発端:危険なプレーか、正当なゴールか

2026年に北米3カ国で共同開催されているFIFAワールドカップは、決勝トーナメント1回戦で大きな議論を呼ぶ判定に見舞われた。ドイツ対スペインという優勝候補同士の対戦で、後半にドイツ代表FWリロイ・サネが挙げた決勝点がその中心にある。サネはゴール前で浮き球に反応し、足を高く上げてボレーシュートを放った。ボールはゴールネットを揺らしたが、その直前にスペイン代表DFパウ・クバルシの頭部のすぐ近くをスパイクが通過していた。スペインの選手たちは危険なプレー(フエゴ・ペリグロソ)であると激しく抗議したが、この試合の主審を務めた米国のトーリ・ペンソ氏はプレーを正当と判断し、ゴールを認めた。さらに、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が介入し、主審にオンフィールド・レビューを促すこともなかった。この一連の判断が、試合の結果を左右しただけでなく、サッカーにおけるテクノロジーとヒューマンエラーの境界線を巡る議論を再燃させている。

VAR制度の形骸化とスペイン国内の不信感

VARは「はっきりとした明白な間違い」を訂正するために導入された制度だが、その運用基準の曖昧さが長年指摘されてきた。今回のケースは、その問題点を象徴している。何が「明白な間違い」にあたるのかは、結局のところVAR担当審判員の主観に委ねられており、介入すべきか否かの基準が試合ごとに、あるいは審判員ごとに異なっているのが現状だ。特にスペインの国内リーグ「ラ・リーガ」では、毎節のようにVARの判断を巡る論争がメディアを賑わせている。レアル・マドリードやFCバルセロナといったビッグクラブ寄りの判定がなされているのではないかという疑惑は常にくすぶり、マルカ紙やアス紙といった大手スポーツ紙は、審判団の判定をミクロ単位で分析し、連日のように批判的な記事を掲載する。このような背景から、スペインのサッカーファンや関係者は審判団に対して根深い不信感を抱いており、今回のワールドカップでの判定は、その不信感を国際舞台で再確認させる結果となった。「なぜVARは介入しなかったのか」「ラ・リーガと同じ過ちが繰り返されている」といった声が、スペイン国内のSNSやスポーツ番組で溢れかえっている状況だ。

トーリ・ペンソ主審と女性審判員の現在地

今回の判定で注目を集めたもう一つの側面は、主審が女性のトーリ・ペンソ氏であったことだ。彼女は2023年の女子ワールドカップ決勝で主審を務めるなど、女子サッカー界では最高峰の評価を得ている審判員であり、今大会では男子ワールドカップの主要試合を任される数少ない女性審判員の一人として注目されていた。男子のトップレベルの試合を女性が裁くこと自体は、ステファニー・フラパール氏(フランス)らが道を切り拓いてきたが、いまだにその数は少なく、常に厳しい視線にさらされている。今回の「ノーレビュー」という判断は、純粋に審判技術の問題として議論されるべきだが、残念ながら一部のメディアやSNSでは、彼女の性別と結びつけた不当な批判も見受けられる。これは、スポーツ界におけるジェンダー平等の進展が、いまだ道半ばであることを示している。ペンソ主審の判断が正しかったか否かとは別に、この一件が「女性審判員だからミスを犯した」というような、本質から外れた議論の材料にされてしまうこと自体が、サッカー界が乗り越えるべき課題と言えるだろう。彼女のようなパイオニアが下す一つ一つの判定は、その技術的な妥当性だけでなく、社会的な文脈の中でも過剰に解釈されやすいという重圧を背負っている。

日本の読者への解説

この一件は、日本のサッカーファンやスポーツ界全体にとっても示唆に富んでいる。まず、VARというテクノロジーとの向き合い方についてだ。JリーグでもVARは導入されているが、スペインのラ・リーガほど審判への不信感が先鋭化し、メディアが連日キャンペーンのように批判を繰り広げる状況は稀である。これは、審判の権威を尊重する文化的な違いや、メディアの報道姿勢の違いに起因する部分が大きい。スペインでは、審判は判定の対象であると同時に、ゴシップの対象にすらなる。この過剰なプレッシャーが、審判の心理に影響を与え、結果としてVARの運用をさらに複雑にしている側面は否めない。テクノロジーは万能ではなく、それを使う人間と、取り巻く文化によってその価値が大きく左右されるという好例だ。次に、女性審判員の活躍という点では、日本も無関係ではない。2022年のカタールワールドカップでは、山下良美氏が女性として初めて主審団の一人に選ばれ、実際に試合を裁いた。彼女のパフォーマンスは国際的に高く評価されたが、日本国内でも、女性が男性のスポーツを裁くことへの偏見が完全になくなったわけではないだろう。今回のペンソ主審を巡る騒動は、実力ある女性が男性中心の社会で大きな判断を下した際に、いかにその能力以外の部分で批判にさらされやすいかを示している。これはスポーツ界に限らず、日本の企業や政治の世界でも見られる構造的な問題と通底する。一つのゴール判定を巡る論争から、テクノロジー論、メディア論、そしてジェンダー論まで、現代社会が抱える複合的な課題を読み解くことができるのである。

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