はじめに:宝くじ当選者の「夢を追え」
スペインの大手紙ABCに掲載されたある文化コラムが、静かな、しかし確かな波紋を広げている。その中心にあるのは、アメリカのコメディアンであり映像作家のボー・バーナムが2016年に行った発言だ。エンターテインメント業界での成功を目指す若者へのアドバイスを求められた彼は、こう答えた。「深呼吸して、諦めることだ。システムは君を潰すために仕組まれている。才能や努力が実を結ぶことはない」。さらに彼は、ポップスターのテイラー・スウィフトが「夢を追いかけて」と語ることを、宝くじの当選者が「全財産を宝くじにつぎ込め、うまくいくから!」と叫ぶようなものだと皮肉った。この10年近く前の発言が、なぜ今、スペインの知識人の心に響き、考察の対象となっているのだろうか。それは、この言葉が単なる冷笑的なジョークではなく、スペインを含む先進国の若者世代が直面する、構造的な閉塞感と不条理を的確に言い当てているからに他ならない。
ボー・バーナムと「絶望のコメディ」という鏡
まず、ボー・バーナムという人物とその発言の背景を理解する必要がある。彼は2000年代後半にYouTubeへの自作の歌の投稿でキャリアをスタートさせた、いわばインターネット時代の申し子だ。彼のコメディは、単に観客を笑わせるだけではない。SNSが蔓延する社会の精神的病理、資本主義の矛盾、そしてパフォーマンスとしての現代生活の虚無感を、時に不快なほど鋭く、そして知的に描き出す。彼の作品は、笑いの仮面を被った社会批評であり、特にミレニアル世代やZ世代から熱狂的な支持を得てきた。
問題の発言がなされた2016年は、ドナルド・トランプが大統領に当選する直前のアメリカであり、社会の分断と経済格差に対する若者の不満が頂点に達しようとしていた時期だ。大学を卒業しても高額な学費ローンに苦しみ、非正規雇用を転々とする若者たちにとって、「努力すれば報われる」というアメリカン・ドリームはもはや信じられない神話となっていた。バーナムの言葉は、こうした時代の空気を吸い込んだ上で、成功物語の欺瞞を暴くものだった。彼が対比として持ち出したテイラー・スウィフトは、まさにそのアメリカン・ドリームの現代における最大の体現者である。彼女の物語は、類稀な才能と絶え間ない努力によって逆境を乗り越え、世界の頂点に立ったという、完璧なサクセスストーリーとして語られる。しかしバーナムは、その物語が輝けば輝くほど、その他大勢の夢破れた者たちの屍の上に成り立っているという残酷な真実を突きつける。それは、個人の努力を称賛することで、システムそのものが持つ不公平さから目を逸らさせるための、巧妙なイデオロギー装置ではないか、という根源的な問いかけなのだ。
スペイン社会に響く「諦め」の勧め
このアメリカ発の問いかけが、なぜスペインのコラムニストの琴線に触れたのか。その答えは、スペインが過去十数年にわたって経験してきた社会経済的状況の中にある。2008年の金融危機はスペイン経済に壊滅的な打撃を与え、特に若者世代はその直撃を受けた。一時は50%を超える驚異的な若年失業率を記録し、その後経済が回復基調に入っても、若者の雇用は「precariedad(プレカリエダ)」と呼ばれる不安定で低賃金な短期契約が常態化した。高い教育を受けたにもかかわらず、専門性を活かせない仕事にしか就けない「過剰教育」問題も深刻だ。このような環境で育った世代にとって、「才能と努力」という言葉は空虚に響く。
スペインの文化産業も例外ではない。映画、音楽、出版といった分野は、マドリードとバルセロナという二大都市に機会が極度に集中している。地方出身のアーティストが中央で認められるには、経済的な基盤や強力な人脈(エンチュフェ)が不可欠とされることも少なくない。公的な文化助成金制度は存在するものの、それだけで生計を立てられるのはごく一部だ。さらに、YouTubeやTikTokといったプラットフォームは、一見すると誰にでもチャンスを与える平等な舞台に見える。しかし、その実態はアルゴリズムに支配された過酷な注目度競争であり、持続的なキャリアを築くことは極めて難しい。瞬間的に「バズる」ことはあっても、それが安定した収入や芸術的評価に繋がる保証はどこにもない。こうした現実を前に、「諦めろ」というバーナムの言葉は、残酷な宣告であると同時に、過剰な自己責任論から若者を解放する、ある種の慰めとして機能する側面すらあるのだ。
