賛成418、反対218、棄権30。2026年6月17日、欧州議会は史上最も厳格と評されるEUの新しい移民送還規則(Return Regulation)を圧倒的多数で可決した。最長24か月の収容、原則10年・安全保障案件では無期限の入域禁止、そしてEU域外に設置される「送還センター(return hub)」。欧州が裏口を閉じる――その日、ストラスブールの本会議場でラポルトゥール(報告者)のマリック・アズマニ欧州議員(オランダ、リニュー・ヨーロッパ)はそう宣言した。

だがその6か月前、ブリュッセルのEU理事会で「ノー」を唱えた国がただ一国だけ存在した。スペインである。社会労働党(PSOE)とスマール(Sumar)の連立を率いるペドロ・サンチェス首相の政府は、なぜ27か国の中で孤立してまで反対票を投じたのか。そして欧州議会では国民党(PP)と極右ヴォックス(Vox)がスペイン政府と真逆の方向で賛成に回るという、国内の捻れまで生み出した。本記事はEU移民政策の歴史的転換点を、スペインから見える景色で読み解く。

賛成418、反対218 ― 欧州議会で何が決まったのか

2026年6月17日、欧州議会本会議は理事会との三者協議(trilogue)で合意済みの暫定テキストを最終承認した。賛成418(63%)、反対218(33%)、棄権30(5%)。投票したのは666議員、不投票53議員。新規則は加盟国に直接適用される「規則(Regulation)」形式で、既存の送還指令(Return Directive 2008/115/EC)を全面的に置き換える。理事会の正式採択を経て、2027年7月1日までに全加盟国が他国の退去命令を相互に承認・執行する体制の構築が義務付けられた。

会派別の賛否分布は欧州政治の地殻変動を映し出している。欧州人民党(EPP、中道右派)が98%賛成、社会民主党(S&D)は84%反対、緑の党は96%反対。一方、保守改革党(ECR、メローニ伊首相の党が中核)、愛国者党(PfE、ルペン・ウィルダース系)、主権国家欧州党(ESN、ドイツ右派AfDが中核)の三つの右派・極右会派は100%賛成。中道リベラルのリニューは53%賛成・30%反対と内部で割れた。EPPが伝統的な中道左派との連携を離れ、ECR以下の右派会派と多数派を組んだ瞬間――EU政治史で長く語り継がれることになるだろう。

それでもスペインだけが「ノー」と言った日

時計の針を6か月戻すと、2025年12月5日のEU理事会内務担当者会議(JHA)に行き着く。送還規則の暫定合意に対し、加盟27か国のうちただ一国――スペインだけが反対票を投じた。フェルナンド・グランデ=マルラスカ内相(PSOE)はその場で異例の率直さで述べている。「リターン・ハブには、重大な法的、政治的、経済的疑念がある。移民送出国との二国間関係に負の影響を及ぼしうる」。

2026年6月11日、規則の最終承認を1週間後に控えたタイミングで、スペイン政府はEU理事会事務局に公式な異議文書を提出した。そこには「一部措置の合法性と比例性に疑義」と記された。包摂・社会保障・移民を担当するエルマ・サイス大臣(PSOE)も、新移民・庇護協定(Pacto sobre Migración y Asilo)全体の適用は「スペインの優先課題」としつつ、送還規則だけは反対を貫いた。

マドリードの本音は単純ではない。欧州委員会の数字によれば、スペインの強制送還執行率は2025年実績で約10%。EU平均の27.5%に対し、オランダ、ポルトガルに次ぐワースト3位の低水準である。「人道的だから低い」と「機能不全だから低い」の中間の、複雑な現実がそこにある。

モロッコという生命線 ― Ceuta・Melilla・カナリアの現実

スペインの反対の核心は、地図を開けば一目瞭然となる。北アフリカに突き出した二つの自治都市セウタ(Ceuta)とメリリャ(Melilla)。大西洋に浮かぶカナリア諸島。これらの国境管理はモロッコ王国との二国間協力なしには成立しない。サハラ砂漠の南からモーリタニア沿岸を経由してカナリアに向かう小型ボート、フェンスを越えてセウタ・メリリャに殺到する集団――これらをスペイン国家警察と共に押し戻しているのはモロッコ憲兵隊だ。

