マドリードやバレンシアのカフェで、鮮やかな緑色の抹茶ラテを前にした行列はもう珍しい光景ではありません。決済サービス大手のデータによれば、スペインのカフェにおける抹茶の売上は2025年12月時点で前年比50.3%増、市場シェアは2023年の倍の10%に達しました。ところが、同じ一杯を生む原料の産地である京都・宇治では、まったく逆の事態が進行しています。猛暑による碾茶(てんちゃ、抹茶の原料葉)の減産と世界規模の需要爆発が重なり、老舗が購入数を割り当て制限せざるを得ないほどの品薄と価格高騰が起きているのです。本稿では、この日常風景と産地の窮状という日西の温度差を起点に、気候変動と農家の高齢化、そして産地が買い負けるという逆説までを射程に入れて読み解きます。
スペインのカフェで起きた静かな置き換え
スペインの抹茶ブームは、突発的な流行というより、数年がかりの構造的な置き換えとして進んできました。決済データが示す前年比50.3%という伸びは、エスプレッソやコルタード(少量のミルクを加えたエスプレッソ)といった既存のスペイン的飲料の緩慢な成長とは明確に対照的です。抹茶の一杯あたり平均価格は約4.5ユーロで、これは伝統的なコーヒー一杯の相場をはっきり上回ります。つまりカフェにとって抹茶は、単に若い客を呼ぶ装飾ではなく、客単価を引き上げる収益商品として機能し始めているということです。
この動きは大手チェーンの行動に明確に表れています。スターバックスに加え、スペイン国内で展開するサンタ・グロリアやロディーヤといったチェーンが相次いでメニューに抹茶を組み込みました。チェーンがメニューを変えるのは、一過性の話題ではなく定着した需要を確認したときです。供給網と研修コストをかけてラインに加える以上、彼らは抹茶ラテが定番化したと判断したことになります。
拡散の起点はTikTokやInstagramでした。冷たいアイス抹茶ラテの撮影映えする緑が、健康志向と「儀式性」という物語を伴って共有され、消費へと変換されていきました。ここで見落としてはならないのは、スペインの消費者の多くにとって抹茶が、茶道や和の文脈から切り離された新しい飲料カテゴリーとして受容されている点です。原料が日本の特定産地の手摘み茶葉に依存しているという事実は、緑色のラテの背後にほとんど見えていません。需要が爆発しても、供給側で何が起きているかは消費の現場まで届かないのです。
新興企業が映す需要の質
ブームの質を測る指標として、新興企業の伸び方は雄弁です。バレンシアを拠点とする新興企業キソリ・マッチャ(Kisori Matcha)は、SNSとデジタル通販を主戦場に月次で約50%という成長を記録し、2026年には売上100万ユーロ超を見込んでいます。同社が扱うのは儀式用グレード(セレモニアル)と呼ばれる最高品質帯の抹茶で、ここに需要の性質がよく表れています。安価な料理用グレードが広く売れているのではなく、相対的に高価で、なおかつ供給が最も逼迫している上位グレードに人気が集中しているのです。
これは産地への圧力という観点では最も負荷の高い組み合わせです。儀式用グレードは若い柔らかな新芽を原料とし、収量が限られ、加工にも手間がかかります。世界各地の通販やカフェが一斉にこの帯を求めれば、限られた量を取り合う構図になります。スペインの報道では、買い占めて転売を狙う動きや、品質を偽った模倣品の流通も指摘され始めました。需要が供給の物理的上限に近づくと、価格上昇だけでなく、真贋をめぐる市場の歪みが現れます。スペインの消費の好調さは、裏返せば産地の在庫を急速に吸い上げる力でもあるわけです。
もっとも、この熱狂がいつまで続くかについては慎重に見るべきです。SNS起点のブームは、定着するものと急速に冷めるものに分かれます。抹茶がコーヒーのように生活へ根付くのか、それとも数年で別の飲料に主役を譲るのか、現時点で断定はできません。確かなのは、ブームの期間そのものが産地に与える負荷の大きさを決めるという点です。
宇治で起きていること、原料葉の減産と価格の暴騰
スペインのカフェの賑わいとは対照的に、原料を供給する宇治では深刻な逼迫が起きています。直接の引き金は気候です。2024年から2025年にかけての記録的な猛暑と不安定な降雨により、抹茶の原料となる碾茶の生産が落ち込みました。手摘みの宇治碾茶は前年比で最大40%程度の減産、機械摘みの一番茶碾茶も二桁の減少と報じられています。碾茶は収穫前に一定期間覆いをかけて育てる「覆下栽培」を必要とし、気温と日照の管理が品質を左右します。猛暑はこの繊細な栽培を直撃しました。
供給が細る一方で需要は世界規模で膨らみ、価格は急騰しました。京都の茶市場の競りでは、グレードによって取引価格が前年比で大きく上昇しています。報道や市場データを総合すると、平均的には前年比で約2倍前後、グレードによっては最大で2倍から2.7倍程度に達したとされます。とりわけ宇治の一番茶・手摘みといった最上位帯では、ピーク時に前年の2.2倍から2.65倍前後という極端な水準が記録されました。京都・宇治の年間取引を締めくくる最終市場の総取引額は、前年の記録的な高水準をさらにほぼ倍増させたと伝えられています。ここで数字を幅で示すのは、グレードや集計方法によって上昇率が大きく異なり、単一の断定的な数値で語ると実態を誤らせるためです。
