スペイン文学界に登場した中国の新たな声
2019年、中国で最も権威ある文学賞の一つである茅盾文学賞を史上最年少で受賞し、現代中国文学の新たな旗手として注目される作家、徐則臣(シュ・ゼェチェン、1978年生まれ)。彼の作品『郊外の物語』が『Historias del extrarradio』としてスペインで出版され、現地の読書界に新たな視点を提供している。これは徐氏の著作で初めてスペイン語に翻訳されたものであり、スペインの主要紙ABCのインタビューを通じて、彼の文学観と現代中国社会への深い洞察が明らかにされた。彼の作品が描き出すのは、毛沢東時代や文化大革命の物理的な苦難ではなく、急速な経済発展の裏側で現代の若者が抱える、より内面的で「精神的な苦悩」である。このテーマは、スペインや日本の読者にとっても決して無縁ではない、グローバルな現代社会の共通課題を映し出している。
物質的苦痛から精神的苦悩へ:中国文学における世代交代
徐則臣氏の文学を理解する上で重要なのは、彼がノーベル文学賞作家の莫言(モー・イエン)や余華(ユイ・ホア)といった上の世代の作家たちと一線を画している点だ。上の世代の作家たちは、大躍進政策や文化大革命といった歴史的な大事件によってもたらされた飢餓、暴力、政治的抑圧といった「物質的」かつ「外的」な苦しみを作品の中心に据えてきた。彼らの原体験には、国家が個人に与えた巨大な爪痕が生々しく刻まれている。しかし、1978年生まれの徐氏の世代は、これらの歴史的悲劇を直接体験していない。彼が物心ついた頃には、中国は改革開放路線をひた走り、経済成長が社会の最優先課題となっていた。
徐氏はインタビューでこの世代間の断絶を明確に指摘している。「現代の若者が経験する困難は、むしろ精神的なものです。それは感情的なアイデンティティや、どこに属しているのかという感覚に関わるものです」。彼の描く苦悩とは、食うに困る苦しみではなく、都市に出てきたものの完全には溶け込めず、かといって故郷の農村にも戻れない若者たちのアイデンティティの揺らぎや疎外感である。豊かにはなったが、人生の目標を見失い、精神的な拠り所をなくした人々の姿は、経済発展が必ずしも個人の幸福に直結しないという現代的なジレンマを映し出す。これは、中国社会が「生存」の段階から「生活」や「自己実現」の段階へと移行する中で生まれた、新しい種類の苦悩と言えるだろう。
「郊外」という第三の空間:都市と農村の狭間で
彼の作品の舞台として頻繁に登場するのが「郊外(extrarradio)」である。徐氏にとって郊外とは、単なる地理的な場所ではない。それは「都市と農村の間の移行地帯、第三の空間」という象徴的な意味を持つ。そこは、農村から出てきて都市での成功を夢見る人々が、まだ都市に完全には統合されずに暮らす場所だ。成功への希望と挫折の絶望が混在し、伝統的な価値観と近代的なライフスタイルが衝突する、複雑でダイナミックな活気に満ちた空間である。
この「郊外」という設定は、過去数十年で数億人が農村から都市へと移動した中国の巨大な社会変動を捉えるための優れた文学的装置となっている。登場人物たちは、物理的な移動だけでなく、農耕文明から工業文明へ、前近代的な世界から近代的な世界へと移行する中で、内面的な変容を経験する。徐氏が描く1990年代から2000年代初頭は、中国経済が爆発的に成長した時期であり、「努力すれば夢は叶う」という楽観主義が社会全体を覆っていた。しかし、現在の中国は経済成長が鈍化し、若者たちはかつてないほどの閉塞感に直面している。徐氏の文学は、その楽観の時代が終わり、新たな段階に入った現代中国の若者たちが抱える問いを鋭く描き出しているのだ。
グローバル化の中の「中国らしさ」の探求
徐氏は、ボルヘスやバルガス=リョサ、フォークナーといった世界文学の巨匠たちから多大な影響を受けたことを公言しており、現代の中国文学が国際的な文学とほぼ「同期している」と語る。グローバル化により、世界中の作家が同じような情報や文学的資源を共有する時代になった。しかし同時に、彼はその中で「中国の作家」としての独自性を強く意識している。その点で、彼が現代中国最高の作家として名前を挙げるのが莫言だ。
徐氏は莫言を「他の誰にも書けないものを書ける作家」と評価する。その理由は、莫言が中国の伝統文学の資源を深く消化し、自身の作品に昇華させている点、そして失われつつある農村の豊かな民間伝承や口承文化を作品に並外れた手法で取り込んでいる点にあるという。グローバル化が進めば進むほど、文学が均質化する危険性が高まる。その中で、いかにして「中国特有の資源」を用いて世界と渡り合える作品を生み出すか。これは徐氏自身にとっても大きな課題であり、彼の文学が現実社会との強いつながりを持ち、都市化や農村社会の解体といった具体的な問題を描き続ける理由もここにある。彼の視線は、国際的な潮流を見据えつつも、常に足元の中国社会の変容に深く根差している。
日本の読者への解説
徐則臣氏が描く現代中国の若者の「精神的な苦悩」は、日本の読者にとって極めて示唆に富んでいる。経済の急成長が終わり、社会が成熟期から停滞期へと移行する中で、人々の価値観がどのように変化し、どのような新たな課題が生まれるかという点で、中国の現状は日本の「失われた数十年」と重なる部分が多いからだ。かつて日本が経験したように、中国でも「頑張れば豊かになれる」という右肩上がりの社会モデルが揺らぎ始めている。大学を卒業しても理想の職に就けず、高騰する不動産価格を前にマイホームの夢も遠い。このような状況で若者が抱える閉塞感やアイデンティティの不安は、バブル崩壊後の日本で語られてきた「生きづらさ」と通底するものがある。
徐氏の文学が「郊外」という都市と農村の狭間を舞台にしている点も興味深い。これは、地方から上京した若者が東京という巨大都市の中で感じる疎外感や、故郷との心理的な距離といった、日本の文学や社会でも繰り返し描かれてきたテーマを想起させる。高度経済成長期に集団就職で都市に出た世代の物語とは異なり、現代の若者の移動はより個人的で、その内面的な葛藤も複雑化している。物質的な豊かさが約束されない中で、何のために働き、どこに自分の居場所を見出すのか。この問いは、日中両国の若者が共通して直面している課題である。徐則臣氏の作品は、隣国で起きている社会の深層変化を文学というレンズを通して理解するための一級の資料であり、日本社会が自らの過去と現在を映し出す鏡ともなりうるだろう。













