2026年6月16日、EU理事会(加盟国閣僚評議会)は、13年にわたって膠着していた航空旅客権利改革を正式採択した。各国の報道では「機内持ち込みカバンが無料になる」「家族の隣席は無料保証」と一斉に伝えられ、長年LCCの追加料金に振り回されてきた利用者にとって朗報のように見える。しかしスペインは、ドイツ・ポルトガル・スロベニアと並んで反対票を投じた4ヶ国のひとつだった。賛成21、反対4、棄権2。可決はされた。だが「機内持ち込み無料化は骨抜きにされた」というのが、スペイン消費省の評価である。
本記事では、Telecinco をはじめスペイン各紙が報じた今回の合意の内容を整理しつつ、なぜ「無料化決定」と「スペイン政府の反対」という一見矛盾した結果になったのか、そして在住者・旅行者にとって2026年夏から2027年の施行までに何が変わり、何が変わらないのかを解説する。13年越しで動いた規制が、それでも「Ryanair側の勝利」と業界紙に評される構図には、見過ごせない論点が詰まっている。
EUが決めたこと ― 改革の4つの柱
今回採択された改革(2004年規則261の改訂)の骨子は、大きく4点である。
① 座席下に入る「個人手荷物」の無料保証。リュック、ノートPCケース、ハンドバッグなど、前の座席の下に収まるサイズ(おおむね40×30×15cm、最大7kg程度)の手荷物については、いかなる運賃にも含めることが義務付けられる。これは、LCCの「最安運賃ではバッグ持ち込み不可」という慣行に一定の歯止めをかけるものだ。
② 大型機内持ち込み(トロリー)の有料化は容認。一方で、頭上のロッカーに入れる本格的なキャリーケース(最大100cm、7kg程度)については、航空会社が追加料金を取ることが引き続き認められる。ただし、運賃比較の最初の画面から料金を明示することが義務化される。
③ 14歳未満の子供・妊婦・身体障害者の隣席無料保証。家族で別席を強いられ、隣に座らせるために追加料金を取られる慣行は禁止される。介助者・付添人にも同じ保護が及ぶ。スペイン政府が2024年にLCC各社へ罰金を科した「乗客と同伴者の隣席に追加料金を取る濫用行為」が、欧州レベルで明確に違法化された格好だ。
④ 遅延補償の枠組みは据え置き。3時間以上の遅延で、1,500km以下なら250ユーロ、1,500〜3,500kmなら400ユーロ、3,500km超なら600ユーロという既存の補償体系は維持される。航空会社にはキャンセル時のメール通知(96時間以内)と、補償請求への回答期限(14日以内)が課される。改善点ではあるが、補償額自体は2004年の水準のままだ。
「個人手荷物は無料」と「トロリーは有料」のあいだ
ここに、今回の改革の最大の論点がある。一見すると「機内持ち込みカバンが無料になった」ように読める。だが正確には、無料化されたのは「座席の下に入る個人手荷物(personal item)」のみで、ほとんどの旅行者が想像する「キャリーケース1個」は引き続き有料のままだ。
スペイン語圏のIT・モビリティ専門メディア Xataka は今回の合意を「EUは航空会社の最もうんざりする慣行のいくつかには終止符を打ったが、機内持ち込みカバンが本当に無料になることはその中に含まれなかった」と総括している。スペイン裁判所とEU司法裁判所はすでに、合理的サイズの機内持ち込みは運賃に含めるべきと判例で認めていた。今回の規則は、その判例ラインを「個人手荷物」と「トロリー」に切り分け、後者を有料のまま温存した。判例の到達点よりも、むしろ後退している、という見方は一定の説得力を持つ。
もうひとつの論点は、運賃の表示方法である。航空会社は最初の検索画面からトロリー料金込みの価格を表示しなければならないが、これは事実上、表示価格の引き上げを意味する。Ryanair が CEO マイケル・オリアリーを通じて「我々は今後、より高い航空運賃(2個目のキャビンバッグ料金込み)を広告で見せざるを得ない」と苦情を述べた背景もここにある。バックパック一つで身軽に飛びたい乗客の選択肢が、表示上は見えにくくなる懸念は残る。
なぜスペインは反対票を投じたのか ― 179百万ユーロ罰金との連続性
スペイン政府の反対は、感情論ではなく、ここ2年の消費者保護政策の延長線上にある。2024年11月、消費省(大臣 Pablo Bustinduy)は機内持ち込みカバンへの課金を「濫用的慣行」として、5社合計で約1億7,900万ユーロの過去最大級の制裁金を科した。内訳は Ryanair が1億800万ユーロ、Vueling が3,900万ユーロ、easyJet が2,900万ユーロ、Norwegian が160万ユーロ、Volotea が110万ユーロである。
