需要に応えられない公立大学、急成長する私立大学
スペインの高等教育界で、静かな、しかし深刻な地殻変動が起きている。かつては圧倒的な存在感を誇っていた公立大学が社会の需要に応えきれず、その隙間を埋める形で私立大学が急速に勢力を拡大しているのだ。ハエン大学とバレンシア工科大学の経済学教授らによる最新の報告書は、この問題の根深さを浮き彫りにした。報告によれば、毎年およそ1万7000人もの学生が、高い学力を持ちながらも、医学、看護学、情報工学といった需要の高い公立大学の学部に入学できずにいる。彼らの多くは、不本意ながらも高額な学費を払って私立大学の門を叩くか、あるいは希望のキャリアを諦めるかの選択を迫られている。
この現象は、単に「公立大学の定員が少ない」という単純な話ではない。2000年以前には10校にも満たなかった私立大学が、現在では50校近くにまで急増した背景には、公立大学システムが抱える構造的な欠陥が存在する。長年、スペインの高等教育は、広く国民に門戸を開く公立大学がその中核を担ってきた。しかし、社会や経済のニーズが変化する中で、その巨大な組織は自己改革のスピードを失い、結果として市場の論理で動く私立大学に主導権を奪われつつある。これは、教育機会の平等を揺るがし、社会階層の固定化を助長しかねない危険な兆候である。
資金不足という「神話」:問題の核心は組織の硬直性
公立大学の定員が増やせない理由として、決まり文句のように「財政難」が挙げられる。しかし、前述の報告書は、この通説に鋭く切り込む。著者らの試算によれば、入学できずにいる1万7000人分の公立大学の学籍を新たに設けるために必要な年間予算は、約5億5000万ユーロ。これは2023年に各自治州が大学に投じた公的資金総額のわずか6.6%に過ぎない。つまり、資金不足は問題の本質ではなく、むしろ公立大学の「動かない、動けない」組織体質こそが根本原因だと指摘しているのだ。
では、その「病理」とは具体的に何なのか。第一に、各学部の既得権益と内向きの論理が挙げられる。公立大学内では、各学部や学科が一種の独立した組織として振る舞う傾向が強い。学生からの人気がなく、卒業生の就職率が低いような分野であっても、学部は自らの存続と所属教員のポストを守るために、定員の削減や学部の再編に強く抵抗する。新たな人気分野に資源を再配分しようとすると、既存の学部から「自分たちの予算が削られる」という猛烈な反発が起こる。学長をはじめとする大学執行部も、こうした内部の力学に抗うことができず、結果として社会の需要から乖離した非効率な資源配分が温存されてしまう。
第二に、需要と供給の劇的なミスマッチがデータによって裏付けられている。過去10年間で、例えば情報工学分野の入学定員は、私立大学が250%増という驚異的な伸びを見せたのに対し、公立大学はわずか25%増に留まった。需要が供給を4.8倍も上回る看護学に至っては、公立が12%増、私立が69%増と、その対応の差は歴然としている。最も深刻なのは医学部で、入学希望者数が定員の10倍を超えるにもかかわらず、公立大学の定員増は15.7%に過ぎない。一方で、私立大学はこの「ドル箱市場」に積極的に参入し、医学部の定員を47%も増やしている。公立大学が社会の要請を無視し、硬直したままでいる間に、私立大学がビジネスチャンスを的確に捉えている構図が鮮明に浮かび上がる。
歪む教育機会と固定化される社会階層
公立大学の機能不全がもたらす最も深刻な帰結は、教育機会の不平等を助長し、社会階層を固定化させることだ。スペインでは、公立大学の学費は国や自治州からの補助金によって低く抑えられており、年間1000〜2000ユーロ程度が一般的だ。これに対し、私立大学、特に医学部や歯学部のような人気学部の学費は年間2万ユーロを超えることも珍しくない。つまり、公立大学の狭き門を突破できなかった場合、経済的に余裕のある家庭の子女は私立大学という「次善の策」を選べるが、そうでない家庭の子供は、たとえ学力が高くても、その時点で希望のキャリアへの道を閉ざされてしまう。
これは、本来、個人の能力と努力によって達成されるべき専門職への道が、生まれ育った家庭の経済力によって左右されることを意味する。医師や歯科医師、エンジニアといった高所得が期待される職業が、事実上、富裕層の子弟に独占されていく可能性がある。公教育が担うべき「社会の流動性を高める」という重要な役割が、制度の不備によって損なわれているのだ。さらに、この問題は一部の専門職に限らない。企業経営や経済学、建築学など、多くの分野で私立大学は公立大学が満たせない需要を吸収しており、社会全体で「公教育は安価だが時代遅れ、私教育は高価だが実践的」という二極化した認識が広がりつつある。
報告書はまた、大学を所管する中央政府の大学審議会や、各大学の学長たちが、こうした状況に対して戦略的な計画を立ててこなかった「職務怠慢」も厳しく批判している。どの分野の専門家を、国全体としてどれだけ育成する必要があるのか、というマクロな視点での計画が欠如しているため、各大学が内向きの論理で行動することを許してしまっているのだ。
日本の読者への解説
このスペインの大学問題は、日本の高等教育が抱える課題を映し出す鏡でもある。日本もまた、私立大学が全体の約8割を占める大学大国だが、その背景や構造はスペインとは異なる。日本では戦後の高等教育の大衆化を私立大学が担ってきた歴史があり、長らく共存関係にあった。しかし、スペインのケースは、これまで公教育が圧倒的に優位だった国で、その公教育システムの機能不全が、急速な市場原理の導入と教育格差の拡大を招くという、より先鋭的な事例として捉えることができる。
特に注目すべきは、公立大学内部の「岩盤規制」ともいえる硬直性だ。日本の大学、特に国公立大学の医学部や法学部などでも、教員のポストや学部の伝統を重んじるあまり、社会のニーズの変化に迅速に対応できないという問題は根強く存在する。スペインの例は、こうした内向きの論理が放置された結果、公教育そのものが信頼を失い、高額な私立教育に市場を明け渡してしまう未来を示唆している。日本の18歳人口が急減する中で、多くの大学が学生確保に苦しんでいるが、一方でデータサイエンスやAI、グリーンテクノロジーといった新しい成長分野では、社会の需要に対して大学教育が追いついていないというミスマッチも指摘されている。この需要の空白地帯に、もし日本の国公立大学が迅速に対応できなければ、スペインと同様に、より身軽で高額な民間教育機関にその役割を奪われる可能性は十分にある。
スペインの現状は、公教育の役割とは何かを改めて問い直す。それは単に安価な教育を提供するだけでなく、社会の変化を的確に捉え、国民全体に質の高い教育機会を保証することにあるはずだ。既得権益を守るための硬直性が、結果として自らの首を絞め、教育の機会均等という理念を蝕んでいく。このスペインの教訓は、日本の大学改革を考える上でも極めて重要な示唆を与えてくれるだろう。













