マーラー「第九」で迎えた有終の美

2026年6月末、マドリードの国立音楽堂は熱狂的な拍手とスタンディングオベーションに包まれた。スペイン国立管弦楽団・合唱団(OCNE)の音楽監督兼芸術監督を12年間にわたり務めてきたドイツ人指揮者、ダーヴィト・アフカム氏の告別演奏会である。演目はグスタフ・マーラーの交響曲第9番。生と死、別れと変容をテーマにしたこの大作は、一つの時代の終わりを告げるにふさわしい選曲だった。演奏後、長年のパートナーシップを築いてきた楽団のマネージャー、フェリックス・パロメロ氏から花束を受け取ったアフカム氏の表情には、万感の思いが浮かんでいた。

スペインの主要紙ABCが報じたように、この日の聴衆の反応は、長年の関係を経て醸成された深い信頼と尊敬の証であった。演奏は、複雑な構造を持つ第1楽章の揺るぎない一貫性、第3楽章コーダの圧倒的な迫力、そして地上的なものと天上的なものが対話するような終楽章の卓越した表現力に至るまで、アフカム氏とオーケストラが到達した芸術的な高みを明確に示していた。トランペット首席奏者マヌエル・ブランコ氏をはじめとする各奏者のソロも見事であり、オーケストラ全体が一体となった、まさに「誇りに思える」演奏であったと評されている。

混乱の中から始まった改革の道

アフカム氏が2014年に30歳の若さでOCNEの首席指揮者兼芸術監督に就任した当時、楽団は決して順風満帆な状態ではなかった。むしろ、深刻な内部対立と労使間の緊張関係に長年苦しんでいた組織であった。当時のOCNEは、個々の奏者の技術レベルにばらつきがあり、各楽器セクション間のアンサンブルも不安定で、明確なサウンド・アイデンティティを確立できずにいた。運営面でも混乱が続き、芸術的な発展が阻害される状況にあった。

アフカム氏の挑戦は、この困難な状況から始まった。彼が最初に取り組んだのは、規律と分析的なアプローチによってオーケストラの基礎を再構築することだった。リヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」のセミ・ステージ形式での上演など、野心的なプロジェクトを通じて、彼は指揮者として、そしてオーケストラ全体として、着実に成長を遂げていく。当初は硬質とも評された彼の音楽作りは、年を重ねるごとに温かみと柔軟な表現力を増していった。特に、コロナ禍を経てからの演奏は、より深い人間的な洞察と感情的な知性に満ちたものとなり、アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」の演奏会形式上演は、彼の芸術が成熟の極みに達したことを証明する画期的な成功と見なされている。

この芸術的成功の裏には、運営面の安定化があったことも見逃せない。アフカム氏の就任後、事務方のトップであるテクニカル・ディレクターに就任したフェリックス・パロメロ氏の手腕は、楽団の運営を正常化し、指揮者が芸術活動に専念できる環境を整える上で決定的な役割を果たした。芸術と運営の両輪が噛み合ったことが、OCNE再生の原動力となったのである。

世界的オーケストラへの飛躍と未来

12年間のアフカム時代を経て、スペイン国立管弦楽団は大きく変貌を遂げた。かつての不安定さは影を潜め、今やヨーロッパでも有数の実力と評価を兼ね備えたオーケストラとして確固たる地位を築いている。その最大の証拠が、アフカム氏の後任として、世界的な巨匠であるケント・ナガノ氏の就任が決定したことである。ナガノ氏のようなトップクラスの指揮者がポストを引き受けるということは、現在のOCNEが持つ芸術的なポテンシャルの高さを国際的に認められたに等しい。

アフカム氏との最後のシーズンは、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」やマーラーの「第九」といった大作で締めくくられた。さらに、今後はグラナダ音楽祭やロンドンのBBCプロムスといった著名な音楽祭への客演も予定されており、彼らが築き上げた成果を国際舞台で披露することになる。アフカム氏は今後、客演指揮者としてOCNEとの関係を継続する予定であり、彼が育て上げたオーケストラとの絆はこれからも続いていく。一つの輝かしい時代が終わり、楽団は新たな未来へと歩みを進める。

日本の読者への解説 ― 公共オーケストラの改革とリーダーシップ

ダーヴィト・アフカム氏によるスペイン国立管弦楽団の改革物語は、日本のクラシック音楽界や文化政策を考える上で多くの示唆を与えてくれる。日本にもNHK交響楽団をはじめとする、公的な性格を持つ優れたオーケストラが多数存在するが、その運営や芸術的な方向性において、時に内部の硬直化やリーダーシップの不在が課題となることがある。

アフカム氏の成功の鍵は、単に音楽的な才能に恵まれていたことだけではない。第一に、若くして就任しながらも、12年という長期的な視点に立って楽団の根本的な体質改善に取り組んだこと。第二に、規律を重んじる分析的なアプローチと、人間的な温かみや情熱を両立させ、楽団員からの信頼を勝ち得たこと。そして第三に、フェリックス・パロメロ氏という有能な運営責任者との強固なパートナーシップを築き、芸術と経営の両面から改革を推進したことである。これは、しばしば「マエストロ」のカリスマに依存しがちなオーケストラ運営に対し、組織論的な成功モデルを提示している。

また、ドイツ人のアフカム氏の後任に日系アメリカ人のケント・ナガノ氏が就任するという流れは、クラシック音楽界のグローバル化を象徴している。日本のオーケストラも多くの外国人指揮者を招聘しているが、OCNEの事例は、国籍を問わず、明確なビジョンと実行力を持つリーダーを長期的に登用することが、いかに組織を活性化させ、国際的な競争力を高めるかを示している。国の文化の顔である公共オーケストラが、いかにして芸術的な高みと組織的な安定を両立させるか。スペインでの成功例は、日本の文化施設運営にとっても貴重なケーススタディとなるだろう。

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