スペインの夏休みは、11週間ある

初めてスペインで子育てをする日本人が、ほぼ全員ある時期に絶句する。夏休みの長さだ。スペインの学校は、早い学年で6月中旬、遅くとも6月下旬に学年を終え、次に校門が開くのは9月の中旬。つまり夏休みは、ざっと11週間、2ヶ月半に及ぶ。日本の小中学校の夏休みが約40日であることを思えば、ほとんど別物と言っていい。

年間の授業日数で見ても差は明確で、スペインは日本より3〜4週間ほど少ない(スペインの授業日はおよそ175日前後、日本は約200日)。最初、日本人の親はうらやみ、次に戸惑い、やがて「なぜここまで長いのか」という素朴な疑問にたどり着く。その問いを掘っていくと、スペインという国の時間の流れ方と、教師という仕事の正体、そして日本の教育が抱える別の現実までが、芋づる式に見えてくる。

なぜこんなに長いのか——暑さ、歴史、そして「休む」という文化

理由は一つではない。まず即物的な事情として、暑さがある。スペインの夏、とりわけ内陸部は40度に達する酷暑で、エアコンの普及していなかった時代、真夏に子どもを教室に詰め込んで勉強させるのは現実的でなかった。多くの公立校が今もエアコンを十分に備えていないことを考えれば、これは過去の話ですらない。

次に歴史と社会のリズムだ。かつての農村社会では、夏は子どもも貴重な働き手であり、収穫期の長い休みには合理性があった。その名残が、地中海的な「夏はみんなで休む」という文化と結びついて残っている。スペインでは法律で年間30日の有給休暇が保障され、多くの人が7〜8月にまとめて取る。社会全体が夏に減速する国で、学校だけがフル稼働する、という発想がそもそもない。子どもの長い夏休みは、大人の長い夏休みと地続きの、ひとつの文化なのだ。

長い休みの「影」——格差と、働く親

ただ、この長い夏休みを手放しで称賛するのは、現地を知らない者の感傷だ。スペイン国内でも、その弊害は真剣に議論されている。

一つは学力の「夏の後退」。2ヶ月半まったく学ばなければ、前学年の蓄積は確実に目減りする。そして、より深刻なのが格差の拡大だ。余裕のある家庭は、子どもをサマースクールや旅行、習い事に通わせ、夏のあいだも豊かな体験を与えられる。だが、その費用を出せない家庭の子は、長い夏をただ家で持て余す。長期休暇は、家庭の経済力の差を、そのまま子どもの経験の差に変換してしまう装置にもなりうる。さらに、共働き家庭にとって「11週間、子どもをどうするか」は毎年の頭痛の種で、サマースクール探しに奔走することになる。スペインの長い夏は、美しいだけの制度ではない。

スペインの教師になるということ——「オポシシオネス」という長い試練

では、その学校を支える教師たちは、どんな世界に生きているのか。長い夏休みのイメージだけで「優雅な職業」と早合点する前に、その入り口の厳しさを知っておきたい。

スペインの公立学校教員の多くは公務員(funcionario)で、なるためにはオポシシオネス(oposiciones)と呼ばれる採用試験を突破しなければならない。これが、とにかく過酷だ。膨大な範囲を何年もかけて準備し、それでも合格率が一桁%にとどまる年もある難関で、人生の数年を試験勉強に捧げる受験者も珍しくない。

そして、その狭き門の手前にはインテリーノ(interino=非常勤・臨時教員)の大きな層がある。正規の座を得られないまま、年ごと・学校ごとに契約を更新し、夏には職を失うことすらある不安定な立場だ。給与も、平均で年2万6千ユーロ前後とされるが、自治州(コムニダ)によって、また正規か非常勤かによって大きく開く。教育が自治州ごとに運営されるスペインでは、隣の州に移るだけで条件が変わる。教師という仕事は、入り口も足場も、決してなだらかではない。

では、スペインの教師は本当に「優雅」なのか

長い夏休みの存在は、どうしても「教師は休んでばかり」という印象を生む。だが現実は、もう少し込み入っている。

スペインの教員の勤務は週37.5時間前後で、授業のコマ数に加えて準備や校務がある。夏についても、7月は研修や事務、新年度準備で実質的に拘束されることが多く、完全に解放されるのは主に8月だ。確かに日本の教師と比べれば休暇はしっかりしている。だがその裏で、非常勤の不安定さ、肥大する書類仕事、クラスの過密、燃え尽き——スペインの教師もまた、固有のストレスを抱えている。長い夏休みは、薄給と不安定さと引き換えに残された、数少ない確かな報酬という側面もあるのだ。「優雅」の一言で片づけるのは、彼らの足場の不安定さを見ていない。

