「スペインで歩きスマホが禁止される法律ができるらしい」という話が、SNSや在住者コミュニティで流れている。結論から言えば、この噂は誤りだ。スペインに歩きスマホを禁止する新法はなく、法案も存在しない。ただし、まったくの根拠なしでもない。既存の道路交通法規の運用で、スマホを見ながらの横断は「不注意な横断」として80ユーロ、赤信号でスマホを見ながら渡れば200ユーロの罰金対象になりうる。そして噂の源流はおそらく隣国イタリアにある。メローニ政権は8月末、横断中のスマホ使用に75ユーロの罰金を科す道路交通法改正を発表し、10月末の最終承認を目指している。ホノルルが2017年、神奈川県大和市が2020年に先行導入した「歩きスマホ規制」は、イタリアというEU大国が加われば他国へ波及する可能性が現実味を帯びる。本稿では噂の検証、イタリア新法の中身、世界の状況、そしてスペインで今日から気をつけるべきことを整理する。
検証 ― スペインに「歩きスマホ禁止法」はない
まず事実関係をはっきりさせたい。スペインの道路交通法にも交通規則にも、「歩きながらスマートフォンを使用する行為」を独立の違反類型として定めた条文はない。交通総局(DGT)も、そうした新法の準備を発表していない。国会に法案も提出されていない。「禁止法ができる」という部分は、現時点で明確に誤情報だ。
では、なぜこの噂に妙な説得力があるのか。それは、既存ルールの運用で実際に罰金を科すことが可能だからだ。歩行者が車道を横断する際には安全を確認する義務があり、スマホの画面に気を取られた横断が「不注意な横断」と判断されれば、軽微違反として80ユーロの罰金対象になる。さらに、赤信号の横断歩道をスマホを見ながら渡った場合は200ユーロに跳ね上がる。この春以降、スペインのメディアはDGTの注意喚起を引きながらこの罰金額を繰り返し報じており、「新ルール導入」と読める見出しも少なくなかった。既存法の解釈の話が「新法制定」に化けて広まった、というのが噂の実態に近い。
背景には数字がある。都市部で起きる重大事故の20〜30%は歩行者がはねられる事故で、DGTはかねてより「交通弱者」の事故削減を優先課題に掲げてきた。ドライバーの「ながらスマホ」摘発を強化してきた延長線上に、歩行者の注意義務も置かれつつある。
噂の源流 ― イタリアの75ユーロ罰金、10月末成立へ
「スペインで禁止」説の出どころとして最も有力なのが、8月27日前後にスペイン各紙が報じたイタリアのニュースだ。メローニ政権は道路交通法(Codice della Strada)の改正案に、横断中のデバイス使用への罰金75ユーロを盛り込んだ。草案は既に存在し、10月末までの最終承認が見込まれている。
中身は意外に限定的だ。対象となるのは車道を横断する瞬間のみで、歩道を歩きながらのスマホ使用は罰則の対象外。禁止されるのはスマートフォンだけでなくタブレット、デジタルカメラ、ノートパソコンまで含む。一方でハンズフリー通話は許され、緊急通報も罰金の対象にならない。
この改正は、イタリアの司法判断の流れを法律に落とし込んだものでもある。近年のイタリアでは、スマホに気を取られた歩行者がはねられた事故で、歩行者側にも過失を認める判決が相次いでいた。「歩行者は常に保護される側」という従来の前提から、「歩行者にも相応の注意義務がある」への転換であり、スペイン各紙が「イタリアがスペインに教訓を与えた」という見出しで伝えたのはこの文脈だ。
「世界に波及する」はどこまで本当か
「やがて世界中でルールになる」という観測も流れているが、現状を冷静に見ておきたい。歩きスマホへの罰則を実際に導入した例は、世界でもまだ少数だ。先駆けは米ハワイ州ホノルル市で、2017年に「画面を見ながらの横断」への罰金条例を主要都市として初めて施行した。日本では神奈川県大和市が2020年、歩きスマホ防止条例を全国で初めて制定したが、こちらは罰則のない努力義務にとどまる。韓国や中国では警告標識や「スマホ専用レーン」といった啓発型の対策が中心で、罰金を伴う規制は広がっていない。
