。佐藤と橋本はW主演だった。文春オンラインによれば、発端は3月22日、コメディシーンの撮影中に佐藤の指が橋本の顎に触れたことだった。橋本には過去の性被害の経験から身体接触に関する取り決め(NG事項)があったとされ、報道では佐藤はこれを知らされていなかった可能性も指摘されている。問題はその後で、プロデューサーから注意を受けた佐藤が橋本の楽屋を訪れ、彼女のキャリアを否定するような発言をしたと報じられた。

橋本側の事務所は、共演者とのトラブルにより体調を崩して撮影に参加できなくなったとして、6月1日にフジテレビへ報告。フジテレビは外部弁護士による調査を実施し、佐藤の行為を「深刻なハラスメント」と認定した。一方でフジテレビは文春に対して記事の掲載中止を強く申し入れており、この対応自体にも批判が出ている。

対する佐藤は7月1日、自身のXで「さすがに、さすがにもうこれ以上は我慢できません」と投稿。「僕は撮影中、何度も『もう我慢の限界だから、このドラマを降板させてほしい。そして全ての事実を公にするべき』と訴えました」と、自らが降板と事実公表を求めていたことを明かした。所属事務所も「当該記事には、事実とは異なる内容や、一方当事者からの主張のみを前提として構成されている部分が含まれており、弊社としては、その内容を到底受け入れることはできません」と声明を出し、専門家からハラスメントには該当しないとの見解を得たとした。

ここで一度立ち止まりたい。本件について確定した司法判断は存在しない。フジテレビの調査認定は社内手続き上の判断であり、裁判所の事実認定ではない。佐藤側は認定そのものを争っている。本記事は「どちらが正しいか」を裁定する立場にないし、報道各社の情報も一方当事者経由のものが多い段階だ。以下でスペインの事例と比較するのは、個別の真偽ではなく、告発が公になった後に社会がどう振る舞うかという構造である。

スペインの転換点 ─ ルビアレス事件と「Se acabó」

スペインにも「あの日」がある。2023年8月、シドニーで行われた女子ワールドカップ決勝でスペインが初優勝した直後の表彰式。当時のサッカー連盟(RFEF)会長ルイス・ルビアレスが、MFヘニ・エルモソの頭を両手で抱え、唇にキスをした。全世界に生中継された数秒間だ。エルモソは「同意していない」と表明したが、ルビアレスは「合意の上だった」と主張して辞任を拒否し、連盟も当初は彼を擁護した——ここまでの構図は、告発と否認が正面衝突する点で、今の日本の騒動と重なる。

だがスペインでは、そこから雪崩が起きた。女子代表選手81人が「彼が会長である限り代表でプレーしない」と集団で拒否を表明。男子代表や各クラブ、政府までが続き、SNSでは「#SeAcabó(もう終わりだ)」がスペイン版MeTooのスローガンになった。FIFAはルビアレスを職務停止にし、彼は約3週間後に辞任。刑事手続きも進み、2025年2月、スペイン全国管区裁判所は同意のないキスを性的暴行罪(agresión sexual)と認定し、罰金1万800ユーロ、エルモソへの200メートル以内接近禁止1年、賠償3,000ユーロの有罪判決を下した。強要罪については本人および元女子代表監督ビルダら3人は無罪となったが、2026年に入って控訴審は双方の上訴を退け、有罪判決は確定的なものとなった

「表彰式の数秒のキス」が刑事罰に至ったこの判決は、世界のスポーツ界に衝撃を与えた。根拠となったのが、2022年施行の通称「solo sí es sí(イエスだけがイエス)」法だ。性的行為の適法性を「相手が抵抗したか」ではなく「明確な同意があったか」で判断する同意中心主義への転換であり、ルビアレス事件はこの新しい物差しが最も可視的に適用されたケースだった。

ところが映画界では ─ スペイン版MeTooの「未完」

ではスペインは告発が機能する国になったのか。そう単純ではない。むしろ芸能・映画界に限れば、スペインは日本と似た足踏みを続けている

2024年1月、エル・パイス紙は映画監督カルロス・ベルムト(『マジカル・ガール』などで国際的に評価された作家だ)について、3人の女性が性的暴力を訴えていると報じた。ベルムトは性的関係自体は認めつつ「合意がなかったとは考えていない」と反論。報道はスペイン映画界最大の祭典ゴヤ賞授賞式の直前で、映画アカデミーはハラスメント対応プロトコルを整備して式典に臨んだ。同年12月には同じくエル・パイス紙が、映画監督エドゥアルド・コルテスについて27人の女性が「役と引き換えの性行為の要求」などを告発し、被害当時未成年だった者も含まれると報道。カナリア諸島の映像作家アルマンド・ラベロの事案も並び、スペイン映画界は連続的な告発の波に洗われた。

しかし、その後はどうなったか。フェミニズム系・文化系メディアからは「El MeToo fallido del cine español(スペイン映画界の失敗したMeToo)」「帰結なき告発」という総括が出ている。プロトコルや宣言は増えたが、業界の構造——キャスティング権力の集中、フリーランスの立場の弱さ、告発者が「扱いにくい人」として静かに仕事を失うリスク——は温存されたままだという批判だ。ハリウッドのようにプロデューサーが実刑判決を受け、業界の勢力図が塗り替わる規模の地殻変動は、スペイン映画界では起きていない。