スペインの立場はシンプルだ。機内持ち込みカバンは運賃の一部であり、別料金を取るのは消費者保護法違反 ― この立場をスペイン裁判所もEU司法裁判所も支持している。ところが2025年10月、欧州委員会は逆に「スペインの罰金はEUの航空サービス規則(航空会社の価格設定の自由)に反する」とスペイン政府に通告した。今回の規則は、この欧州委員会寄りの立場を法律として固める内容になっており、スペインから見れば「自国の消費者保護判例を後退させる規則」に他ならない。
Bustinduy 大臣は採決後、「この合意では機内持ち込み無料が保障されておらず、不十分だ」と表明した。スペイン消費者団体も同調しており、欧州消費者団体連合 BEUC は「Ryanair の長年のロビイングが報われた」と皮肉を込めて反応している。
Ryanair は「規制が誤解を招く広告を強制する」と反発
意外なことに、規則の最大の受益者と見られる業界も歓迎していない。Ryanair は2026年6月16日の声明で、「この規則は我々に誤解を招く価格広告を強制する」と表明。CEO のマイケル・オリアリーは「我々の乗客の50%以上はすでに2個目のキャビンバッグなしのより安い運賃を選んでいる。それなのに、より高い運賃(2個目のバッグ込み)を広告で見せろという規制は、最安運賃の存在を消費者から見えなくする」と批判した。
Ryanair が「機内持ち込み有料」を含む追加料金で稼ぐ金額は、2025年度で47億ユーロに達する。座席指定、優先搭乗、機内持ち込み料金、印刷搭乗券料金などの「アンシラリー収入」は今や LCC の中核ビジネスモデルそのものであり、ここに正面から手を入れる規則ではない以上、Ryanair の収益構造は基本的に維持される。それでも反発が出るのは、価格表示の変更が「見かけの安さ」を奪うからだ。低価格で予約させてからカウンターで追加料金を取る、という導線が機能しづらくなる。
一方、IAG 傘下の Vueling、easyJet、Norwegian、Volotea からの公式コメントは記事執筆時点で確認できていない。スペイン制裁の被告である4社が沈黙を保っているのは、欧州委員会の方針転換とこの新規則を、自社に有利な決着としてとりあえず受け入れた、と読むのが自然だろう。
主要航空会社の現行ルール(2026年6月時点)
新規則の施行は早くとも2027年。それまでは現行の各社規定が引き続き適用される。在住者の一時帰国・夏のヨーロッパ旅行に向けて、主要会社の最新サイズ規定を整理する。
Ryanair|全運賃で40×30×20cmの小型バッグ1個が無料。座席下に収まる範囲。これより大きい機内持ち込み(55×40×20cm、10kg)は Priority プランか別料金が必要。
Vueling|40×20×30cmのバッグ1個(座席下用)が無料。55×40×20cm、10kgの本格的キャビンケースは追加料金。
easyJet|45×36×20cmの小型バッグ(座席下用)が無料。それ以上はBig Cabin Bagプランで有料。
Iberia|運賃クラスにより異なるが、機内持ち込み56×40×25cm(10kg)まで含むプランが標準。Basic運賃では座席下バッグのみ無料。
Air Europa|55×35×25cm、10kgまでの機内持ち込みが標準運賃に含まれる。LCCより手厚いのが伝統的特徴。
新規則の「個人手荷物」基準(40×30×15cm程度)は、現状の Ryanair / Vueling の無料枠とほぼ同じ範囲だ。つまり「身軽に飛びたい乗客」にとっては今夏も2027年以降も大きな変化はない。トロリーケースを持って飛びたい乗客にとっては、引き続き別料金が必要になる。
施行は2027年、今夏も今までどおり
今回の合意はEU理事会の採択段階であり、最終的には2026年7月に欧州議会本会議での承認が予定されている。施行はEU官報への公示から12ヶ月後とされており、現実的には2027年半ば以降となる見込みだ。
つまり、2026年夏のバカンスシーズン、年末年始の一時帰国、2027年春までの旅行については、これまでと同じ「LCCは機内持ち込みに料金がかかる前提」で予約する必要がある。荷物を増やさず40×30×20cmのバックパック1個で飛ぶ、あるいは料金を払って預け入れ手荷物にする、という二択は今後も続く。
もうひとつ重要なのは、施行時点で「子供の隣席無料保証」「遅延96時間以内のメール通知」「14日以内の補償回答」など、機内持ち込み以外の改善点は確実に効くということだ。家族連れでLCCを使うときの「隣に座らせるために追加料金」という不快な体験は、2027年以降は法的に消える。これは小さくない前進である。
残された宿題は、スペインが2025年10月に欧州委員会から受けた「LCC罰金は違反」通告への対応だ。スペイン政府は判例と消費者保護法を盾に争う構えを見せているが、今回の規則が成立した以上、罰金の正当性を維持する根拠は政治的にも法的にも揺らぐ。13年越しの改革は、消費者にとっての勝利でもあり、LCCのビジネスモデルの正当化でもあり、そしてスペインの消費者保護政策にとっての敗北でもある ― 多面的に読むほかない、複雑な決着になった。












