序論:岐路に立つロックミュージック

2020年代も後半に差し掛かり、世界の音楽シーンにおけるロックというジャンルの立ち位置はますます複雑化している。かつてのようにチャートの頂点に君臨する巨大な存在は稀となり、多くのベテランバンドが「遺産(レガシー)」としての活動と、新たな創造性の発揮というジレンマに直面している。一方で、各国のインディーシーンでは、よりパーソナルで実験的なサウンドが静かに、しかし着実に支持を広げている。今週発表されたいくつかの対照的なアルバムは、この現代の音楽地図を象徴的に示している。英国のスタジアムロックの巨人であるMuse、サイケデリック・リバイバルの旗手と目されたTemples、そしてスペイン・マドリードから現れた新世代、KatzeとVeta。彼らの新作は、それぞれが異なる課題と向き合い、異なる答えを提示している。

壮大さの呪縛:MuseとTemplesが探る次の一手

Museは20年以上にわたり、ロックミュージックにおける「過剰さ」と「壮大さ」の代名詞であり続けた。マット・ベラミーのオペラティックなボーカル、クラシック音楽に影響を受けた複雑な楽曲構成、そして宇宙や陰謀論といった壮大なコンセプト。彼らの10枚目となる最新作『Wow! Signal』も、その路線を忠実に踏襲している。アルバムタイトルは1977年に観測された謎の宇宙電波に由来し、これまでの作品同様、コンセプトが先行する。しかし、スペインの批評家が指摘するように、その手法は長年のファンにとって既視感を伴うものになりつつある。『The Resistance』以降、彼らは個々の楽曲の集合体というより「ユニバースの構築」に心血を注いできたが、その野心は時に自己パロディの域に達し、『Simulation Theory』や『Will of the People』ではその傾向が顕著だった。本作では、宇宙的なテーマを通じて人間の脆弱さや喪失といった内面的な部分に触れようとする試みも見られ、「Hush」でのエリー・ゴールディングとのデュエットなど、ヒットの可能性を秘めた楽曲も含まれている。それでもなお、巨大なコーラス、目まぐるしいリズムチェンジ、重厚なギターリフといった「Muse印」のサウンドは健在で、そのすべてを詰め込もうとする過剰なプロダクションが、かえって楽曲の繊細なメロディを覆い隠してしまう瞬間も少なくない。彼らは小さなスケールで思考することができない。その野心は称賛に値するが、聴き手にある種の疲労感を与えることも事実だ。Museが直面しているのは、確立したスタイルを深化させることと、それを乗り越えて新たな地平を切り拓くことの間の困難な綱渡りである。

同じく英国出身のTemplesもまた、過去の遺産との格闘という点で共通の課題を抱えている。2010年代初頭、彼らは60年代サイケデリック・ロックの完璧な現代的再生としてシーンに登場し、一時はシーンを席巻するかに見えた。しかし、その後のキャリアは、誰もが知っているが「どこか漠然と」しか覚えていない、という不思議な立ち位置に留まっている。5枚目のアルバムとなる『Bliss』は、そうした状況を逆手に取り、「失うものは何もない」というある種の開き直りから生まれている。彼らは得意とする万華鏡のような60年代風ギターサウンドを一旦脇に置き、シンセサイザーとデジタルなドラムを大胆に導入。サイケデリアとダンスフロアの融合を試みた。冒頭の「Jet Stream Heart」はその試みが成功した好例だが、アルバム全体としてはそのクオリティを維持できているとは言い難い。メロディの才能に定評があったにもかかわらず、本作では印象的なメロディが不足しているという指摘は的確だ。プロダクションも、時に性急にインパクトを求めるあまり、楽曲の深みを犠牲にしている感がある。しかし、過去のスタイルのノスタルジックな繰り返しに陥るよりは、過剰さという罪を犯すことを選んだ彼らの決断は、リバイバルバンドが陥りがちな停滞からの脱却を目指す意志の表れであり、評価すべき点だろう。

