サパテロ元首相の汚職疑惑が政局の震源に

スペイン政界が、再び汚職疑惑を巡って激しく揺れている。今回の震源は、2004年から2011年まで首相を務めた社会労働党(PSOE)の重鎮、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ氏だ。同氏が、新型コロナウイルス禍中の航空会社「プラス・ウルトラ」への公的資金注入を巡り、不当な影響力を行使した疑いが浮上し、司法当局の捜査対象となった。この事態を好機と捉えたのが、最大野党である中道右派の国民党(PP)だ。アルベルト・ヌニェス・フェイホー党首率いるPPは、この疑惑をサンチェス現政権全体の腐敗体質と結びつけ、ペドロ・サンチェス首相への不信任決議案(moción de censura)の提出を強く示唆し、政権への圧力を強めている。PPのボルハ・センペル報道官は、「スペインには腐敗を一掃する箒が必要であり、我々がその箒になりたい」と述べ、サンチェス政権を支える連立パートナーに対しても「見て見ぬふりをする者も同罪だ」と批判の矛先を向け、政権からの離反を促している。

不信任案を巡る国民党(PP)の戦略的ジレンマ

PPは不信任案の提出に意欲を見せているものの、実際の行動には極めて慎重な姿勢を崩していない。その背景には、スペインの政治制度と現在の議会勢力図がもたらす戦略的ジレンマがある。スペインの不信任案は「建設的」不信任案と呼ばれ、現職首相の罷免を求めるだけでなく、同時に次期首相候補を指名し、その候補への信任投票を兼ねる仕組みだ。可決には下院(定数350)の絶対過半数である176票が必要となる。現在のPPの議席は137。極右政党Vox(33議席)などの支持を固めても、176票には届かない。つまり、不信任案を可決し、フェイホー氏を首相の座に就けるためには、現在サンチェス政権を閣外から支えているカタルーニャやバスクの地域ナショナリスト政党の支持が不可欠となるのだ。しかし、これらの政党がPPや、特に地方自治権の縮小を主張するVoxと手を組む可能性は限りなく低い。フェイホー党首自身も、過去に不信任案の提出に失敗すれば、結果的にサンチェス首相に政治的勝利を与えてしまうだけだと認めている。そのため、PPの現在の戦略は、自ら不信任案を提出して玉砕するリスクを冒すのではなく、「政権を支える政党こそが行動を起こすべきだ」と主張し、ボールを相手のコートに投げ返すことで、サンチェス政権の支持基盤の脆さを露呈させることに主眼を置いている。これは、政権打倒というよりは、サンチェス首相の求心力を削ぎ、政権運営をさらに困難にさせるための高度な政治的駆け引きと言える。

鍵を握るバスクとカタルーニャの地域政党

この政局のキャスティングボートを握るのは、バスク民族主義党(PNV)とカタルーニャのための中道右派連合(Junts)だ。両党なくしてサンチェス政権は成り立たないが、彼らの立ち位置は複雑だ。 PNVの党首アイトル・エステバン氏は、サンチェス政権が安定した過半数も予算も確保できないまま2026年以降も続くことは「無責任だ」と公言し、政権への不満を隠さない。この発言がPPに期待を持たせたが、だからといってPP主導の不信任案に賛成するわけではない。PNVにとって、バスクの自治権を尊重する姿勢が生命線であり、中央集権的な志向が強く、極右Voxと連携するPPと組むことは、自らの支持基盤を揺るがしかねない危険な賭けだ。特に、バスク州内のライバルである左派独立派のEH Bilduとの競争を考えれば、スペインの右派と手を組むという選択肢は政治的にほぼ不可能に近い。 一方、Juntsの状況はさらに複雑だ。カルレス・プッチダモン元カタルーニャ州首相が率いるJuntsは、カタルーニャ独立運動指導者への恩赦法案を成立させるという取引のためにサンチェス政権を支持しているに過ぎない。しかし、プッチダモン氏自身、サパテロ氏への捜査について、自身らが受けてきた司法による政治介入、いわゆる「ローフェア(lawfare)」の可能性があると示唆している。これは、自分たちを追及してきたスペインの司法や右派勢力への根深い不信感の表れであり、その同じ勢力が主導する不信任案に乗ることは考えにくい。彼らにとってサンチェス政権は「最悪ではない」選択肢であり、PPとVoxが政権を握る事態は絶対に避けたいシナリオなのだ。このように、地域政党は現政権に不満を抱えつつも、それを上回る「右派・極右政権」への警戒感から、サンチェス政権を支え続けるというジレンマに陥っている。

サンチェス政権の脆弱な安定

サンチェス首相と社会労働党は、不信任案が実際に可決される可能性は低いと見て、表向きは冷静を装っている。彼らの計算では、イデオロギー的に相容れないPNVやJuntsがPPやVoxと手を組むことはあり得ない。しかし、この楽観論の裏で、政権の足元は確実に揺らいでいる。サパテロ氏の疑惑に加え、サンチェス首相の妻や弟を巡る別の疑惑もくすぶり続けており、野党からの「腐敗」というレッテル貼りはボディブローのように効いている。実際、政権は2024年度の国家予算案を議会で可決できず、前年度予算の延長を余儀なくされた。これは、政権が法案を一つ通すことさえ困難な、極めて脆弱な議会運営を強いられていることの証左だ。不信任案という直接的な脅威は回避できても、議会が機能不全に陥り、重要な政策決定が滞る「事実上の死に体」となるリスクは高まっている。PNVが口にした「2026年以降の政権継続は無責任」という言葉は、任期満了を待たずに解散総選挙に追い込まれる可能性が現実味を帯びていることを示唆している。

日本の読者への解説

今回のスペインの政局は、日本の政治状況と比較することで、いくつかの重要な構造的違いと共通の課題を浮き彫りにする。第一に、不信任案の制度的違いだ。前述の通り、スペインの「建設的不信任案」は、単に内閣を倒すだけでなく、次の首相を指名して過半数の信任を得る必要がある。これは、単独過半数政党が存在しない限り、極めてハードルが高い。日本の内閣不信任決議案が可決された場合、内閣は総辞職するか、衆議院を解散するかの選択を迫られるが、野党側が次の政権の枠組みを同時に示す必要はない。この制度の違いが、スペインの野党に、単なる政権批判以上の、政権奪取後の具体的な連合形成という重い課題を課している。 第二に、政治の分断の質の違いである。日本も多党化が進んでいるが、スペインの分断は左右のイデオロギー対立に加え、「中央政府と地方」という、より根深い対立軸が絡み合っている。カタルーニャやバスクの地域ナショナリスト政党は、政策の左右よりも、自らの地域の自治権やアイデンティティを最優先する。そのため、サンチェス左派政権は、彼らの協力を得るために恩赦法など大きな譲歩を強いられる。このような、国家のあり方そのものを問うレベルでの政治的取引は、現在の日本の政界では見られない現象だ。 最後に、「司法の政治問題化(ローフェア)」という概念は、日本にとっても無縁ではない。政治家を巡る疑惑が浮上した際、司法の判断が政治的意図に左右されているのではないかという疑念が生じれば、司法制度そのものへの信頼が揺らぐ。スペインでは、左右両陣営や地域ナショナリストが、自らに不利な司法判断を「ローフェア」と批判し合う状況が常態化しつつある。これは、法の支配という民主主義の根幹を揺るがす危険な兆候であり、政治的分極化が進む社会が直面しうる共通の課題として、日本の我々も注視すべきだろう。

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