2022年6月のメリリャ事件(フェンス突破で少なくとも23人死亡)以降、サンチェス政権は西サハラ問題でモロッコの自治案を支持する歴史的譲歩までして関係を維持してきた。ここに「EU域外の第三国に送還センターを設置し、被送還者との繋がりは不要」というリターン・ハブの仕組みが入り込むとどうなるか。マドリードは、モロッコをはじめとする協力国がこれを「主権侵害」と受け止め、国境管理協力を引き上げるシナリオを最も恐れている。

グランデ=マルラスカ内相が「移民送出国との二国間関係に負の影響」と発言した含意はここにある。EUの人権派的な懸念ではなく、スペインの地政学的実利こそが反対の理由だった――この逆説こそ、本件の最も興味深い断面である。

国内で割れた票 ― 政府の Council、PP・Vox の本会議

スペインEU議員58名の賛否は、政府の立場とは別の絵を描いた。賛成30名、反対28名。S&D所属のPSOE議員は大半が反対、国民党(PP、EPP所属)と極右ヴォックス(PfE所属)は賛成、スマール(左派会派「ザ・レフト」所属)は反対。Council=政府レベルでは唯一の反対国でありながら、欧州議会では国内野党が政府の意思と真逆の票を投じる、という構造的捻れがここに露呈した。

PSOE所属のフアン・フェルナンド・ロペス・アギラル欧州議員は本会議で警告した。「この規則はEU基本権憲章が認める基本的権利を蝕み、移民・庇護協定で結ばれた約束から遠ざかる」。スマールのエストレリャ・ガラン議員(移民支援団体CEAR元代表)はさらに踏み込んだ。「この規則には人権監視メカニズムが一切ない。欧州の権利のブラックホールだ」。

対するPP所属のハビエル・サルサレホス議員は反論する。「実効性のない移民政策では信頼を得られない。人身売買網を遮断するには第三国合意が不可欠だ」。スペイン国内政治の分極化――PP「EU水準でスペインも適用を」、PSOE「スペイン特有の事情で慎重に」、スマール「懲罰的逸脱」――が、EU立法の場に持ち込まれた。

送還センター・24か月・無期限禁止 ― 規則の中身を読む

では、スペインを除く26か国が承認した規則の中身とは何か。条文ベースで主要な柱を整理する。

第一にリターン・ハブ(送還センター)。加盟国はEU域外の第三国に送還センターを設置できる。EUレベルの協定でも二国間協定でも構わない。最大の論争点は、被送還者と当該第三国の間に実質的な繋がり(連絡先、家族、通過歴など)が不要とされたことだ。アルバニア、チュニジア、エジプト、モーリタニア、セルビアなどが報道で候補国として言及されている。未成年単独の移送は禁止されたが、家族同伴の子どもは対象から除外されなかった。

第二に収容期間。上限は24か月(2年)。さらに特別事例で6か月延長可能、実質最長30か月。既存指令の原則6か月・例外18か月から大幅に延長された。第三に入域禁止(entry ban)。原則10年、安全保障リスク認定者には無期限。シェンゲン情報システム(SIS)に登録され全EUで有効となる。第四に手続短縮。不服申立の自動的執行停止効が撤廃され、申立中も送還の執行が可能になる。停止判断は裁判官の個別裁量に委ねられる。第五に欧州送還命令と相互承認。一加盟国の退去命令が2027年7月以降、全EUで執行可能となる。

