約400年前、仙台藩主伊達政宗が現メキシコであるヌエバ・エスパーニャとの貿易を求め、スペイン国王及びローマ教皇に派遣した外交使節団である慶長遣欧使節団の物語と、スペイン南部アンダルシア州コリア・デル・リオと日本との関係を紹介したドキュメンタリー映画「Las Huellas de Samurai」の試写会に、この映画を作成したカタルーニャ州に事務所を持つ高級不動産会社「HJAPON」の社長で、「日本」という意味の苗字を持つマルセロ・ハポンさんが舞台挨拶を行い、同使節団はカタルーニャ州にも訪れていたことを明かした。
ハポンさんは今年日本を旅行、仙台の博物館で、イタリア人歴史家Scipione Amatiの歴史書に慶長遣欧使節団がカタルーニャ州に滞在していた記述を発見した。
ハポンさんによると、伊達政宗の家臣である支倉常長が率いる慶長遣欧使節団は1613年スペインのアンダルシア州に到着、その後スペイン国王と謁見。 当時の国王フェリペ三世の護衛団と共にローマを目指す途中カタルーニャ州のリェイダ県、モンセラート修道院、バルセロナを訪れたとのこと。 使節団はバルセロナで商工会議所や政府高官らと会談した。
このドキュメンタリー映画「Las Huellas de Samurai」では、伊達政宗が偏西風と海流を利用したマニラ・仙台・アカプルコの三角貿易実現のため、家臣である支倉常長をメキシコに派遣。 貿易の許可を取るためにスペインに直接交渉するよう命令され、その後大西洋を横断。 この時日本ではキリシタン弾圧が起こっていたため、支倉は国王の前でキリスト教の洗礼を受ける。 ローマ教皇に謁見するも、日本でのキリスト教弾圧が激化していたこともあり結局交渉はまとまらなかった。 しかし支倉の志は「JAPON」という姓をスペインに残し、今も脈々と受け継がれている。
HJAPONによる「Las Huellas de Samurai」は来年のスペイン最大規模の映画祭「ゴヤ賞」で11の部門でノミネートされており、外国での注目度も高い。
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