2026年5月24日の夕方、マドリードのプラド大通りは人で埋まった。主催した「マドリード借家人組合(Sindicato de Inquilinas de Madrid)」の発表で10万人超。掲げられたスローガンは「La vivienda nos cuesta la vida(住まいが、私たちの命を削っている)」。行進はセビーリャ通りで締めくくられ、登壇者は「借家人の不服従」と、ゆくゆくは「ゼネスト」へ向かう意思まで口にした。同種のデモは6月末にかけて全国30以上の都市へ広がる予定だという。

スペインの住宅問題は、もはや「家賃が高い」という生活実感の段階を超え、街頭の政治運動になった。在住者にとっても、これから移住を考える人にとっても、避けて通れないテーマだ。この記事では、最新の数字で現在地を確認し、なぜここまで来たのか、規制は効いているのか、そして在住日本人として現実的にどう向き合うかを順に整理する。

数字で見る、いまの家賃

まず誤解を解いておきたい。日本語の情報では「バルセロナ+17.8%、マドリード+17.9%」といった数字がいまだに出回っているが、これは2024年時点の上昇率で、2026年の実態とはかなりズレている。最新の不動産ポータル idealista のデータを軸に、2026年春の姿を見ていこう。

全国の賃貸価格は、2025年を通年で+8.5%上昇して締めくくり、2026年4月時点では前年同月比+5.2%、平均で1平方メートルあたり月15ユーロに達した。上昇ペースそのものは2024年よりやや鈍ったものの、水準は記録を更新し続けており、2026年第1四半期には28の県都が史上最高値をつけた。

主要都市を平米単価で並べると、序列がはっきりする。

マドリードは約23.2ユーロ/㎡で全国最高クラス。州全体(マドリード州21.2ユーロ/㎡)でみても、バレアレス諸島(19.8ユーロ/㎡)、カタルーニャ(17.1ユーロ/㎡)を上回り、スペインで最も家賃が高い地域だ。バレンシアは16.4ユーロ/㎡前後で、かつての「手頃な大都市」という看板は完全に過去のものになった。地方でも、カスティーリャ=ラ・マンチャ州が前年比+12.7%という全国最大級の上昇率を記録しており、高騰は都市部だけの話ではなくなっている。

そのなかで、バルセロナだけが例外的に下がっている。2026年に入って前年同月比でマイナス(地域や時期により−6%〜−7%台)に転じた、全国でほぼ唯一の下落都市だ。とはいえ水準そのものは22ユーロ/㎡前後と依然として高止まりで、「安くなった」と実感できる住民は多くない。なぜバルセロナだけが下がったのか——ここに、スペインの住宅政策をめぐる最大の論点が潜んでいる。

なぜ、ここまで上がったのか

家賃高騰の根っこは、需要と供給のミスマッチに尽きる。ただし、その「ミスマッチ」を生んでいる要因が複数重なっているのが厄介なところだ。

第一に、長期賃貸の供給が細っている。スペインでは新築住宅の供給が長年低迷し、人口は移民流入もあって増え続けている。需要が伸びる一方で部屋の数が増えないのだから、価格が上がるのは当然の力学だ。

第二に、観光と短期貸しへの流出。バルセロナやマドリード、バレアレス、バレンシアといった観光都市では、大家が通常の長期賃貸よりも、観光客向けの民泊(vivienda de uso turístico)や、11か月以内で更新を区切る「季節貸し(alquiler de temporada)」に物件を回す動きが強まった。後述する規制を避ける狙いもあり、長期で安心して住める部屋がますます市場から消えていく。

第三に、投資マネーと所得の乖離。住宅が投資対象として扱われる一方、賃金の伸びはそれに追いついていない。借家人組合がデモで「住まいが命を削る」と訴えたのは、家計に占める家賃の比率が、若者や単身者を中心に限界まで膨らんでいる実感の表れだ。

規制は効いているのか —— 住宅法とzona tensionada

こうした状況に対し、スペインは2023年に住宅法(Ley 12/2023、いわゆる「住む権利」法)を施行した。その目玉が「zona tensionada(逼迫住宅市場地域)」という仕組みだ。

ある自治体が zona tensionada に指定される基準は二つ。①家賃に光熱費を加えた住居費が、その地域の平均世帯所得の30%を超えること、②指定前の5年間で家賃がインフレ率+3ポイント超で上昇したこと。いずれかを満たせば、州政府が指定を申請できる。

指定地域では、おもに次のような措置がとられる。

家賃の上限規制:すでに貸し出されていた物件は、新しい契約でも「前の家賃+所定の指数による更新分」までしか引き上げられない。更新の基準も、従来の消費者物価指数(IPC)連動から、INE(国立統計局)が新設した抑制的な指数へ置き換えられた。2026年度の更新参照指数IRAV は2.14%に固定されており、これがいわば家賃更新の上限として機能する。

借家人の3年延長権:zona tensionada内では、契約満了時に借家人が最大3年の特別延長を求められる。大家の都合で簡単に追い出されない、という安心材料だ。

大家への税優遇:飴の部分もある。新規契約で家賃を5%以上下げれば所得税(IRPF)の賃貸所得控除が90%に、16〜35歳の若者に貸せば70%に拡大される。

2026年4月時点で、zona tensionada に指定された自治体は約307。その内訳は、カタルーニャ州271(2024年3月指定)、ナバラ州21、バスク州14、ガリシア州のア・コルーニャなどで、指定はいまも各地で広がりつつある。バルセロナが全国で唯一の「下落都市」になったのは、まさにこの規制が早くから本格適用された結果である。新規契約の家賃は、住宅法施行から1年でバルセロナ市内で約5〜6%下がったという分析もある。

