グローバル・メガスターの現在地:マドリード・メトロポリターノ公演
夏の終わりの気配が漂うマドリードの夜、世界的なポップスター、ザ・ウィークエンド(本名:エイベル・テスファイ)が、3夜連続公演の初日のためにシビタス・メトロポリターノ・スタジアムのステージに立った。最新アルバム『Hurry up tomorrow』を引っ提げたこのツアーは、彼のキャリアの集大成であると同時に、新たな方向性を示唆するものであり、スペインのファンの期待は高まっていた。スタジアムは満員ではなかったものの、熱心な観客で埋め尽くされ、夏の休暇シーズンの終わりを惜しむかのような独特の高揚感に包まれていた。
公演は最新アルバムからの楽曲「Baptized in fear」と「Wake me up」で幕を開けた。彼の音楽スタイルは、ヒップホップ、テクノ、そして80年代ポップスを現代的なエレクトロニカのフィルターで再構築したものであり、そのサウンドは巨大なスタジアム空間を埋めるのに理想的だ。ショーが進むにつれて、「After Hours」「Starboy」「Heartless」といった大ヒット曲が次々と披露され、観客の熱気は最高潮に達した。特に、トラップの要素を取り入れた楽曲では、会場全体が揺れるほどの盛り上がりを見せた。
視覚的な演出として、スタンリー・キューブリック監督の映画『アイズ ワイド シャット』を彷彿とさせる、赤いチュニックと白い仮面を身に着けた32人のダンサーが登場した。しかし、その動きはスローモーションに近く、コーラスダンスのようなダイナミックさに欠けており、視覚的なインパクトとしてはやや物足りなさを感じさせたとの評もある。一方で、「Take my breath」のような楽曲では、マイケル・ジャクソンへのオマージュを感じさせるポップな振り付けと力強いサウンドが一体となり、この夜最も効果的なパフォーマンスの一つとなった。巨大なスタジアムが、一瞬にして巨大なディスコへと変貌した瞬間だった。
「ザ・ウィークエンド」というペルソナの進化と深化
今回の公演で特筆すべきは、ザ・ウィークエンドの歌詞世界に見られる変化である。スペインの批評家が指摘するように、彼の初期の作品は「過剰と自己破壊」をテーマにすることが多かったが、近年の作品では「内省と精神的な救済の探求」へと重心が移っている。この変化は、アーティストとしての成熟を示すものであり、今回のステージでも随所にその片鱗がうかがえた。
例えば、新曲「Given up on me」では、これまでの快楽主義的な世界観とは一線を画す、よりパーソナルで内面的な葛藤が描かれている。一方で、過去のヒット曲「The Hills」が披露された際には、かつてのダークで危険な香りを放つザ・ウィークエンドの姿が蘇り、新旧のペルソナがステージ上で交錯するような印象を与えた。音楽的には、ジャンルを横断しながらも一貫してキャッチーなメロディとダンサブルなリズムを追求する姿勢は変わらない。しかし、彼が発信するメッセージの起点は、明らかに変化している。これは、彼自身が公言しているように、「ザ・ウィークエンド」という芸名を「殺し」、今後は本名のエイベル・テスファイとして活動していくという宣言とも無関係ではないだろう。このツアーは、長年築き上げてきたペルソナとの決別を祝う、壮大な葬送儀式のような意味合いも帯びているのかもしれない。
公演には、オープニングアクトも務めたラッパーのプレイボーイ・カルティがゲストとして登場し、「Timeless」と「Rather Lie」を共に披露した。二人のケミストリーは良好だったが、スタジアムという音響的に不利な環境では、飽和したベース音がボーカルを覆い隠してしまう場面も見受けられた。これは、サッカーのために設計された会場で音楽コンサートを行う際の構造的な課題であり、多くのスタジアムツアーに共通する問題点でもある。
スペインにおけるスタジアムコンサートの経済学と文化
今回のザ・ウィークエンドの公演は、単なる一アーティストのコンサートという枠を超え、現代スペインにおける文化産業の一側面を象徴している。近年、マドリードは、改修されたサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムとこのシビタス・メトロポリターノ・スタジアムという二つの巨大会場を擁し、ヨーロッパにおける大規模コンサートの主要ハブとしての地位を確立しつつある。テイラー・スウィフトやブルース・スプリングスティーンといった世界的アーティストが次々とマドリードをツアー先に選んでおり、その経済効果は計り知れない。
数万人を収容するスタジアム公演は、チケット収入だけでなく、ホテル、レストラン、交通機関など、都市全体に莫大な利益をもたらす。ファンは国内各地、あるいは国外から訪れ、数日間にわたって滞在することも珍しくない。これにより、音楽は単なるエンターテインメントから、都市のブランド価値を高め、観光を促進する重要な経済活動へと変貌を遂げている。特に、夏のバケーションシーズンと重なる時期の公演は、その効果を最大化する戦略的な意味合いを持つ。
しかし、その一方で課題も存在する。前述の音響問題に加え、チケットの高騰や転売問題、そして周辺住民への騒音問題など、大規模イベントならではの弊害も指摘されている。アーティスト側にとっても、スタジアムの巨大な空間を埋めるための壮大な舞台装置や演出が不可欠となり、制作コストは増大する。その結果、音楽そのものよりも、視覚的なスペクタクルが優先される傾向が強まることもある。ザ・ウィークエンドの公演における演出への賛否は、まさにこの現代的なスタジアムツアーが抱えるジレンマを映し出していると言えるだろう。
日本の読者への解説
ザ・ウィークエンドのマドリード公演のニュースは、日本の音楽ファンにとってもいくつかの興味深い視点を提供してくれる。第一に、グローバルなスタジアムツアーの文化比較である。日本でも東京ドームや京セラドームなどで大規模なコンサートは頻繁に行われるが、その運営や観客の反応には違いが見られる。スペインの観客はより情熱的で、合唱やダンスで積極的に参加する傾向が強い。こうした文化的な違いが、同じアーティストの公演でも国によって異なる雰囲気を作り出す要因となっている。
第二に、ザ・ウィークエンドというアーティストの日本における受容のされ方だ。彼は欧米では絶大な人気を誇るが、日本での知名度は同等とは言えないかもしれない。しかし、2021年には日本の人気アーティストAdoが彼の代表曲「Blinding Lights」のリミックスに参加するなど、日本の音楽シーンとの接点も生まれている。彼の音楽が持つジャンルレスな魅力は、特定の洋楽ファンだけでなく、J-POPのリスナーにもアピールする可能性を秘めている。今回のマドリード公演のような成功は、将来的な日本での大規模公演への期待を高めるものだ。
最後に、彼の芸術的な変遷は、国境を越えて普遍的なテーマを投げかける。キャリアの頂点で自身の成功の象徴であったペルソナを脱ぎ捨て、新たなアイデンティティを模索する姿は、多くのクリエイターやビジネスパーソンにとっても示唆に富む。成功に安住せず、常に自己破壊と再生を繰り返すこと。ザ・ウィークエンドがマドリードの巨大なステージで見せたのは、単なる音楽ショーではなく、変化を恐れない一人のアーティストの哲学そのものであった。グローバル化が進む現代において、一人のポップスターの動向が、遠く離れた国の私たち自身の生き方や価値観を問い直すきっかけとなり得るのである。