スペイン・インディーの静かなる革新:KatzeとVeta

対照的に、スペイン国内のインディーシーンからは、よりパーソナルで独創的な才能が登場している。その筆頭が、マドリードを拠点とするシンガーソングライター、Katzeだ。彼女のEPは、壮大なテーマを掲げるのではなく、ごく個人的で親密な風景を描写する。「子羊のローストを食べ、吸血鬼の映画を観る。歌を作りたかったけど、できなかった。あなたは死体に別れを告げるように私のまぶたにキスをする」。こうしたミニマルな情景描写から、聴き手の感情を根底から揺さぶる力は驚異的だ。彼女の音楽の核は、その脆弱性にある。ピアノの弾き語りを中心としたサウンドは、繊細さ、精妙さ、そしてシンプルさという「3つのS」を体現している。いわゆる「ベッドルーム・ポップ」の正当な後継者でありながら、彼女の作品には絶望だけでなく、開かれた窓から差し込む光のような、臆病だが確かな希望の息吹が感じられる。スペインのヒップホップ界の重鎮Kase.Oも絶賛する彼女の音楽は、ジャンルの垣根を越えて、本質的な表現が持つ力を証明している。

もう一組、注目すべきはデュオのVetaだ。彼らの新作『Doble negación』(二重否定)は、ドイツの伝説的バンドNeu!やCanといったクラウトロックの影響を色濃く反映させつつ、それをポップミュージックの領域に引き寄せようとする野心的な試みだ。デビュー作からわずかな、しかし確実な前進を遂げた本作は、アレンジ、メロディ、歌詞、リズムのすべてがより洗練されている。ループするビート、アナログなシンセサイザー、ファルフィッサ・オルガンの音色が楽曲の骨格を成しているが、その上にピアノや弦楽器、さらにはフラメンコ風の手拍子やアコースティックギターといった異質な要素が大胆に導入されている。特に「Enjambre」といった楽曲では、その実験精神が最高潮に達する。彼らの音楽は、米国のバンドLowが示したようなミステリアスな雰囲気を纏いながらも、Stereolabのような浮遊感のあるポップネスも併せ持っている。クラウトロックという強固な推進力を持ちながら、そこに留まらない多様な音楽的語彙を駆使するVetaの存在は、スペインのインディーシーンの懐の深さを示している。

日本の読者への解説

今回取り上げた4組のアーティストが示す状況は、日本の音楽シーンを考察する上でも多くの示唆を与えてくれる。Museが直面する「壮大さのジレンマ」は、かつてJ-ROCKの黄金期を築いた日本の大物バンドの多くが共有する課題と重なる。確立されたサウンドと巨大なファンダムを持つがゆえに、大胆な方向転換が難しく、新作が常に過去の栄光と比較される。結果として、革新性よりも安定した「お約束」の提供に傾きがちになる。Museがそれでもコンセプトを掲げ、過剰なまでに装飾を施し続けるのは、巨大であり続けるための強迫観念の表れとも言え、その苦闘は日本のベテランバンドのファンにとっても他人事ではないだろう。

一方で、スペインのインディーシーンに見られるKatzeやVetaのような動きは、日本のインディーシーンの潮流とも共振している。Katzeの極めてパーソナルな「ベッドルーム・ポップ」は、SNSを通じて自己表現を行う日本の若い世代のアーティスト、例えば宅録でキャリアをスタートさせ、繊細な世界観で支持を集めるシンガーソングライターたちの姿を思い起こさせる。大掛かりなプロモーションではなく、作品の持つ「本物」の質感が口コミで広がっていくプロセスは、国境を越えた現代的な現象だ。また、Vetaがクラウトロックという特定のジャンルを深く掘り下げ、独自のポップミュージックへと昇華させる手法は、特定の海外音楽シーンからの影響を咀嚼し、独自の解釈でアウトプットする日本のインディーバンドの在り方と酷似している。スペインのインディーシーンは、もはや単に英米のトレンドを追いかけるだけでなく、独自の音楽的伝統や実験精神を融合させ、新たな価値を生み出す段階に入っている。これは、多様なサブジャンルが共存し、独自の進化を遂げてきた日本のインディーシーンが持つ強みとも通底しており、両国のシーンを比較観察することは、今後の音楽の可能性を探る上で非常に興味深い視点を提供してくれるだろう。

この記事をシェア:X (Twitter)WhatsAppLINE