喝采と抗議が交錯する劇場

1984年7月、マドリードのサルスエラ劇場で初演され、瞬く間にスペイン舞踊の歴史を書き換えた傑作、バレエ『メデア』。初演から40年以上の時を経て、スペイン国立バレエ団が同じ舞台でこの記念碑的作品を上演し、満場の喝采を浴びている。しかし、その輝かしい舞台の幕が開く直前、劇場の前では主役であるはずのダンサーたちが「拍手では家賃は払えない」というプラカードを掲げ、抗議の声を上げていた。芸術における「古典」の価値、そしてそれを支えるアーティストたちの現実という、スペインの文化政策が抱える根深い矛盾が、この一つの公演を巡って浮き彫りになっている。

「古典」はいかにして生まれるか:『メデア』の革新性

ある作品が「古典」の域に達するには、どれほどの時間が必要だろうか。スペイン国立バレエ団の『メデア』は、その問いに「時間は関係ない」と答えるかのように、初演からわずかな期間でその地位を確立した。この作品の成功は、単なる優れた舞踊作品というだけではない。それは、1980年代のスペインが民主化後の新しい文化的アイデンティティを模索する中で生まれた、奇跡的なコラボレーションの産物だった。

振付師ホセ・グラネロ、作曲家マノロ・サンルーカル、そして演出家ミゲル・ナロス。この三者が結集し、ギリシャ悲劇の金字塔であるエウリピデスの『メディア』を、スペイン舞踊の語法で再構築するという、当時としては前代未聞の試みに挑んだ。ここで言うスペイン舞踊とは、フラメンコのみを指すのではない。クラシックバレエの素養を基礎に、ボレロ派や民族舞踊など多様な要素を内包する、より広範で奥深い芸術形式である。グラネロの振付は、夫ハソンに裏切られた魔女メデアの絶望、嫉妬、そして狂気の復讐を、フラメンコの激しい足さばきと、スペイン舞踊特有の身体の緊張と弛緩、そして演劇的な表現力で見事に描き出した。

マノロ・サンルーカルによる音楽もまた、この作品を不滅のものにした。フラメンコギターの魂を揺さぶる旋律と、オーケストラの壮大でドラマティックな響きが融合し、登場人物の心理を深くえぐり出す。特に、メデアがハソンを誘惑する場面の官能的なパ・ド・ドゥ(男女二人による踊り)は、息をのむほどの美しさと叙情性で観客を魅了する。この舞踊、演劇、音楽の完璧な融合が、『メデア』を単なるバレエ作品から、総合芸術の域にまで高めたのである。初演でメデア役を踊ったマヌエラ・バルガス以来、ロラ・グレコ、メルチェ・エスメラルダ、エバ・ジェルバブエナといった伝説的な舞踊家たちがこの役を継承し、作品の神話を築き上げてきた。今日のダンサー、インマ・サロモンもまた、その系譜に連なるにふさわしい、技術と表現力を兼ね備えた踊りで観客を圧倒している。

伝統と現代の対話:『フラメンコ・ロック・アンダルース』

今回の公演で、現芸術監督のルベン・オルモは、『メデア』という絶対的な古典に、ラファエラ・カラスコ振付による新作『フラメンコ・ロック・アンダルース』を並べるという意欲的なプログラムを組んだ。これは、1970年代にスペイン南部アンダルシア地方で花開いた音楽ムーヴメント「ロック・アンダルース」へのオマージュである。

フランコ独裁政権末期に生まれたこのムーヴメントは、プログレッシブ・ロックの実験精神と、フラメンコの魂ともいえる伝統的な旋律やリズムを融合させた、スペイン独自の音楽ジャンルだ。それは単なる音楽的実験に留まらず、抑圧された時代における若者の叫びであり、アンダルシアという土地のアイデンティティの表明でもあった。『メデア』が古代ギリシャの普遍的な悲劇をスペインの身体言語で語るのに対し、『フラメンコ・ロック・アンダルース』は、スペインの現代史の一断面を、フラメンコの現代的な解釈で描き出す。舞台はまるでロックコンサートのような雰囲気を醸し出し、伝説的なバンドの楽曲が、現代のフラメンコダンサーたちの肉体を通して新たな生命を吹き込まれる。