「生存者バイアス」という現代の神話
バーナムの「宝くじ当選者」の比喩は、統計学や心理学で「生存者バイアス(survivor bias)」として知られる認知の歪みを的確に言い表している。私たちは、成功という結果から遡ってその原因を探ろうとする時、成功者の物語ばかりに目を奪われ、その裏に存在する無数の失敗者の存在を無視してしまう。メディアは、成功した起業家、アスリート、アーティストの「努力の物語」を繰り返し報道する。彼らが「諦めなかった」から成功したのだ、と。しかし、同じように、あるいはそれ以上に努力したにもかかわらず、成功できなかった人々が無数にいるという事実は語られない。なぜなら、彼らの物語は「面白くない」からだ。
この生存者バイアスに基づいた成功物語は、社会的に極めて重要な機能を果たしている。それは、現状のシステムを肯定し、人々に希望を与え続けることで、社会の安定を維持する役割だ。もし大多数の人間が「どうせ努力しても無駄だ」と考えるようになれば、社会の活力は失われ、体制への不満が噴出しかねない。だからこそ、社会はテイラー・スウィフトのような「例外的な成功者」を英雄として称賛し、「あなたも彼女のようになれるかもしれない」というメッセージを発信し続ける。これは、個人の努力不足に失敗の責任を転嫁し、格差を生み出す社会構造そのものへの批判をかわすための、巧妙な心理的メカニズムと言える。スペインのコラムニストがバーナムの言葉に注目したのは、このメカニズムの欺瞞性に気づき始めた人々が、スペイン社会においても増えていることの証左だろう。
日本の読者への解説
スペインの文化人がアメリカのコメディアンの言葉を引用して論じる社会状況は、驚くほど日本の現状と重なり合う。日本もまた、「失われた30年」と呼ばれる長期の経済停滞を経て、若者世代の間には深い閉塞感が漂っている。「親ガチャ」という言葉が広く共感を得たように、個人の努力では覆せない出自による格差の存在は、もはや共通認識となりつつある。
エンターテインメントやクリエイティブ業界の構造も酷似している。一部のスターやヒットメーカーの陰で、多くのアニメーター、アシスタント漫画家、若手俳優が低賃金と長時間労働に喘いでいる現実は、繰り返し告発されてきた。「好きを仕事に」という美しい言葉が、時に「やりがい搾取」を正当化する道具として使われる構図も同じだ。このような状況で、成功者が語る「夢を諦めないで」というメッセージは、時に無責任で、残酷にすら聞こえるだろう。
ただし、スペインと日本の間には社会的な反応の違いも見られる。スペインでは、高い失業率や不安定雇用といった問題は、大規模なデモやストライキ、さらにはポデモスのような新しい左派政党の台頭といった、具体的な政治的アクションに結びつきやすい土壌がある。社会の矛盾に対する怒りが、より直接的に表明される傾向が強い。一方、日本では、同様の不満が政治的なエネルギーに転化しにくく、むしろ社会への諦めや内向きの自己批判、あるいはSNS上でのシニカルな言説に繋がりやすいかもしれない。
ボー・バーナムの冷笑的ながらも本質を突く言葉が、遠く離れたスペインで、そして日本でさえもリアリティを持って受け止められる。それは、私たちが生きるこのグローバル資本主義のシステムが、国境を越えて共通の課題、すなわち「努力のインフレ」と「機会の不平等」を生み出していることの何よりの証拠である。夢を語ることの功罪を問い直し、成功物語の裏にある構造的な問題に目を向けること。それは、もはや単なる文化批評ではなく、現代社会を生きる私たちすべてに課せられた、避けては通れない宿題なのだ。