「欧州版グアンタナモ」か、必要悪か ― 国連・人権団体の警鐘

規則可決の3日後、2026年6月20日、フォルカー・テュルク国連人権高等弁務官は声明を発表した。「EUは人権義務を第三国に外注(outsource)することはできない。脆弱な人々――とりわけ子ども――を他国に拘束し送還する行為は重大な人権侵害リスクを孕む」。難民条約第33条のノン・ルフールマン原則、欧州人権条約第3条の拷問禁止に直接言及した強い表現である。

欧州難民・亡命者協議会(ECRE)、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチも相次いで反対声明を出した。「法の闇(legal black holes)」「欧州版グアンタナモ」「ICE化(米国移民税関捜査局のような市民権侵食)」――比喩は批判的になるほど強烈になっていく。

規則本文には「ノン・ルフールマン原則の尊重」が明記されている。しかし、EU域外の送還センターで人権救済の実効性をどう担保するのか、第三国での虐待リスクをどの手続で評価するのか――条文の隙間に法的論争の余地は広く残されている。実際、本規則のモデルとされたイタリア・アルバニア協定では、2024年から2025年にかけて移送された73名全員について、伊国内の裁判官が拘束を承認せず本土に送り返した経緯がある。EU加盟国の司法が、政治が決めた枠組みを跳ね返すという展開は今後も繰り返されるだろう。

100万人正規化と24か月拘束 ― 同じ大陸、二つの哲学

ここで一つの逆説を指摘しておきたい。送還規則を欧州が制度化したまさにその時期、スペイン政府は別の方向を向いていた。サンチェス政権は2024年から、国内に既に居住する非正規滞在者の大規模な正規化(regularización)を構想してきた。対象人数は最大100万人規模と報じられた。スペインの少子高齢化と労働力不足を背景に、合法的経済参加への道を開くという発想である。

同じ大陸、ほぼ同じ年代に、「不法滞在者を24か月拘束して域外センターに送る規則」と「100万人を合法化する政策」が並走している――この二重露光こそ、EUと加盟国の関係の本質を映している。スペインがCouncilで反対票を投じた理由の一端は、自国の移民哲学とEUの新規則が哲学的に正反対であるという認識にもあった。

もっとも、スペイン側にも自家撞着がある。2026年6月12日に適用が始まった新移民・庇護協定(Pacto sobre Migración y Asilo)について、スペインは適用開始24時間前の時点で9措置中8措置が未対応、新庇護法は国会未提出という遅滞ぶりだった。送還規則は「規則」形式で直接適用されるため、国内法整備の遅れは緩衝にならない。スペインは反対しながら受け入れる――この苦い現実に向き合うことになる。

日本の読者へ ― 認定率1.6%の社会と、揺らぐ国際基準

日本から見ると、欧州の議論は遠い世界に見えるかもしれない。だが、二つの接点を指摘したい。

第一に基準比較。日本の難民認定率は2025年実績で約1.6%(申請11,298件、認定187名)。EU平均が30〜40%台で推移してきたことと比べれば、日本の保護水準は元々国際的に低い位置にある。2023年の改正入管法は、3回目以降の難民申請者に対する送還停止効の例外化を導入し、補完的保護対象者制度を新設した。EUの送還規則が示した「拘束強化・手続短縮・域外送還」の方向性は、日本の入管政策の議論にも「欧州でもこうしている」という新たな論拠を提供することになる。

第二にグローバルな含意。EUは戦後の難民保護レジームを牽引してきた地域である。そのEUが保護水準を引き下げる方向に舵を切ったことの意味は大きい。「庇護基準の最低水準引き下げ競争(race to the bottom)」が国際社会全体で進む懸念は、人権団体が一貫して警告してきた論点だ。

スペインのただ一票の反対は、欧州の流れを変えるには至らなかった。次のステップは理事会の正式採択と官報掲載、そして2027年7月1日までの相互承認体制の構築である。サンチェス首相が「モロッコの影」と「100万人正規化」の哲学を、新しいEU移民レジームの中でどう保ち続けられるか――それは欧州だけでなく、地中海を挟んだアフリカ、そして遠く東アジアからも目を凝らすに値する政治劇である。

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