「TikTok世代」のレッテルを貼られた若者たちの本音
スペイン南部のアンダルシア州ウエルバ。労働者階級が多く住む地区の公立高校で、16歳から18歳の生徒たちがマイクの前に座り、自分たちの言葉で社会を語り始めた。彼らの多くはまだ選挙権を持たない。しかし、その口から語られるのは、公的医療の崩壊、住宅問題、移民への眼差し、そしてフェミニズムを巡る複雑な感情だ。彼ら、いわゆる「Z世代」や「TikTok世代」は、政治家や大人たちから「一日中TikTokを見ていて、世の中のことなど何も知らない」というレッテルを貼られていると感じている。だが、その実像は大きく異なる。彼らはソーシャルメディアを通じて世界と繋がりながらも、自らの生活に直結する社会問題に対して、驚くほど現実的で、時に大人世代よりも鋭敏な感覚を持っている。この記事では、彼らの生の声を通じて、現代スペインの若者が抱える希望と絶望、そして政治との深刻な断絶を掘り下げていく。
政治不信の根源:医療崩壊と経済格差への鋭い視線
生徒たちが口を揃えて最も大きな問題として挙げるのが、公的医療制度(Sanidad Pública)の機能不全だ。これは選挙キャンペーンの争点だから知っている、というレベルではない。彼ら自身や家族が日常的に体験している切実な現実である。「骨折して救急病院に行ったのに、5時間も待たされた」「友人の祖父は専門医の予約が5ヶ月待ちで、診察日が来た時には2ヶ月前に亡くなっていた」。こうした証言は、スペイン全土で問題となっている医療崩壊の縮図だ。特に地方では医師不足と長い待機リストが常態化しており、経済的に余裕のない人々は必要な医療を受けられない状況に追い込まれている。若者たちは、医療が「権利」ではなく、民間保険に加入できるか否かで決まる「特権」になりつつある現実を肌で感じ、強い憤りを覚えている。
この問題意識は、経済的な将来への不安と地続きだ。「公立と私立の教育格差はあまりに大きい。私立の友人はiPadを持っているのに」という声や、「若者が自立するのがこんなに難しいのに、住宅問題にもっと支援を」という訴えは、スペインが長年抱える構造的問題を的確に捉えている。スペインの若者の失業率はEUの中でも常に最高レベルにあり、不安定な雇用と高騰する家賃のために、30歳を過ぎても親元を離れられない「自立の遅れ」は深刻な社会問題だ。政治家が抽象的なイデオロギー闘争に明け暮れる一方で、若者たちは日々の生活の質、将来設計の可能性という極めて具体的な問題に目を向けており、それに応えられない政治への不信感は根深い。
移民問題とジェンダー:多様性社会で育った世代の価値観
ウエルバはアフリカからの移民が農業労働力として不可欠な地域であり、生徒たちの教室にも様々な背景を持つ同級生がいる。政治の世界、特に極右政党VOXなどは移民排斥を声高に叫ぶが、生徒たちの意見は驚くほど一致している。「肌の色や国籍、宗教で人は定義されない」「彼らはより良い生活を求めて来ているだけ。自国や家族を離れるのは辛いはずだ」。モロッコ系の両親を持つ生徒は、スペインで生まれ育っても「モーロ(ムーア人に対する蔑称)、国へ帰れ」といった言葉を投げかけられる経験を語る。しかし彼は、「それしか言えない相手に議論する価値はない」と冷静だ。
教室というミクロコスモスで日常的に多様性に触れている彼らにとって、移民は統計上の数字や脅威ではなく、顔の見える友人や隣人だ。むしろ彼らは、「私たち若者は、ジプシーやルーマニア人、モロッコ人と一緒に教室で育っている。大人たちが受け入れられなかったことを、私たちは問題なく受け入れている」と、旧世代の偏見を批判さえする。この寛容さは、政治的な言説がいかに現実の共同体から乖離しているかを示している。
一方で、ジェンダーを巡る議論はより複雑な様相を呈する。女子生徒たちは、道を歩いているだけで性的な言葉を投げかけられたり、服装を理由に批判されたりする日常的な性差別の経験を次々と語る。夜道を一人で歩く恐怖は、彼女たちにとって現実のものだ。しかし、男子生徒からは、フェミニズムの現在の法制度、特に虚偽告発のリスクに対する懸念が表明される。これはスペイン社会で激しい議論を呼んだ性暴力関連法改正などを背景としたものであり、若者世代の中でも男女間で認識の差が存在することを示唆している。しかし、重要なのは、彼らが一方的な主張をぶつけ合うのではなく、教室という場で対話し、考えを深めようとしている点である。政治が二極化を煽るのとは対照的に、彼らはより繊細で多角的な視点から問題にアプローチしようとしている。
日本の読者への解説
この記事で描かれたスペインの高校生の姿は、日本の読者にとっても多くの示唆を与える。第一に、若者の政治的関心の表出方法の違いだ。スペインでは、フランコ独裁政権後の民主化の過程で、政治についてオープンに議論する文化が根付いている。学校教育でも哲学や倫理の授業で討論が奨励されることが多く、自分の意見を表明することへのためらいが少ない。これは、政治的な話題を避ける傾向が強い日本の若者文化とは対照的かもしれない。しかし、彼らの関心の起点が、イデオロギーではなく、医療、雇用、住宅といった「自分の生活」にある点は、日本の若者と共通する普遍的な動機だろう。
第二に、移民問題への意識の違いである。農業や介護の現場で移民労働者が不可欠となり、日常的に多様な文化に触れるスペインの若者と、まだ移民が「遠い存在」である日本の若者とでは、その捉え方に大きな差がある。スペインの若者たちが示す寛容さは、単なる理想論ではなく、共存の日常から生まれたリアリズムだ。今後、日本でも外国人労働者の受け入れが拡大する中で、スペインの若者世代の価値観は一つの未来像として参考になるかもしれない。
最後に、政治家やメディアによる「若者」というステレオタイプ化の危険性だ。「最近の若者は内向きで、スマホばかり見ている」といった言説は日本でも頻繁に聞かれる。しかし、スペインの高校生たちが示すように、彼らは自分たちのツール(SNS)で情報を得て、自分たちの言葉で社会を分析している。彼らが政治に無関心なのではなく、既存の政治が彼らの声に耳を傾けていない、という構図は万国共通の課題だ。政治不信は若者の責任ではなく、若者の現実に応えられない政治システム側の問題である。この視点は、日本の少子高齢化が進む中で、いかにして次世代の声を政治に反映させていくかという重要な問いを我々に投げかけている。