では、規制は成功したのか。ここは評価が真っ二つに割れている

規制を支持する側は、「現に価格が下がった都市はバルセロナだけ。やはり上限規制は効く」と評価する。一方、批判する側の代表格である経済学者ゴンサロ・ベルナルドス氏らは、これを「偽りの下落(falsa bajada)」と切り捨てる。彼らの論理はこうだ——規制は「インフレ率より緩やかにしか上がらない」ように設計されているだけで、本質的に家賃を引き下げるものではない。しかも、価格を抑えれば供給がさらに縮むという副作用が出る。実際、規制導入後は長期賃貸の契約数そのものが減り、規制の網にかからない季節貸し契約が44.9%も急増して、新規契約の約15%を占めるまでになった。大家が「規制される長期賃貸」から「規制されない季節貸し・民泊」へ逃げれば、肝心の住む部屋はかえって減ってしまう、という指摘だ。

つまり、バルセロナの数字上の下落は、住民が実感できる解決とはまだ距離がある。借家人組合が街頭で「もっと踏み込め」と叫び、季節貸しと民泊そのものの規制を要求しているのは、この「抜け道」への怒りでもある。

在住日本人が知っておきたい、現実的な話

マクロの議論はここまでにして、実際にスペインで部屋を借りる側の視点に降りよう。日本人を含む外国人にとって、スペインの賃貸はもともとハードルが高い。

1. 求められる書類が重い。 大家は入居審査で、収入を証明する給与明細(nómina)雇用契約書の提示を求めるのが普通だ。安定収入の証明がない自営業者や着任直後の人は、それだけで不利になる。スペインで働くなら、就労や納税の足場を固めておくことが住居探しにも効いてくる(参考:autónomo登録の完全ガイド)。

2. 初期費用と保証。 契約時には、法定の保証金(fianza、家賃1か月分)に加え、追加の保証(fianza adicional や aval bancario=銀行保証)を求められることが多い。実務上は「保証金+前家賃+仲介手数料」で家賃の2〜3か月分が初期に飛ぶと考えておくと安全だ。

3. 「季節貸し」契約の罠に注意。 上で述べたとおり、大家が規制を避けるために、本来は長期で住むつもりの物件を11か月の季節貸し契約として出すケースが増えている。この契約だと、借家人を守る延長権や上限規制が及ばず、満了時に大幅値上げや退去を迫られかねない。「やけに短い契約期間」を提示されたら、それが temporada 契約でないかを必ず確認したい。

4. 自分の街が zona tensionada か確認する。 住もうとしている自治体が逼迫地域に指定されていれば、家賃の上限規制と3年延長権という強い保護を受けられる。指定状況は住宅都市開発省(mivau.gob.es)の公式サイトで地域ごとに確認できる。カタルーニャ州(バルセロナを含む)に住むなら、まず自分の物件が規制対象かを知っておくだけで交渉力が変わる。

5. 住民登録(empadronamiento)を急ぐ。 契約が決まったら、住所の登録は生活の起点になる。各種手続き・公的医療・滞在許可のいずれにも効いてくるので後回しにしない(参考:empadronamientoガイド公的医療・健康保険ガイド)。

身も蓋もない結論を言えば、いまのスペインで「安くて、長く、安心して住める部屋」を都市部で見つけるのは、地元の若者にとってすら難しい。日本人が有利に立つ唯一の方法は、書類・資金・制度知識を先回りで揃えておくことに尽きる。物件は出たら数時間で埋まる。準備ができている人だけが、滑り込める。

日本の読者への解説

日本から見ると、スペインの住宅事情はいくつかの点で示唆に富む。

第一に、家賃上昇は「世界の都市の共通言語」になりつつあるということ。日本でも東京を中心に、ここ数年でファミリー向け賃貸やタワーマンションの賃料がじりじり上がり、住宅価格は実質賃金の伸びを置き去りにしている。スペインの「住まいが命を削る」という叫びは、決して遠い国の話ではない。

第二に、規制の方向性の違いが興味深い。日本は「定期借家」など、どちらかといえば貸し手の自由度を広げる方向に制度を動かしてきた。対してスペインは、上限規制・延長権・税優遇という強い介入で借り手を守ろうとした。その結果が「価格は少し下がったが、供給が逃げた」という両刃の剣だった点は、住宅政策を考えるうえで生々しい教訓になる。市場への介入は、必ずどこかに副作用の出口を作る——その出口が、スペインでは「季節貸し」と「民泊」だった。

第三に、スペインで住宅問題がここまで街頭の政治運動になる背景には、賃貸で暮らす人の比率の高さと、組合という形で声を束ねる文化がある。10万人を動員し、ゼネストまで口にする借家人運動は、日本の感覚ではなかなか想像しにくい。だが、住む場所をめぐる不安が臨界点を超えると、人々はこれだけ動く。これから移住や長期滞在を考える人は、こうした社会のうねりも含めて、スペインという国のいまを理解しておきたい。安い物価と陽光だけを思い描いて飛び込むには、住宅という入り口が、いまはあまりに狭く、そして熱い。

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