首相夫人に向けられた疑惑と異例の捜査
スペインの政界を揺るがす事態が新たな局面を迎えた。マドリードの地方裁判所は、ペドロ・サンチェス首相の妻であるベゴニャ・ゴメス氏を、影響力行使と民間での汚職の疑いで、市民が審理に参加する陪審法廷で裁くことを決定した。この決定は、スペイン社会に深く根付く政治的分断と、司法が政治闘争の主戦場と化している現状を象徴している。
ゴメス氏に対する疑惑の中心は、彼女が所長を務めていたアフリカに関するビジネススクールの修士課程と、政府契約を受注した複数の企業との関係にある。告発状は、ゴメス氏が首相夫人という立場を利用して、特定の企業が有利になるよう働きかけたと主張している。しかし、この告発は極右 성향の団体「マノス・リンピアス(清廉な手)」によって提出されたもので、その根拠は新聞記事の切り抜きのみであったことが判明している。通常であれば証拠不十分で棄却されてもおかしくない告発が、本格的な司法調査に発展したこと自体が異例と言える。
さらに、本件の予審を担当するフアン・カルロス・ペイナド判事の捜査手法も物議を醸している。検察庁は証拠が不十分であるとして捜査の打ち切りを繰り返し求めてきたが、判事はこれを退け、捜査を続行。上位の裁判所が判事の捜査範囲を限定する判断を下すなど、司法内部でもその手法に対する疑義が呈されている。このような状況下で陪審裁判の決定が下されたことは、法的な正義の追求というよりも、サンチェス政権に打撃を与えるという政治的意図が働いているとの見方を強めている。
「ローフェア」:法廷を舞台にした政治戦争
今回の事態の背景には、「ローフェア(lawfare)」と呼ばれる現象がある。これは、法律(law)と戦争(warfare)を組み合わせた造語で、司法制度を利用して政敵を社会的に抹殺し、政治的ダメージを与える闘争手法を指す。スペインでは近年、特に右派勢力がこの手法を多用し、左派政権関係者を次々と法廷に引きずり出している。
ゴメス氏の事件は氷山の一角に過ぎない。サンチェス首相の周辺では、同様の事例が相次いでいる。元検事総長は、証拠が固まっていないとされる情報漏洩の罪で有罪判決を受けた。首相の実弟ダビド・サンチェス氏も、地方政府の役職人事を巡る職権乱用事件で「必要協力者」として有罪とされたが、判決文自体が「推測するしかない」と認めるなど、強固な証拠に基づかない判断との批判が根強い。これらの事件は、右派政党、保守系メディア、そして司法の一部が連携し、サンチェス政権を揺さぶるために仕組まれた一連のキャンペーンであるとの見方が左派陣営を中心に広がっている。
サンチェス首相自身、今年4月に妻への攻撃に抗議して5日間公務を離れ、辞任を検討すると表明したことは記憶に新しい。これは、一連の司法攻勢が単なる汚職追及ではなく、首相個人とその家族を標的とした人格攻撃であり、民主主義の根幹を揺るがすものであるという彼の問題意識の表れだった。結果的に職務続行を決断したが、この一件はスペインの政治的対立がもはや政策論争の域を超え、司法を巻き込んだ消耗戦に突入していることを国内外に示した。
機能不全に陥る司法制度と陪審制のリスク
スペインにおけるローフェアの背景には、司法制度そのものが抱える構造的な問題がある。その最たる例が、裁判官の人事を司る司法総評議会(CGPJ)のメンバー更新が5年以上にわたって停滞している問題だ。憲法では5年ごとの更新が定められているが、野党第一党の国民党(PP)が、自らに有利な保守派多数の構成を維持するために更新を拒否し続けている。これにより、司法の最高機関が政治的思惑によって機能不全に陥り、司法全体の独立性と中立性に対する国民の信頼が大きく損なわれている。
このような状況下で、ゴメス氏の裁判が市民による陪審制(Tribunal del Jurado)で行われることの意義は大きい。スペインの陪審制は、9人の市民陪審員が有罪か無罪かの評決を下し、裁判官は量刑のみを担当する。この制度は市民の司法参加を促す一方で、法律の専門家ではない市民が、メディアによって増幅された情報や政治的な雰囲気に影響されやすいという脆弱性を抱える。司法統計によれば、スペインの陪審裁判での有罪率は90%を超える。ペイナド判事が、一度は上級裁判所に却下されながらも執拗に陪審裁判を求めたのは、複雑な法的証拠よりも、メディアが作り上げた「首相夫人は怪しい」という世論を評決に反映させやすいという計算があったのではないかと勘繰られても仕方がない。
日本の読者への解説
スペインで起きていることは、対岸の火事ではない。第一に、司法の政治化という問題である。日本では、内閣が最高裁判所長官を指名し、その他の裁判官を任命する制度はあるものの、スペインの司法総評議会のように、政党が人事を巡って露骨な駆け引きを長期間続け、司法機能が麻痺するほどの事態は考えにくい。しかし、政治が司法の独立性に介入しようとする圧力はどの国にも存在する。スペインの事例は、一度その一線を越えると、司法が正義の砦ではなく政争の道具となり、国家の統治機構そのものが揺らぎかねないという深刻な教訓を示している。
第二に、首相の配偶者が政治攻撃の的となる点だ。日本でも、安倍昭恵夫人を巡る森友学園問題のように、首相夫人の活動が国会で厳しく追及される事例はあった。しかし、スペインのケースは、メディアや野党による追及に留まらず、司法機関が組織的に動員され、刑事訴追という最も厳しい手段が繰り返し用いられている点で次元が異なる。これは、政治的対立が激化した場合、為政者の家族が「弱点」として執拗に狙われる危険性を示唆している。
第三に、市民参加の司法制度のあり方である。日本の裁判員制度では、市民である裁判員が職業裁判官と共に評議を行い、有罪・無罪の判断と量刑の両方を決定する。これにより、市民感覚を反映させつつも、職業裁判官が法的判断の安定性を担保する仕組みとなっている。一方、スペインの陪審制は市民だけで有罪・無罪を判断するため、世論やメディアの論調に評決が左右されるリスクがより高い。ゴメス氏の裁判は、市民参加の司法制度が、高度に政治化された事件をいかに扱うべきかという普遍的な課題を我々に突きつけている。