つまり「世界的な流れ」と呼ぶには、まだ点が少ない。ただし、イタリアの動きが持つ意味は小さくない。人口6,000万人級のEU大国が国レベルで罰則を導入する初のケースになれば、他のEU諸国の交通当局にとって参照事例になる。EUは交通事故死者を2030年までに半減させる目標を掲げており、加盟国の規制は互いに影響し合う。イタリアで施行後に事故減少のデータが出れば、スペインを含む各国で「うちも」という議論が立ち上がる展開は十分ありうる。逆にデータが出なければ、ホノルルや大和市と同じ「散発的な実験」で終わる。波及するかどうかの分水嶺は、イタリアの施行後1〜2年の数字だろう。
ドライバーへの締め付けは既に完了している
歩行者への注意義務が論点になる前提として、スペインがドライバーの「ながらスマホ」対策を段階的に強化してきた経緯がある。運転中に手でスマホを保持して使用すれば罰金200ユーロに加え、免許の持ち点から6点が引かれる。スペインの免許は12点制なので、一発で半分を失う計算だ。DGTはヘリコプターやカメラ搭載車両、監視カメラのAI解析まで動員して摘発を続けており、「運転中のスマホは飲酒運転並みに危険」というメッセージを繰り返してきた。
ドライバー側の規制が行き着いた後、視線が歩行者に移るのは自然な流れでもある。事故統計を突き詰めれば、車と歩行者の双方の注意力が事故率を決めるからだ。イタリアの新法も、まずドライバー規制を強化し、その後に歩行者へ広げるという同じ順序をたどっている。スペインで将来「歩きスマホ罰金」が独立の違反類型になるとすれば、このドライバー規制の延長線上に置かれることになるだろう。現時点でその立法の動きはない、というのが冒頭の結論だ。
スペインで今日から気をつけるべきこと
新法はなくても、スペインの街で歩きスマホが「無料」ではないことは既に見た通りだ。実務的なポイントは3つある。第一に、横断中のスマホ操作は罰金80ユーロのリスクがあると心得ること。特に警察官の面前での不注意な横断は現行犯で切符を切られうる。第二に、赤信号横断とスマホの組み合わせは200ユーロと高くつく。第三に、罰金以前に、事故に遭った場合の過失認定に影響しうる。スマホに気を取られていた事実は、保険や損害賠償の場面で歩行者側に不利に働く可能性がある。
なおスペインの自治体は罰則よりも設計で対処する傾向が強く、マドリードやバルセロナでは横断歩道の路面にLED帯を埋め込み、下を向いたまま歩く人の視界に信号の色を届ける実験が行われてきた。「罰するイタリア、設計で守るスペイン」という対比は、両国の行政スタイルの違いとしても興味深い。
日本の読者への解説
日本では歩きスマホの規制といえば大和市の条例が知られるが、罰則のない理念条例であり、「違反したら罰金」という国は日本人にはまだ馴染みがない。だからこそ旅行者は注意したい。スペイン旅行中にスマホの地図を見ながら交差点を渡るのは、ごく自然な動作に見えて80ユーロ、信号無視が絡めば200ユーロの出費につながりうる。地図はコーナーで立ち止まって確認し、横断中はポケットへ。それだけで済む話だ。10月末以降にイタリアへ足を延ばす予定がある人は、75ユーロの新罰金が施行されている可能性が高いことも頭に入れておきたい。
もうひとつ、日本視点で面白いのは「世界初の歩きスマホ条例の街」が日本にあるという事実だ。大和市の条例は罰則なしでも一定の抑止効果があったとされ、海外メディアにも取り上げられた。罰金で縛るイタリア型、設計で守るスペイン型、理念で促す日本型。同じ問題への三者三様のアプローチがどれだけ効くのか、イタリアの施行データが出てくれば答え合わせができる。続報があれば本紙で追いかける。













