ザラ創業者の娘が仕掛ける、ガリシア地方の文化戦略
スペイン北西部ガリシア州の港湾都市ア・コルーニャが、今、世界のファッションとアートの注目を集めている。その中心にあるのが、アパレル大手インディテックス(ZARAの親会社)の創業者アマンシオ・オルテガの娘であり、同社の現会長を務めるマルタ・オルテガ・ペレスが主宰する「MOP財団」だ。昨年の英国人写真家デヴィッド・ベイリー展に続き、財団が今年の夏の大型企画として招聘したのは、イタリアのファッション写真界の巨匠、パオロ・ロベルシ(1947年生まれ)である。
「Doubts(疑い)」と題された本展は、ロベルシの78年のキャリアを網羅する約200点の作品を展示する大規模なものだ。インディテックスの本拠地であるア・コルーニャを、マドリードやバルセロナと並ぶ文化発信拠点に育て上げようというマルタ・オルテガの強い意志が感じられる。彼女はロベルシについて、「彼はファッションシステムの中心にいながら、同時にその外部にも身を置く、ユニークな存在」と評する。商業主義とは一線を画し、ひたすらに自身の美学を追求し続けるロベルシの姿勢は、高速で移り変わる現代ファッション業界への静かなアンチテーゼとも言えるだろう。この展覧会は、一人の写真家の作品展であると同時に、地方都市がグローバルな文化資本をいかにして築き上げるかという、壮大な社会実験の一環でもあるのだ。
「疑い」と「偶然」から生まれる美学
展覧会のタイトル「Doubts(疑い)」は、ロベルシの創作哲学そのものを表している。彼は「確信は危険だ。疑いこそが創造性、想像力、そして希望への扉を開く」と語る。完璧さや予定調和を嫌い、撮影現場での偶然の出来事や失敗、予期せぬエラーを積極的に作品に取り込んできた。この哲学を最も象徴するのが、彼が1980年代から多用してきた大判のポラロイドカメラだ。
現代のデジタル写真のように、その場で完璧な結果が確認できるわけではない。一枚一枚のポラロイドは、現像プロセスの中で化学反応がどう進むか予測不可能な、一回性の芸術作品となる。「何が写るか分からない。私は自分自身を驚かせたいのだ」とロベルシは言う。この手法によって生み出されるイメージは、輪郭が滲み、色彩は淡く、まるで夢や記憶の中の光景のように幻想的だ。その独特の作風から、彼は「パオロイド(Paoloroid)」という愛称で呼ばれるほどである。彼のスタジオは、完璧な商品を撮るための工場ではなく、偶然性を呼び込み、不確実性と戯れるための実験室なのである。この姿勢は、すべてがコントロール可能になったかのように見える現代社会において、失われがちな創造性の源泉を指し示している。
光と影の錬金術師
ロベルシの作品を語る上で欠かせないのが、光と影の卓越した使い方だ。彼の作品はフェルメールやカラヴァッジョ、レンブラントといった光の巨匠たちの絵画と比較されることが多い。しかし、彼の光の捉え方は、単なる西洋絵画の伝統の踏襲ではない。彼は暗闇のスタジオで、懐中電灯のような小さな光源を使い、被写体の顔や身体の一部をまるで筆で描くように照らし出すという。
特に彼が魅了されているのは、完全な光でも完全な闇でもない、「半影(penumbra)」の世界だ。この点について、彼は日本の文豪・谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に言及し、その美学に深く共鳴していることを公言している。西洋的な明瞭さではなく、曖昧で奥深い陰翳の中にこそ美が存在するという思想は、彼の作品の根底に流れている。彼の写真家としての原点は、1964年のスペイン旅行にあるという。セビリアで、白い壁を背に歩く黒服の男の姿と、そこに落ちる斜めの影を撮影した一枚、「Sol y sombra(太陽と影)」が、彼の写真への考え方を決定づけた。光と影が交錯する瞬間に生まれる詩情、それこそが彼が終生追い求めるテーマなのである。
ファッションを超えた「魂の肖像」
ロベルシはファッション写真家として知られているが、彼自身は「私の撮る写真はすべてポートレートだ」と断言する。ボトルを撮ればボトルのポートレート、風景を撮れば風景のポートレート。そしてファッション写真を撮る時、それはドレスと、それを纏う女性の「二重のポートレート」なのだという。彼の写真では、しばしば服のディテールは不鮮明で、主役はあくまで被写体の内面性や存在感そのものだ。モデルたちは「彼は魂の奥まで見通す」と口を揃える。彼のレンズの前では、彼女たちは単なる服を着るためのマネキンではなく、感情と物語を持つ一人の人間として立ち現れる。
そのアプローチは、著名人の撮影においても一貫している。2022年に撮影したキャサリン妃(当時ケンブリッジ公爵夫人)の40歳の誕生日ポートレートでは、周囲が提案した華やかな花の背景を退け、自ら持参したシンプルなグレーの背景で撮影した。また、2020年のピレリ・カレンダーでは、スペインの歌姫ロサリアや女優のエマ・ワトソンらを、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のヒロインに見立てて撮影し、それぞれの内なる悲劇性や情熱を写し出した。これらの仕事は、彼が単なる依頼仕事としてではなく、すべての撮影を自己の芸術表現の機会として捉えていることを示している。彼の作品は、流行を写すのではなく、時代を超えて人の心に響く普遍的な「魂の肖像」なのである。
日本の読者への解説
パオロ・ロベルシの作品と哲学は、日本の読者にとっていくつかの点で非常に興味深い示唆を与えてくれる。第一に、前述した谷崎潤一郎『陰翳礼讃』との共鳴である。西洋の美の伝統に身を置きながら、光そのものではなく、光と影がせめぎあう「半影」や「陰翳」に美を見出す彼の感性は、日本の伝統的な美意識と深く通底している。彼の作品を通じて、我々は自国の文化的美学が、いかに普遍的な力を持っているかを再認識させられるだろう。
第二に、彼の「疑い」と「偶然」を尊重する創作姿勢は、効率と完璧さが追求されがちな現代日本の社会や働き方に対する重要なカウンターメッセージとなり得る。アナログなポラロイドを用い、失敗や予測不可能性を創造の糧とする彼の方法は、日本の「わびさび」の精神、すなわち不完全さの中に美を見出す思想とも重なる。デジタル技術が浸透し、あらゆるものが最適化されようとする中で、ロベルシの「スロー」で「不確実」なアプローチは、人間的な創造性の本質とは何かを問い直すきっかけを与える。
最後に、この展覧会がZARAの本拠地ア・コルーニャで開催されているという事実も見逃せない。これは、巨大グローバル企業が、その利益を創業の地である地方都市の文化振興に還元するという、企業メセナの優れたモデルケースである。日本の多くの企業が東京に文化施設を集中させる中、地方都市を世界的な文化発信地に変えようとするMOP財団の試みは、日本の地方創生にとっても大いに参考になる事例と言えるだろう。ロベルシ展は単なるアートイベントではなく、美意識、創造性、そして地域文化の未来を考えるための豊かな素材を提供してくれるのである。













