民主化後、元首相経験者への異例の捜査
スペインの司法が、またしても政界を揺るがす大きな一歩を踏み出した。2004年から2011年まで社会労働党(PSOE)政権を率いたホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ元首相が、裁判所による正式な捜査対象となったのである。現職のペドロ・サンチェス首相のベゴニャ・ゴメス夫人が汚職と職権乱用の疑いで捜査対象とされたのに続き、PSOEの象徴的な人物に司法のメスが入るという事態は、スペイン社会に大きな衝撃を与えている。民主化以降、首相経験者が退任後に刑事事件の被疑者として捜査されるのは極めて異例のことだ。
この捜査は、単なる一個人の疑惑追及にとどまらない、より根深い政治的対立を浮き彫りにしている。サンチェス政権とPSOEは、これを「ローフェア(lawfare)」、すなわち法を武器にした政治的迫害であると激しく反発。一方、野党の国民党(PP)や極右政党Voxは、法の下の平等を主張し、聖域なき捜査を求めている。サパテロ氏への捜査は、スペインの政治的分断が司法の領域にまで及び、国家の根幹である三権分立の原則そのものが問われる深刻な局面を迎えていることを示している。
激化する「ローフェア」論争とは何か
「ローフェア」とは、「法律(law)」と「戦争(warfare)」を組み合わせた造語で、司法手続きを政治的な目的のために利用し、政敵を社会的に失墜させたり、政治生命を絶ったりする行為を指す。近年、特にラテンアメリカでこの言葉が頻繁に使われるようになり、ブラジルのルーラ大統領が過去に受けた捜査や有罪判決が、政敵ボルソナロ(当時)を利するためのローフェアだったと支持者から主張されているのはその典型例だ。
スペインにおけるローフェア論争は、現在のサンチェス政権下で頂点に達している。政権側は、右派に近いとされる一部の判事や検事が、右派野党やメディアと連携し、根拠の薄い告発を次々と受理しては、政権関係者にダメージを与えていると主張する。サンチェス首相夫人の事件では、告発を行ったのが極右 성향の団体「マノス・リンピアス(清廉な手)」であったことが、この主張を補強する材料とされた。今回のサパテロ元首相の件についても、PSOE幹部からは即座に「新たなローフェアだ」との声が上がった。
しかし、事はそう単純ではない。一部の法曹関係者や評論家は、安易に「ローフェア」という言葉を使うことの危険性を指摘する。裁判所が提示した捜査令状や告発内容に、捜査を開始するに足るだけの具体的な嫌疑や証拠が含まれている場合、それを精査もせずに「政治的迫害」と断じることは、司法の独立性に対する不当な圧力となりかねない。それは、推定無罪の原則を守るべきであるのと同様に、司法機関が法に基づいて独立して機能するという原則をも尊重すべきだという考え方だ。疑惑をかけられた政治家が、自らに向けられた捜査をすべて「ローフェア」とレッテル貼りすることで、正当な司法の追及から逃れようとするならば、それもまた法の支配を脅かす行為となる。まさにスペインは、この二つの危険性の間で激しく揺れ動いている。
機能不全に陥る司法と政治の構造的対立
スペインで「ローフェア」論争がこれほどまでに深刻化する背景には、司法と政治の構造的な問題が存在する。その象徴が、司法の最高統治機関である「司法総評議会(CGPJ)」の機能不全だ。CGPJの判事20名は国会によって任命されるが、与野党の合意形成が不可欠なため、政治対立の煽りを直接的に受ける。現在の評議員は、2018年に任期が切れてから5年以上も交代できず、当時の保守派優位の構成のままだ。野党・国民党が、サンチェス政権に有利な人選を阻止するために更新を拒み続けているためで、これが司法のトップレベルにおける「政治化」の動かぬ証拠とされている。
このような司法の停滞は、国民の司法に対する信頼を著しく損なっている。どの判決も、どの捜査も、その背後にある政治的な意図を勘繰られるようになった。左派は「右派に支配された司法が暴走している」と非難し、右派は「左派政権が司法を支配しようと圧力をかけている」と反論する。この不信の連鎖が、個々の事件を冷静に、法と証拠に基づいて判断することを困難にしている。
サパテロ元首相への捜査が今後どのように進展するにせよ、そのプロセスと結論は、スペインの二極化した政治フィルターを通して解釈されることになるだろう。たとえ無罪となっても、右派は「司法への圧力の結果だ」と主張し、有罪となれば、左派は「ローフェアが完遂された」と嘆く。このように、司法の判断が社会的な正当性を得られにくい状況こそが、スペイン民主主義が直面する最も深刻な危機と言えるかもしれない。
日本の読者への解説
スペインで起きている「ローフェア」を巡る激しい対立は、日本の読者にとっても対岸の火事ではない。そこには、現代の民主主義国家が共通して直面しうる、司法と政治の関係性という普遍的な課題が横たわっているからだ。
日本においても、政治家が関わる大規模な事件、例えばロッキード事件やリクルート事件、近年の森友・加計学園問題や自民党の裏金問題などでは、検察の捜査がしばしば「国策捜査」ではないかと批判されてきた。特定の政治的意図をもって、検察が捜査のタイミングや範囲を決めているのではないかという疑念だ。これは、スペインの「ローフェア」論争と通底する問題意識である。ただし、両者には決定的な違いもある。日本の場合は、批判の対象が主に検察庁という行政組織であるのに対し、スペインでは、より独立性が高いはずの裁判所の判事までもが政治的偏向を疑われている点だ。これは、司法制度の根幹に対する信頼の揺らぎが、より深刻であることを示唆している。
また、スペインの司法総評議会(CGPJ)の任命を巡る政治的対立と機能不全は、司法の人事に政治がどこまで関与すべきかという問題を提起する。日本の最高裁判所裁判官の任命は内閣が行い、国民審査を受ける制度だが、実質的には形骸化しているとの指摘も多い。スペインの事例は、司法の独立性を担保するための制度設計がいかに難しく、そして重要であるかを教えてくれる。
最も重要な教訓は、政治の極端な分極化が、社会の共通基盤であるべき「法の支配」をいかに蝕むかという点だ。全ての事象が「敵か味方か」という二元論で語られるようになると、司法の判断さえも党派的な攻撃の的となる。国民が司法を信頼しなくなり、判決に権威を見出せなくなった時、社会の安定は大きく損なわれる。政治的対立は民主主義の常ではあるが、司法の独立という越えてはならない一線を守るという共通認識が失われた時、その先に待っているのは深刻な制度的危機である。スペインの現状は、その危険性をリアルタイムで示す貴重なケーススタディと言えるだろう。