日本の教師という、まったく別の現実

スペインの教師の話を、日本に重ねると、その対比は痛いほど鮮明になる。

日本の教師は、安定と社会的信頼という点ではスペインの非常勤よりはるかに恵まれている。だが、労働時間は世界でも突出して長い。OECDの国際調査で、日本の中学校教員の労働時間は週56時間に達し、調査国平均の38時間を大きく上回って世界最長級だった。過労死ラインとされる月80時間超の残業をこなす中学教員は3人に1人以上(約36.6%)にのぼるという調査もある。

その背景には、給特法という独特の仕組みがある。教員には残業代を支払わない代わりに、給与に一律4%を上乗せする——という制度で、結果として「いくら働かせても固定給」という構造を生んだ。加えて、放課後の部活動指導、保護者対応、書類、そして夏休み中も研修や部活で出勤が続く。スペインの教師が長い夏に解放される一方で、日本の教師にとって夏は、必ずしも「休み」ではない。なり手不足が深刻化し、教職が敬遠される流れも、この過酷さと無関係ではないだろう。

では、結果はどうなのか——PISAが突きつける問い

ここで、避けて通れないデータがある。OECDが3年ごとに15歳を対象に実施する国際学力調査PISAだ。「ゆとりのスペイン」と「過重労働の日本」、その教育の結果は、いったいどう出ているのか。

2022年の最新調査の結果は、ある意味で残酷なほど対照的だった。日本は数学536点・読解516点・科学547点と、OECD平均(数学472・読解476・科学485)を軒並み大きく上回り、数学は世界5位、科学も世界トップ級という、過去最高水準の好成績を記録した。一方のスペインは数学473点・読解474点・科学485点——三分野とも、見事なまでにOECD平均ちょうどに着地している。

つまり、教師が過労死ラインで働く国が世界トップ級の学力を叩き出し、長い夏休みと比較的守られた教師を持つ国が、平均に収まっている。一見すると「やはり日本のやり方が正しい」と言いたくなる結果だ。だが、ここで立ち止まりたい。

PISAが測るのは、15歳時点のテストで測れる学力という一断面にすぎない。子どもの創造性も、幸福度も、教師の健康も、その社会の持続可能性も、この点数には映らない。日本の輝かしいスコアは、教師の燃え尽きと子どもの重圧という、はっきりと記録された人的コストの上に立っている。スペインの「平均」は、より人間的な時間の流れと引き換えに得られたものだ。高い点数と、健全な仕組みは、同じではない。 PISAの数字は勝者を決めるのではなく、むしろ問いを鋭くする——私たちは教育で、いったい何を最大化したいのか、と。

日本の読者への解説——二つの夏が映し出すもの

「スペインの夏休みは長くてうらやましい」。その感想は間違いではない。だが、長い夏休みは単独で存在しているのではなく、その国の労働観・社会のリズム・教師の働き方と一つの織物になっている。要点を三つに整理したい。

一つ、長い夏は「文化」であって「甘え」ではない。 酷暑、農村の記憶、そして大人も子どもも夏にしっかり休むという社会全体の合意の上に成り立っている。学校だけを切り取って「休みすぎ」と評するのは、その国の時間の流れ方ごと見落とすことになる。

二つ、どちらの国にもユートピアはない。 スペインは、ゆとりある休暇と引き換えに、非常勤の不安定さ・薄給・夏の格差という影を抱える。日本は、安定と信頼の裏で、世界最長級の労働時間と残業代なき過重労働に教師が苦しむ。長い夏休みをうらやむなら、その背後にある制度ごと眺める必要がある。

三つ、これは「子どもの時間」と「働く人の時間」をどう設計するかという問いだ。 11週間の夏を与える国と、40日の夏すら教師が休めない国。どちらが正しいという話ではなく、社会が「人の時間」に何を許すかという哲学の違いが、夏の長さに表れている。スペインの長い夏を入り口に、私たち自身の働き方と、子どもに手渡したい時間のかたちを、一度立ち止まって考えてみたい。

この記事をシェア:X (Twitter)WhatsAppLINE