序章:45年を生き抜いた「社会保障」という名のバンド

スペインの音楽シーンにおいて、45年という長きにわたり第一線で活動を続けるバンドは稀有な存在だ。1982年にバレンシアで結成された「セグリダ・ソシアル(Seguridad Social、スペイン語で「社会保障」の意)」は、まさにその代表格である。パンクロックの過激な衝動からキャリアをスタートさせ、やがてラテンのリズムを取り入れた独自のスタイルで国民的な人気を博した。その中心人物であり、唯一のオリジナルメンバーであるホセ・マヌエル・カサーニャ氏(1963年生まれ)が、スペイン紙のインタビューで赤裸々に語ったその半生は、一人のミュージシャンの物語にとどまらず、スペイン社会の変遷とアーティストが直面する普遍的な苦悩を浮き彫りにする。成功の陰にあったバンドの分裂、二度にわたる経済的破綻、そして近年の個人的な悲劇を乗り越え、9年ぶりの新作『火星へ行く(Voy a Marte)』を携えて再び創造の舞台に戻ってきた彼の言葉から、その軌跡を辿る。

バレンシアのパンク青年と「チキージャ」の奇跡

1982年、フランコ独裁政権が終焉し、スペインが「モビーダ」と呼ばれる文化的爆発の時代に突入する中、セグリダ・ソシアルはバレンシアで産声を上げた。当時のカサーニャ氏は、モヒカン刈りに安全ピンという出で立ちの、典型的なパンク青年だった。「年金受給者を殺せ」といった過激なタイトルの曲を演奏し、社会への反骨精神を剥き出しにしていた。しかし、現実は厳しかった。10年近く鳴かず飛ばずの時代が続き、30歳になるまで実家暮らしを抜け出せなかった。夜にライブがあっても、翌朝未明には父親が営むパン屋でパンを焼く生活。ヨーロッパツアーから疲れ果ててバレンシアに帰ってきても、車から降りるやいなや、休む間もなくパン生地をこねる日々だったという。父親が彼のコンサートを初めて観に来たのは、バンド結成から15年も経ってからのことだった。

転機は1991年に訪れる。ある日、カサーニャ氏は「15分で書いた」という新曲を練習スタジオに持ち込んだ。それまでのアングロサクソン的なロックの影響から脱し、ラテンのルーツに根差した音楽への転換を提案する曲だった。しかし、その曲を聴いた他のメンバーの反応は、彼の期待とは真逆のものだった。全員がその音楽性を拒絶し、バンドを脱退してしまったのだ。バンドを分裂に追い込んだその曲こそ、後にスペインの誰もが口ずさむことになる大ヒット曲『チキージャ(Chiquilla)』である。皮肉なことに、長年苦楽を共にした仲間たちが成功の扉を目前にして去っていった後、セグリダ・ソシアルは『チキージャ』で前例のない成功を収め、カサーニャ氏はついに音楽だけで生計を立て、実家を出ることができた。このエピソードは、芸術的なビジョンが時として孤立を生み、しかしその先にこそ大きな飛躍が待っているという、創造の世界の非情な真理を物語っている。

成功の光と影:業界の構造変化と二度の経済的破綻

『チキージャ』の成功はバンドに富と名声をもたらしたが、その道程は決して平坦ではなかった。商業的成功を収めたパンクバンドの宿命として、かつての仲間からは「裏切り者(vendido)」と罵られた。しかし、より深刻だったのは音楽業界の構造変化だった。カサーニャ氏がキャリア最悪の危機として挙げるのが、2000年代初頭にスペインを席巻したオーディション番組「オペラシオン・トリウンフォ(Operación Triunfo)」の登場だ。この番組から生まれたアイドル的な歌手たちがメディアを独占し、セグリダ・ソシアルのようなロックバンドが活躍する場が急速に失われていった。「リングに上がって、まさか殴られるとは思っていないところに、突然強烈なパンチを食らったようだった」と彼は振り返る。この逆風の中でも、彼らはライブ活動を決して止めなかった。年間70本もの公演をこなし、高額な出演料を要求するよりも、より多くの場所で演奏することを選んだ。その姿勢が、彼らを単なる一発屋で終わらせなかった要因だろう。

さらに、カサーニャ氏を個人的な経済危機が襲う。一度目は2008年の世界金融危機に端を発するスペインの不動産バブル崩壊だ。住宅ローンを抱えていた時期にツアーの仕事が激減し、自宅を失いかけた。そして二度目は、記憶に新しいコロナ禍である。2年間にわたりライブ活動が完全に停止し、収入が途絶えた。国民的ヒット曲を持つスターでさえも、スペインの深刻な経済危機と無縁ではいられなかったのだ。この経験は、アーティストという職業の脆弱性と、華やかな世界の裏にある厳しい現実を物語っている。

喪失の9年間を経て、創造による再生へ

前作から9年もの間、新作が生まれなかった背景には、こうした経済的な苦境に加え、カサーニャ氏を襲った一連の個人的な悲劇があった。交通事故、敬愛する父親とマネージャーの相次ぐ死、そして命の危険さえ感じた新型コロナウイルスへの感染と、その渦中で経験したパートナーとの辛い別離。彼はこの時期を「喪(duelos)」の期間だったと語る。しかし、彼は絶望の中に沈むことはなかった。借りたアパートの物置にマットレスを持ち込んで即席のスタジオを作り、インターネット経由で仲間と曲作りを始めた。「音楽が私を救ってくれた」と彼は言う。新作『火星へ行く』は、この喪失の体験から生まれた楽曲群で構成されており、精神医学で知られる「悲しみの5段階(否定、怒り、交渉、抑うつ、受容)」をテーマに構成されているという。このアルバムは、スペインを代表するコミックアーティストで、日本でも『皺(Arrugas)』で知られるパコ・ロカがイラストを手がける書籍と共に発表される予定だ。個人的な苦悩を普遍的な芸術へと昇華させることで、彼は自らを再生させようとしている。

日本の読者への解説

セグリダ・ソシアルとカサーニャ氏の物語は、日本の音楽ファンや社会ウォッチャーにとっても多くの示唆に富んでいる。まず、彼のキャリアの転換点となった『チキージャ』は、海外の音楽を模倣する段階から、自国の文化に根差した独自の表現へと移行するプロセスを象徴している。これは、日本の音楽シーンが経験してきた、洋楽のカバーからJ-POPという独自のジャンル形成への流れと重ね合わせることができる。特に、アングロサクソン的なロックにルンバの要素を融合させた『チキージャ』は、スペインならではのロックの形を提示した点で画期的だった。

また、彼の二度の経済的破綻は、スペインが21世紀に経験した二つの大きな経済危機(2008年金融危機、コロナ禍)をアーティストの視点から生々しく伝えるものだ。日本では、ミュージシャンが経済的苦境を公に語ることは比較的少ないが、彼の告白は、文化活動がいかに社会経済の動向と密接に結びついているかを教えてくれる。特に、ライブ活動に収入の多くを依存するアーティストにとって、コロナ禍がいかに壊滅的な打撃であったかは、日本もスペインも同様である。

さらに興味深いのは、彼が一貫して故郷バレンシアを拠点とし続けたことだ。日本のエンターテインメント業界が極端な東京一極集中であるのとは対照的に、スペインではマドリードやバルセロナ以外の地方都市からも重要な文化が生まれる土壌がある。地中海に面したバレンシアの気風が、彼の音楽の開放性やラテン的な明るさに影響を与えたことは想像に難くない。彼の生き方は、グローバル化が進む現代において、ローカルなアイデンティティに根差すことの重要性を静かに示していると言えるだろう。

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