つまりスペインの経験はこう要約できる。選手たちが集団で立ち上がり、法律という明確な物差しがあったサッカー界では告発は有罪判決まで到達した。個人が孤立して声を上げるしかなく、権力構造が密室的な映画・芸能界では、告発は波紋を広げても構造を変えるに至っていない。日本の芸能界の現在地を考えるうえで、この対比は示唆的だ。

告発の代償 ─ エレホン事件が見せた泥沼

スペインにはもう一つ、日本の読者に知ってほしい事件がある。2024年10月、左派連合スマールの看板政治家イニゴ・エレホンが、女性への性的暴力の告発を受けて即日辞任した。政界の反応は速かった——ここまでは「制度が機能した」例に見えた。

だがその後の刑事手続きは泥沼と化した。告発した俳優エリサ・モウリアの主張には矛盾が指摘され、検察は不起訴(手続き打ち切り)を裁判所に求めた。モウリア側は告訴を取り下げたかと思えば撤回して維持を表明。さらにエレホン側が「証人への圧力があったと虚偽の発言をされた」として名誉毀損で逆告訴し、2026年6月にはモウリアが3度の出頭要請に応じなかったとして裁判官が逮捕命令を出す事態に至った。彼女は6月24日に出頭し「エレホンを中傷する意図はなかった」と釈明している。

この事件が残した教訓は重い。告発が政治的・社会的制裁(辞任)を一瞬で実現する一方、刑事司法の場では告発者自身が検証と反撃の対象になり、耐えがたい消耗戦を強いられる。真実がどこにあるにせよ、「声を上げれば正義が迅速に実現する」という物語も、「告発はすべて捏造だ」という物語も、現実の前ではどちらも粗雑すぎるのだ。

SNSという名の法廷 ─ 両国に共通する病理

そして、日本とスペインで最も似ているのがここだ。ルビアレス事件のさなか、被害を訴えたエルモソには「大げさだ」「キャリア目当てだ」という攻撃が浴びせられた。モウリアはメディアとSNSで人格を解剖され続けている。日本では今、橋本愛のインスタグラムのコメント欄が荒れ、「コメント欄が酷すぎる」と第三者が悲鳴を上げる状況になっている。橋本が過去に受けたセクハラ被害について「一番は記憶を消すしかない」と語っていたことも報じられたが、その痛ましい告白すら、SNS上では「論戦の材料」として消費されていく。

佐藤の側も無傷ではない。調査認定が報じられた時点で、司法判断を経ないまま「加害者」のラベルが貼られ、本人が「全ての事実を公にするべきだと訴えた」と発信しても、それ自体が「開き直り」と「勇気ある反論」に二分されて燃料になる。事実認定の手続きが透明でないとき、SNSは空白を埋めるように「どちらの陣営につくか」の空中戦を始める。そこでは被害の訴えも、無実の主張も、等しく尊厳を削られていく。スペインの3年間が示すのは、この空中戦には勝者がいないということだ。

制度の違い ─ スペインが持っていて日本にないもの、その逆

構造を比較すると、両国の違いも見えてくる。スペインには2022年以降、同意を軸にした性犯罪法制があり、労働法にはハラスメント対応の使用者義務が明記され、映画界では撮影現場に親密なシーンの演出を仲介するインティマシー・コーディネーターの配置やアカデミーのプロトコルが(不十分ながら)制度として存在する。ルビアレスを裁いたのは世論ではなく、最終的には法律だった。

日本には、セクシュアルハラスメントそのものを罰する刑事罰規定がなく、対応は企業の内部調査と民事、そして世論に委ねられる部分が大きい。一方で今回、フジテレビが外部弁護士による調査を迅速に実施し「深刻なハラスメント」という認定を出した背景には、2025年に同局を揺るがせた一連の問題を受けて第三者調査と人権尊重の体制を作り直した経緯がある。制度が薄い国で、個別企業のガバナンスが先行して整い始めている——それが日本の現在地だ。ただしその調査は、認定基準もプロセスも外部からは見えない。当事者の一方が「事実と異なる」と争っている以上、調査の透明性こそが、認定の正当性を支える唯一の柱になるはずだ。

日本の読者への解説 ─ 3年先を歩くスペインからの示唆

スペインの経験を「進んでいる」と美化するつもりはない。映画界のMeTooは未完であり、エレホン事件は告発をめぐる司法の限界を露呈し、被害を訴えた女性たちへの攻撃は今も続く。それでも、ルビアレス事件が示したことの意味は大きい。「あの程度のこと」と多くの人が思っていた行為が、同意という物差しで測り直され、法の名において「性的暴行」と呼ばれた。物差しが変わる瞬間を、スペイン社会は生中継で目撃した。それは一人のスター選手の告発を、81人の同僚が「私たち全員の問題だ」として引き受けたから可能になった。

日本の今回の騒動は、事実関係そのものがまだ争われている段階であり、性急な断罪も擁護も慎むべきだ。しかし確実に言えることが二つある。第一に、被害を訴えた人物のSNSに誹謗中傷を書き込む行為は、事件の真相がどうであれ、次に声を上げようとする誰かを確実に沈黙させる。第二に、当事者双方が「事実を公にすべきだ」と言っているのなら、必要なのは陣営戦ではなく、検証に耐える透明な事実認定の手続きだ。スペインは法律を変え、選手会は連帯し、それでもなお道半ばにいる。3年先を歩く国の足元を見れば、この問題に近道がないことだけは、はっきり分かる。

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