この二作品の組み合わせは、スペイン国立バレエ団が、過去の偉大な遺産を守り伝えるだけでなく、常に現代と対話し、進化し続ける芸術集団であることを力強く宣言している。40年前の革新が今や「古典」となり、そして現代の革新が未来の古典となる可能性を秘めている。このダイナミズムこそが、同バレエ団がスペイン文化の至宝たる所以だろう。

芸術的栄光の裏にある搾取構造

しかし、その栄光の舞台裏で、ダンサーたちは深刻な現実に直面している。サルスエラ劇場の前で行われた抗議活動は、彼らが置かれた不安定な労働条件を社会に訴えるためのものだった。「文化省からの約束や美辞麗句にもかかわらず、私たちの給与は何年もの間、不安定なまま改善されていません」。これは、スペイン国立バレエ団と、クラシックバレエを専門とする国立ダンスカンパニーの双方に共通する問題だ。

彼らは、国の文化を代表するトップアーティストでありながら、その地位に見合った経済的対価を得られていない。プラカードに書かれた「El aplauso no da de comer ni paga el alquiler(拍手は食料にも家賃にもならない)」という言葉は、芸術への情熱だけでは生活が成り立たないという、痛切な叫びである。この問題の根は深い。スペインでは、国の文化機関が国際的な名声を獲得することを政策目標として掲げる一方で、それを最前線で支えるアーティストの人件費は、緊縮財政のしわ寄せを受けやすい構造がある。国の「計り知れない価値を持つ宝」と称賛される芸術作品を生み出す人々が、経済的な不安を抱えながら日々の厳しい訓練と公演に臨んでいるという現実は、スペインの文化政策における深刻な矛盾を示している。観客の熱狂的な拍手と、ダンサーたちの静かな怒りの間には、芸術の価値を真に理解し、それを支える仕組みを社会として構築できるのかという、スペイン全体への問いかけが横たわっている。

日本の読者への解説

このスペイン国立バレエ団を巡る状況は、日本の舞台芸術界に身を置く人々や、文化政策に関心を持つ読者にとっても示唆に富んでいる。まず、国立の芸術団体に対する国家の関与の仕方が日西で大きく異なる点が挙げられる。スペイン国立バレエ団は文化省の直轄組織であり、ダンサーは公務員に近い立場でありながら、その処遇が低いことが問題となっている。一方、日本の新国立劇場は独立行政法人であり、所属するダンサーや歌手は年間契約の個人事業主であることが多い。雇用形態は異なるが、「国の顔」であるはずのトップアーティストが、必ずしも安定した生活を送れるわけではないという根本的な問題は共通している。

次に、「古典」の創造と継承という点だ。『メデア』がわずか40年で国民的財産と見なされるようになった背景には、伝統的なスペイン舞踊の枠を打ち破り、演劇や現代音楽と融合させる大胆な挑戦があった。これは、例えば蜷川幸雄氏がシェイクスピア劇に日本の様式美を取り入れて世界的な評価を得たように、自国の文化資源を異質なものと掛け合わせることで、新たな普遍性を獲得する成功例と言える。日本の伝統芸能もまた、古典の厳格な継承と同時に、現代の観客に響く新たな「古典」を生み出す挑戦をどう進めていくかという課題に直面している。

最も重要なのは、アーティストの労働環境の問題である。スペインのダンサーたちの「拍手では生活できない」という訴えは、日本のアニメーターや若手俳優、音楽家などが直面する経済的困難と痛切に共鳴する。文化が経済活動として正当に評価されず、アーティストの「やりがい」や「情熱」に依存する構造は、国を問わず存在する。スペインの事例は、国の最高峰とされる団体ですらこの問題から無縁ではないという事実を突きつけており、文化を国家のソフトパワーとして活用したいのであれば、その担い手であるアーティストの生活基盤を保障する制度設計が不可欠であることを、日本の私たちにも教えてくれる。

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