家賃が上がり続ける国の、もうひとつの顔

スペインの住宅価格は、2026年に入っても上がり続けている。都市部の家賃は前年から5%以上伸び、マドリードでは1平方メートルあたり月20ユーロを超えた。「払える家がない」という悲鳴は、在住者にとってもはや日常の話題だ。

ところが、同じ国の地図を少しずらすと、まったく逆の現象が起きている。家が1ユーロ。村まるごとで31万ユーロ。しかも買い手が、なかなか現れない。都市の過密と農村の空洞化が同時に進む――それが「空っぽのスペイン(España vaciada)」と呼ばれる、もうひとつのこの国の顔である。

これは単なる地方の話では済まなくなっている。2019年にはマドリードで「空っぽのスペイン」を訴える大規模なデモが行われ、過疎地を地盤とする地域政党が国政選挙で国会に議席を得るなど、過疎は立派な政治テーマになった。人口が都市に吸い寄せられ、内陸の県では一日中ほとんど人を見かけない集落が増えている。そんな土地の自治体が、生き残りを賭けて打ち出した苦肉の策が「激安物件」なのだ。

「1ユーロの家」、ただし条件はそれほど甘くない

「1ユーロ住宅」はもともと、過疎に悩むイタリアの町々が空き家を1ユーロで売り出して世界的に有名になった手法だ。スペインはいわばその「スペイン版」を、独自の条件をつけて展開している。2026年5月、テレビ局テレシンコが「1ユーロの家」を特集し、改めて話題になった。テルエル県のグリエゴスやオリエテ、オウレンセ県のルビアなど、人口減に苦しむ複数の自治体が、空き家や土地を破格で売り出している。だが「1ユーロ」という見出しだけを見て飛びつくのは早計だ。多くの場合、買い手には次のような条件が課される。

期限内にリフォームを完了させること。住民登録(empadronamiento)をして、数年間そこに実際に住み続けること。実行可能な生活設計を示し、支払い能力を証明すること。そして数千ユーロの保証金を預けること。そもそも長く放置された家のリフォーム費用は3万ユーロを超えることも珍しくない。つまり「1ユーロ」とは物件価格のことであって、移住にかかる総額ではない。自治体側も「罰則より啓発」――つまり、人を呼び込みたいだけで、誰でも気軽に、という話ではないのだ。

「住人を募集する」を制度にした町、オルメダ・デ・ラ・クエスタ

この動きを最も体系的にやっているのが、クエンカ県のオルメダ・デ・ラ・クエスタ(Olmeda de la Cuesta)だ。スペインで最も高齢化が進んだ自治体のひとつで、歴史地区に常住する人はわずか数十人。マドリードから車でおよそ2時間という立地ながら、人口の減少が止まらなかった。

そこでホセ・ルイス・レガチョ町長が2010年から始めたのが、土地区画の競売だ。30〜283平方メートルの15区画を、600〜3,450ユーロという安さで競売にかけ、落札者には2年半以内に住居を建てる義務を課す。狙いは投機家ではなく、本当に住む人を呼び込むこと。この取り組みには過去2年間で1,400件を超える問い合わせが寄せられ、最初の競売ではベネズエラ出身の移住者が区画を手にした。村が「住人を募集する」ことを、一過性のニュースではなく制度として回し始めているのだ。

村を丸ごと買った、ヨーロッパ未経験のアメリカ人

個人がもっと大胆に動いた例もある。サモラ県のサルト・デ・カストロ(Salto de Castro)は、44軒の家にバル、教会、学校、旧グアルディア・シビルの兵舎、プールまで備えた、まるごと無人の集落だ。総面積はおよそ6,600平方メートル。2022年にトレドの実業家オスカル・トーレス氏が約30万ユーロで購入したが、個人的な事情で計画は頓挫し、再び売りに出された。

その村を2024年に買ったのが、アメリカ人のジェイソン・リー・ベックウィズ氏(妻はアナ・クリスティナ・マチャド氏)だった。報道によれば購入額は31万ユーロ(約36万ドル)。驚くのはその背景で、彼は「ヨーロッパに足を踏み入れたこともなく、スペイン語も話せない」状態で、不動産サイトのイデアリスタ(Idealista)でこの村を見つけたという。観光施設として再生する計画を描いている。ヨーロッパの片隅の廃村が、ネット越しに地球の裏側の買い手と結びつく――現代ならではの物語だ。

日本の読者へ ―― 「激安移住」を夢見る前に

「1ユーロの家」「村ごと購入」という言葉は、家賃高騰に疲れた人の心をくすぐる。だが冷静に見れば、ここには二つの別々の話が混ざっている。ひとつは自治体が条件付きで住人を募る制度(オルメダ型)、もうひとつは個人や企業が廃村を観光資源として丸ごと買う投資(サルト・デ・カストロ型)だ。前者は「安く家を持てる」話だが定住とリフォームの義務が重く、後者はそもそも一般の移住者向けの話ではない。

そして忘れてはならないのが、なぜそこが安いのか、という点である。仕事、病院、学校、公共交通――生活に必要なものが乏しいからこそ、人が去り、家が余った。サルト・デ・カストロの最初の計画が頓挫したことも、この難しさを物語っている。スペインの「空っぽの村」は、移住の理想郷であると同時に、過疎という重い現実そのものでもある。激安物件のニュースは、その両面をセットで眺めてこそ意味がある。

この記事をシェア:X (Twitter)WhatsAppLINE