この高騰は最終消費の現場に二つの形で波及しました。一つは価格改定です。宇治の老舗である丸久小山園、一保堂茶舗、祇園辻利はいずれも、原材料価格の異常な高騰と物流・エネルギーコストの上昇を理由に、2025年の秋にかけて価格を引き上げました。もう一つは数量制限です。丸久小山園は大容量缶・袋の販売を停止し、小容量の缶を各店舗・各日で数量限定とする措置を取りました。一保堂や祇園辻利も、買い占めや転売を防ぎ、より多くの客に届けるためとして、一人あたりの購入点数に上限を設けています。本場の老舗が割当制に踏み切るという事態は、それ自体が需給の異常さを物語っています。「15分で売り切れ」という報道は、誇張ではなく日常になりつつあるのです。
気候変動と高齢化、構造として見る逼迫
今回の品薄を一過性の天候不順として片づけるのは適切ではありません。背後には、より長期的で構造的な要因が重なっています。第一は気候変動です。猛暑や降雨パターンの乱れは単年の事故ではなく、覆下栽培という繊細な手法に依存する碾茶生産にとって、年々再現される恒常的なリスクになりつつあります。品質を保ったまま増産することが、気候の側から制約されているのです。
第二は担い手の高齢化です。手摘みの碾茶は労働集約的で、熟練を要します。日本の茶農家は高齢化と後継者不足が長く指摘されてきました。需要が急増しても、覆いをかけ、手で摘み、碾茶として加工する人手と技術はすぐには増やせません。茶園を拡張し、新しい覆下設備を整え、若い摘み手を育てるには年単位の時間がかかります。つまり供給は需要に対して構造的に遅れる性質を持っており、短期の価格シグナルでは埋められない時間差があるのです。
第三は需要側の地理的な広がりです。かつて抹茶の主要な買い手は国内と一部の海外でしたが、いまや欧米から東アジアまで世界中のカフェと通販が同じ上位グレードを求めています。日本の緑茶・抹茶の輸出は2024年に前年比16.1%増の規模に達したと報じられ、外需が国内供給を吸い上げる構図が鮮明になりました。気候による供給上限、人手による増産制約、そして世界化した需要。この三つが同時に作用した結果が、今回の歴史的な価格高騰です。一つでも欠けていれば、ここまでの逼迫には至らなかったでしょう。
スペインで本物の抹茶を手頃に買う方法
スペイン在住で本物の抹茶を無理のない価格で手に入れたい場合に役立つ指針を、短く整理します。第一に、用途とグレードを分けて考えることです。点てて飲む薄茶には儀式用グレード、ラテや菓子に混ぜるなら料理用グレード(culinary)で十分です。すべてを最高級で揃える必要はなく、ラテ用に儀式用を使うのは割高になります。価格が世界的に上がっている局面では、この使い分けが家計への負担を大きく左右します。
第二に、購入先の選び方です。バレンシアのキソリ・マッチャのように、産地やグレードを明示し、収穫時期や等級の情報を開示しているデジタル通販は信頼の目安になります。逆に、極端に安く、産地表記が曖昧で、鮮やかすぎる緑をうたう商品は、着色や古い在庫、模倣品の可能性を疑うべきです。第三に、見分け方です。良質な抹茶は明るく深みのある緑で、粉が極めて細かく、青海苔のような新鮮な香りがあります。黄ばんだ色や粉の粗さ、保存劣化を示す酸化臭は質の低下のサインです。少量パッケージを買い、開封後は密閉して冷暗所に置き、短期間で使い切るのが鮮度を保つ基本です。価格が世界的に上がっている局面だからこそ、量より鮮度と等級の見極めが価値を左右します。
日本の読者への解説、世界商品になった抹茶と産地が買い負ける逆説
日本の読者にとって、今回の事態の本質は「抹茶が世界商品になった」という一点に集約されます。長らく抹茶は、茶道や和菓子という国内の文化的文脈に深く埋め込まれた、いわば内需中心の特産品でした。それがSNSを通じて、健康志向と撮影映えという普遍的な物語に翻訳され、スペインのカフェのアイスラテから米国・東アジアの通販まで、国境を越えた標準的な飲料原料へと姿を変えたのです。文化財に近かったものが、グローバルな需給に晒される国際商品(コモディティ)になったと言い換えてもよいでしょう。
ここで生じているのが、産地が買い負けるという逆説です。世界の需要が一斉に最上位グレードへ向かい、価格を押し上げると、原料の産地である日本国内の消費者や事業者が、自国の特産品を従来の価格や量で手に入れにくくなります。宇治の老舗が国内向けに購入割当を設けざるを得ないのは、その象徴です。生産地であることは、必ずしも優先的な買い手であることを意味しません。価格を決めるのは世界の需要であり、限られた供給は最も高く払う買い手へ流れます。漁業や木材など他の一次産品で繰り返されてきた構図が、いま抹茶でも起きているのです。
この逆説は、日本農業にいくつかの示唆を与えます。第一に、需要のグローバル化は産地に高い価格という果実をもたらす一方で、国内消費との緊張を生みます。輸出で潤う生産者がいる裏で、国内の老舗や愛好家が原料を確保できなくなる。この配分の問題は、放置すれば文化の基盤そのものを痩せさせかねません。第二に、価格が上がっても供給がすぐには増えない構造を直視する必要があります。気候変動への適応と、担い手の確保・育成という長期投資なしには、高い需要は単なる品薄と高騰に終わり、産地が持続的に利益を得る形にはなりません。第三に、世界商品になった以上、品質と産地の真正性をどう守るかが問われます。模倣品や品質詐称が広がれば、長年かけて築いた宇治抹茶の信用が損なわれます。ブームは産地に好機をもたらしますが、その好機を将来の体力に変えられるかどうかは、気候・人手・信用という三つの土台をどう立て直すかにかかっています。スペインのカフェの緑色の一杯は、その問いを日本側に静かに突きつけているのです。





